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【題未定】多様な指導方針と生徒の自立──共通テスト後の高校現場【エッセイ】
共通テスト後のこの時期、学習指導に関しては様々な方針の学校がある。受験対策として授業をフルに詰め込んで学習をさせる学校や、学習計画をサポートして個別指導と質問対応をメインとする学校など、地域や学校の特性、生徒の学力などによって多種多様である。
教員によってもその考え方もまちまちだ。フルサポートして志望大学に合格できるように手を尽くす人もいれば、最低限のアドバイスをするだけにとどめる人もいる。
どちらのやり方が正しいというものではない。教員側の意図も存在するだろうし、生徒側の状況や好み、向き不向きや相性もあるからだ。また目先のミッションが大学合格だからと言って、必ずしも志望校合格が最良の結末とも言えない。望まぬ進学先に進んだ結果、一枚も二枚も皮がむけて成長した卒業生も少なくない。要は正しいというやり方は存在しないということだ。
そうした意味では、この時期の高校3年生の指導場面では、教員同士でもそれぞれの哲学や教育方針が指導内容に最も反映される次期かもしれない。
高校教員は小学校のように学級担任が付きっきりでクラスを見るわけでもなく、中学校のように部活動や生活指導にかかりっきりになるというわけではない。したがって他校種の教員と比べて指導方針が可視化されにくい傾向がある。この時期はその点でも「興味深い」時期であると言えるかもしれない。
私の個人的な方針としては、この時期には可能な限り手を放すことを目標として指導を行っている。大学受験の直前期に、自分で管理、行動できない人間が大学に入ったとしても大成するとは思えないからだ
したがってそれまでの指導や声掛けはこの時期に自走するための布石であるとも言える。高校を卒業する前の段階で自己管理できる大人になって、卒業してもらうことが目標である。最後まで手取り足取りで高校卒業を迎えても、大学に入ってから、あるいは働き始めてから苦労するのが目に見えているだろう。
とはいえこの方針を手抜きや放任、無責任と批判する向きもある。その批判に対しては反論するつもりは毛頭ない。あまりにも考え方の軸が異なるのだ。理解しあえないのが当然なのだ。
逆に熱血教師を批判する気持ちも私にはない。その熱意とサポートで救われる受験生がいることも間違いではないからだ。ただ、そうした人だけではどんな場所も暑苦しくてかなわないだろう。多方向からのアプローチがあってこそ、取捨選択もできるというものだ。
高校3年生にとっては、そうした教員ごとの「個性」と「相違」を間近に見つつ卒業までの1か月を過ごす経験も、成長となるのではないだろうか、と慌ただしい職員室でコーヒーを飲みながら考えるのだ。