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題未定という題のエッセイ【エッセイ】

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私のエッセイをまとめます。週1で更新予定。
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#教育

【題未定】数学教員に必要な力とは何か──早打ち型と詰碁型の狭間で【エッセイ】

 教員にどんな能力が求められるか、この答えは決して一意的なものではない。回答者が教員か、…

【題未定】課外授業の変質と大学入試のジレンマ【エッセイ】

 勉強をさせられる、と感じている生徒は少なくない。地方の私立学校の場合は特別進学クラスが…

【題未定】多様な指導方針と生徒の自立──共通テスト後の高校現場【エッセイ】

 共通テスト後のこの時期、学習指導に関しては様々な方針の学校がある。受験対策として授業を…

【題未定】「思考力先行」の弊害―教育現場で見過ごされる知識の不足【エッセイ】

 昨今の教育業界は「思考力」の極端な重視があらゆる場所、分野に及んでいるのは業界関係者な…

【題未定】文化祭の本質を考える:楽しさと教育的価値の交差点【エッセイ】

 ここ二日間、勤務校では文化祭が行われている。弊校の文化祭は各クラスが模擬店を出店するな…

【題未定】選挙で問われる教育:耳当たりの良い主張に潜む危険【エッセイ】

 先日、ある政党が衆院選に向けて公約を発表していた。内容としては消費税の廃止、社会保険料…

【題未定】学びのひな型を作る理由:教員としての問いと答え【エッセイ】

 教員という仕事をしていると「どうして勉強をする必要があるのですか。」という質問を受けることが多々ある。おそらく以前に数回noteで記事としても書いた記憶がある。  この質問の動機は勉強する理由を知りたいのではなく、勉強をしなくても良い言い訳を欲してのことがほとんどだ。したがってどんな正論も質問者の求める回答ではない。とはいえ、それで済ませて面白くないのも事実だ。だからこそ、真正面に受け止めてこの質問に回答するように心がけている。  こうした質問の回答を私は毎年変化させて

【題未定】大衆教育に「好きなことを極める」は適しているのか?【エッセイ】

 「好きなことを極める」という表現は従来の一斉型教育を否定するときに頻繁に聞くフレーズだ…