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[Lv.84]「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とも言うかもしれません。
こんにちは、shoです。
毎日投稿84日目になります。
小学生の頃買った漫画「ヒカルの碁」を最近読みなおしています。昨日で4巻まで読み終わって、僕のイチオシシーンが出てきました。
「君、碁を始めてどれくらいになるのかい」
ヒカル・サイ「…(ちょっと間があって)、1000年っ!」
ヒカルの碁の結末を知っているうえで改めて見るとホントに好きなシーン。
全巻読み終えたら、僕のヒカルの碁エクストリーム授業でもしますね笑
今日の記事は、研究室での活動を通して大事だなと思ったことについて。
結論から申しますと、無知の知です。
これに至った理由をぼちぼち話していきます。
僕自身修士2年になり、そこそこ知識が増えてきたのではと思っております。以前では教授の早口から繰り出される単語を理解できませんでしたが、今ではなんとかついていけるようにもなりましたし。
これだけなら「よかったね!」で終わる話なのですが
心のどこかで自分が修士2年であることに変なプライドがあるんじゃないかなと感じております。
理解はしてきてもまだまだわからないことだらけ。
でも、今更こんな簡単なこと聞けない。後輩に対してわからないって言えない。
そうこうしていくうちに、自分はわかっていないのにわかっていると感じることが多くなった様な気がします。
これが原因でどうやら思考は止まってしまうようです。
ですので、僕が今後思考を止めないために自分がわかっていないことをわかっている必要があります。
つまり無知の知である必要があります。
ちなみに無知の知を検索にかけると以下のように出てきます。
無知の知-考えるには「自分はバカだと思う」ことから
哲学の父とも呼ばれるソクラテスは「無知の知」という考え方を基本としました。文字通りの意味は「無知であることを知っていること」が重要であるということです。要するに「自分がいかにわかっていないか自覚をせよ」という事です
自分がいかにわかっていないか自覚をせよ。謙虚さを常に持つために必要な考えだと思います。考えることの第一歩として自分が何も知らないことを理解しないといけません。
また、これは思考を止めないだけに留まらず、他人の意見を受け入れるためにも必要なことであると思います。
自分の考えが正解、正義、全てではありません。
話は逸れますが、今日たまたま地元のバスの広告に目が行きました。かなり力強い方言が使われていたのですが、身バレしたくないので方言は除いた表現をします。
「正義は必ず勝つけど自分だけが正義と思ってたら足元救われるよ」
ホントその通りやと思います。
まとめると、
・思考を止めない
・他人の意見をうけいれる
以上を実行するために、無知の知を理解していきます!
-今日の音楽-
ありがとうも
さようならも
此処にいるんだよ
先日の紹介したアンコールみたいな雰囲気?
春夏秋冬、優しい一曲。
ちなみにこの楽曲の読み方は、歌詞の通り「はるなつあきふゆ」でいいのでしょうか。
最後までお読み頂きありがとうございました。