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「2024年の上半期を振り返る」

毎年この時期になると言っているが、もう1年の半分が終わったのかと。

2024年の上半期は、2023年の年末に描いていた日々とは、まったく予想もしていなかった日々を過ごしている。

各月ごとに色々なことがあったし、決して順風満帆ではなかったし、すごく感情が揺れ動いた日々であった。

そんな2024年上半期も1か月ごとに振り返っていきたいと思う。

■精神的に追い込まれた1月

新年早々、大切な人とお別れをすることになった。昨年の10月からお互いの生活環境が変わり、少しずつすれ違っていくことが増えた。

人生で初めて、好きな気持ちがあるのに自分からお別れを切り出した。年齢を重ねていくことで、様々なことが関係性に影響を与えるのだと。ただ好きなだけでは難しいのだと。

お別れをした次の日から新しい会社でのスタートが始まった。仕事100%で頑張ろうという気持ちで転職をした。

しかし、予想以上のロングワークな環境と自分自身への期待値とのギャップがあり、毎日何のために働いているのかわからなかった。

今までは休日にリフレッシュをすることができていたが、休日や夜遅くでも働けてしまう環境に体と心がついていかず、たった数週間で仕事に行くことができなかった。

布団から一歩も出ず、ご飯も食べずという日が最大3日間も続いたくらいだ。人生で一番布団の中にいた1か月だっただろう。

そして、1月中盤から休職をし、地元へ帰った。

■周りとの比較で自分を追い詰めた2月

実家へ戻り、何もない日々を過ごしていた。最初はとにかく体と心を休ませるために起きて、ご飯を食べて、寝ての生活。

昼前後に起きる生活が続いていたが、少しずつ朝も起きれるようになり、人間らしい生活を送ることができた。

2月の当時は、すごく自分自身のことを責める日々が続いた。

「みんなみたいに普通の生活ができないなんて」
「普通に週5回働くこともできないのか」
「みんなは働いているのに、自分は何をやっているのだろう」

自分はできる人間だと、学生時代まではずっと思っていたからこそ、こんな生活をしている自分に心底嫌気がさした。

みんな当たり前のように出来ていることが、自分には出来ない。たったそれだけのことに、自分自身を必要以上に苦しめた。

心と身体を休ませることで、少しずつ状態は回復していき、友達にあったりどこかへ出かけたりとできる状態までなりつつあった。

■今後について葛藤し続けた3月

3月に入ってからは、基本的に朝起きれることができ、定期的にジムに通って体を動かしていた。

2月はジムに行くこと自体が億劫になっていたにも関わらず、3月はジムに行こうという活力が少しずつ湧いてきた。

生活習慣がある程度戻り、今までの普通の状態になりつつあった。

この時くらいから少しずつこれからどうするかということを考え始めていた。また東京に戻り、今の職場に復帰するのか。それとも、東京を離れ、地元に戻るのか。

もちろん復帰し、今の職場に戻ることで成長できることはたくさんあると思っていたし、ここで逃げたくはないという気持ちがあった。このまま何もできない状態でいいのだろうかと。

そんな気持ちは裏腹に、復帰をし、働き続けられるイメージも湧かなかった。復帰しても働く環境は変わらないからこそ、また復帰してすぐに休むことになるのではないかと。

会社のフェーズとしても今から急成長していく段階であり、ある程度のハードワークは求められる。果たしてそこに自分はついていけるのか、不安しかなかった。

今までお世話になった人生の先輩達に、話を聞いてもらったりアドバイスをもらったりしていたな。

3月は今後についてたくさん思考し続けた1か月であった。

■決断をした4月

オンライン・オフライン含め、いろんな人に会いまくった1か月であった。改めて自分自身は素敵な人に恵まれていると感じた。

いろんな人と話しながらこれからの自分はどうしていくかを決断した月でもあった。

3か月の休職をし、4月末で退職することに。社会人になってから、東京での生活。丸2年で東京を離れることに。

たった2年ではあるが、楽しいことも悲しいことも寂しいことも嬉しいこともたくさんあった。間違いなく自分の人生において、東京に住むという経験ができて良かった。

東京は間違いなく日本の中心である場所だと感じたし、京都を一度離れたことで、さらに京都の良さを感じることができた。

この2年で本当にたくさんの人とのご縁があった。東京に住んでいるからこそ、出会うことができた人ばかり。そう思うと、東京での生活も充実していたのだろうと今では思う。

今後をどうしていくかが、少しずつ見えてきた1か月でもあった。1社目でお世話になった方とオンラインで話し、自分の求めることを加味した上で、「人力車とか良いんじゃない?」と提案してくださった。

提案された当初は、何を言っているんだと思っていたが、時間が経つにつれ、 もしかしたらめちゃくちゃいいかもと感じ始めた。

4月で会社を辞めることを決めてから、人力車をやろうという気満々で京都に戻った。

■新たな一歩を踏み出した5月

東京から京都に戻るまでは、人力車をやる気満々であったが、いざ京都に帰り、本気で考え始めると、果たして本当に出来るのだろうかという不安になり始めた。

頭でいろいろと考えていくことで、新しい一歩が踏み出せず、停滞している日々が続いた4月末。

もう行動するしかないと、腹をくくり、求人に応募した。そして、すぐに面接の日程が組まれ、採用していただけることに。

5月の中旬から研修が始まった。もともとは人力車とオンラインでできる仕事、そして、個人でやっているコーチングをしていこうと考えていた。

しかし、人力車をやり始めてみると自分の想像以上に奥が深い仕事であり、プロフェッショナル性の高い仕事だと感じた。

そこで一旦は人力車に集中していこうという気持ちに。正直、この時もたくさん悩んでいたが、今思うとこの選択をしてよかったと感じている。

改めて京都に戻り、今までとは全く違う仕事をすることになり、もちろん不安な気持ちもあったが、それ以上にワクワクする気持ちが大きかった。

5月は新しく仕事を始めたり、タイミーを使ってみたりと、いろんなことをやってみた1か月であったのかもしれない。

■ひとつ皮がむけた6月

6月に入り、週3~5回人力車をやる生活へとなった。自分が入ったタイミングで学生含め、10人くらいの同期がいた。

ありがたいことにその中に同い年の人が2人もいた。

その2人は自分よりも早く研修を終え、デビューをしていたし、一緒に研修を受けるのは5個以上も離れた学生ばかり。

そんな状況の中で、いつもの自分の思考の癖になっている他者との比較をすることが増えた。今までならずっと負のスパイラスが回り始めるが、今回はそのスパイラルから自力で抜け出せることに。

他者との比較や自分を良く見せようという気持ちが強かった。その考えは自分自身を生きづらくさせ、苦しむだけだと。

やっとその思考に自分自身で気付き、抜け出せることができ始めたのかもしれない。

まだまだ始まったばかりではあるが、ありのままの自分を受け止めて、できない自分でもいいんだと、自分に優しく生きることを意識していきたいと思った。

■最後に

2024年の上半期はとても濃い時間であった。今だから振り返ると良い経験をしたなと感じるが、当時はとてもとても苦しく生きていた。

少しずつ自己理解も深まり、ありのままの自分自身と生きていけそうだ。

下半期も何が起こるかわからない。もちろん期待しているし、最高の日々を過ごしたいと考えている。

どんなことがあっても自分の人生を良くしていくのは、自分自身。自分が変わらなければ、何も変わらない。

自分のペースでゆっくりと前に一歩一歩進んでいけるような下半期へと。

本日も最後まで読んでくださりありがとうございました!!!

【今日の格言】

あなたの人生を支えるものは、
大切な人と必死に生きた過去と
ほんの小さな幸せ。




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吉治祥吾 | ココいまを大切にする習慣化コーチ
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