「移項」に見る、日米の教育観の差
中学1年生の数学では「方程式」を学びます。
方程式の考え方の最も重要な点は「等式の性質」にあります。
要は、「=(等号)」で結ばれた状態の式に関して、両辺にあらゆる演算を行使してもその「=」は保たれたままということです。
等式の性質を「移項」として「公式化」する
さて、中学校の教科書では方程式の導入後、すぐに「移項」という操作を学びます。
例えば、両辺に2を足すという操作
$$
\begin{align*}
x-2&=3\\x-2+2&=3+2\\x&=5
\end{align*}
$$
この操作を、左辺の"-2"を右辺に移して"+2"と取り扱う
$$
\begin{align*}
x-2&=3\\x&=3+2\\x&=5
\end{align*}
$$
という操作です。要は右、左辺の加減を移したときに逆演算で処理をするという考え方です。
「移項」の「公式化」と指導方針の違い
最近見かけたツイートで、移項に関する考え方の日米の違いに触れたものがあります。
どうやら、アメリカではこの「移項」を「公式化」して処理することがあまりない、ということのようです。
このことに関して、アメリカの場合は教科書の法定使用義務が存在しないため、日本の状況と全く同じではないという前提に立つ必要はあります。
しかし、上のTweetの参考書(おそらくは補助教材)において、移項の処理を行っていないことは、日米の教育の考え方の違いを示す良い材料となるようです。
「公式化」することの効用
「公式化」を行うことで、理解が浅くとも作業手順を覚えさえすれば即座に結果を得ることができます。
これは試験において、指導に時間をかけること無く結果を得ることができるため、時間的には費用対効果の高い指導方法になります。
また、理解が浅い生徒に対しても最低限の結果を出すことが可能になるため、試験の結果は必ずしも理解度を示すものではありません。
逆に、「公式化」をせずに概念を理解して活用する場合、理解までに時間がかかります。
理解が浅い生徒は解答を得ることができず、試験結果もその理解度に依存します。
しかし試験の結果は、概念理解ができているか否かを正確に反映をするということでもあります。
「公式化」は結果平等を演出する仕組み
「公式化」は結果平等を可能にします。
できていない生徒の状況を隠し、全員で頑張って、全員で卒業という美談を演出する仕組みともなります。このあたり、日本的な部分を強く感じます。
方や、アメリカにおける「公式化」しない教育方針は、概念理解のおぼつかない生徒に対しては厳しい結果を突きつけます。
これはアメリカ的な結果責任を求める文化の現れなのかもしれません。
(実際にはアメリカでも小中高の留年はほとんど無いようです。ただ、卒業要件は基本的に厳しいようです)
「公式化」に関しての主観
個人的には「公式化」があまり好きではありません。
「移項」に関しても、授業でルールとして教えるよりも、やっている内に気づいてから補足する、ぐらいのスタンスで考えています。
高校の数学においても「公式化」を紹介しているものは多いのですが、作成や確認に手間取るもので無い限りは、毎回基本概念からスタートするような考え方を私は推奨しています。
しかし、数学が苦手、嫌悪、憎悪の対象とする人達が「公式」で定期試験に一矢報いようという気持ちもわからないではないので、一概に反対とまでは言えません。
(数学界隈では公式暗記への強烈な拒絶反応があります)
教え込まれる形で「公式化」するのではなく、試行錯誤の中で自然発生的に「公式化」できるのが理想なのでしょう。
日米の指導方針の違いも、その理想へのアプローチの仕方の違いに過ぎないのかもしれません。
今回の記事は、かなり主語が大きくなってしまいました。
アメリカの教育制度に関しては勉強不足ですので、誤りなどがあればコメントにて指摘していただけると助かります。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?