氷河期世代の感じる不公平感と分断
氷河期世代と呼ばれる世代がいます。こうした世代の定義は扱うジャンルや内容によって異なりますが、ここでは以下の定義を満たすものとしておきます。
大卒の場合1970年4月2日~1982年4月1日に生まれた
高卒の場合1974年4月2日~1987年4月1日に生まれた
1993年から2005年に就職し社会に出た
2023年現在において40歳前後や30代後半から40代後半を迎える世代
これはWikipediaの情報をもとに定義しましたが、一般的には就職氷河期と呼ばれた人たちの多くを含むレンジとなっています。
氷河期世代の新卒採用状況
氷河期世代が厳しい扱いを受けてきたというのは私自身の実感でもありますし、様々な場所で語られる話でもあります。
しかし、一方で他世代とその実感が共有できていないケースも多いように感じます。
上の世代はバブル景気からの新卒採用は売り手市場、条件の良い企業から自分の行きたい会社を選べる時代だったと聞きます。
ところが氷河期世代の就職事情はそれとは全く異なる景色となっていました。
有効求人倍率は1993年から2005年まで1を割り、新規求人倍率は1998年に0.9まで下がったのです。
2003年には労働者派遣法が改正され派遣労働者需要が他業種に広まり、結果的に新卒採用の抑制に働き、これも就職状況の悪化に拍車をかけることになりました。
転職市場が未成熟な時代
氷河期世代は終身雇用が今よりももっと強く大前提の時代に外的要因によって新卒カードを活用できなかった世代であり、彼らの不遇な扱いに関してはは決して個人の責任によるものではありません。
ところが現代の若者はこうした氷河期世代に対して自己責任論を押し付けてくる傾向があります。(当時のバブル世代を含む現役世代は自己責任論にして氷河期世代を社会のお荷物扱いしたのを覚えています)
氷河期後の2009年のリーマンショック時には転職市場が徐々に生まれつつ時代となっていました。
そもそも氷河期を雇い控えしていたこともあり、業種によっては人手不足も発生していたからです。
その後は第二新卒といった言葉も生まれ、また就職をせず起業をするといった考え方も認知されるようになり、新卒就職絶対主義が崩壊しました。
若者の言う自己責任論、自助努力不足を責める姿勢は現代の価値観において選択肢を持ち得ているから言えるセリフであり、その当時には成す術がなかったという側面はきちんと認識する必要があるはずです。
(そうしなければ、今の若者も何らかの情勢の変化による不利益を自己責任論で片づけられる可能性があります)
生まれ年の運、不運が歴然とした差となる
私自身も1981年生まれのため、基本的にはこの世代の後半に含まれることになります。
この時代には氷河期後半で就職状況が厳しいことを理解していた学生は多く、2004年に卒業した大学の同期の就職先は公務員や警察官、官公庁などが多く、落ちた知人の多くも数年かけて合格していました。
一方で民間への就職を決めた場合、大手とは言えないメーカーなどが多かったように感じます。
私は幸か不幸か、2年卒業が遅れ2006年に大学を卒業したため就職状況がやや改善傾向にあったように覚えています。
教員志望の私はそこまで大きな変化はありませんでしたが、明らかに学部卒の学生の就職先のグレードが上がっていたのは印象的でした。
たった2年の差で彼らは何が違ったのでしょうか。少なくとも新卒段階においては彼ら自身には何の責任も無いはずです。
補償はなくとも、せめて認めてほしい
今現在、氷河期世代の中で貧困状態にある人もいますし、その人たちには個別に何らかの公的補助が行われているはずです。
氷河期世代全体が現在も不幸だとは限らないし、もはや世代というくくりで補償を求めるような気持ちもありません。
(おそらくは同世代の多くも同じ気持ちでしょう)
しかし、あの当時の世相や時代背景を考えれば、決して自己責任だけで片づけてよい話ではないでしょう。
氷河期世代を見捨てたこと、それが現在の婚姻率の低下や少子化に拍車をかけていること、せめてそれだけは社会全体でその認識を共有し、同じことを繰り返さないようにすべきだと思うのです。