【~連載~静岡の歴史を学ぼう235】Was the Higashi Gomon in Sumpu Castle built for practical use? Part1駿府城の東御門は実践向きに造られたの? パート1
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上記の写真は駿府城東御門、静岡市の提供によるものです。
築城名人として名高い藤堂高虎により駿府城はデザインされました。江戸幕府がその基礎を固めた時期、駿府城にもある「桝形門」が他の城にも多く採用されていました。再建された駿府城の東御門を見ながら、この時代背景を考えるとより興味深く思えます。
Was the Higashi Gomon in Sumpu Castle built for practical use? Part1
駿府城の東御門は実践向きに造られたの? パート1
Higashi Gomon was reconstructed in 1996 based on historical records on Sumpu Castle.
東御門は駿府城の歴史的文書に基づき、1996年に再建されました。
This castle was built from 1607 to 1610 when Lord Ieyasu exercised strong power in Japan.
この城は1607年から1610年にかけて建てられ、その時家康公が日本で強い勢力を行使していました。
However, this gate structure suggests that the Edo feudal government wanted to prepare for battle against potential threats mainly in the West.
しかしこの門の構造は江戸幕府が主として西にある潜在的脅威に対抗して戦いに備えたかったことを示しています。
The primary purpose of the Higashi Gomon was to showcase the shogunate's ultimate political power.
東御門の主要な目的は幕府の最大の力を誇示することでした。
At the same time, it was also utilized as a facility for military actions.
当時、この東御門は軍事的施設としても活用されました。
This entrance system had some characteristic points as the military facility.
この入り口のシステムには軍事的施設としてのいくつかの特徴があります。
First, there was a ‘kill zone’ to attack invaders intensely.
第一に、侵入者たちを徹底して攻撃する「キルゾーン」がありました。
Even if they entered the front gate, they got stuck in the square-shaped area.
もし仮に正門から入ったにせよ、彼らは正方形の形のスペースにハマってしまいました。
The second gate connecting Ninomaru area was closed.
二ノ丸につながっている2番目の門は閉じられていました。
The invaders were surrounded by soldiers with arms above them.
侵入者たちは階上から武器を持った兵士たちに取り囲まれました。
The watch gate building had two types of spots for attacking invaders below.
階下にいる侵入者を攻撃するため、二つの種類の場所がその櫓門(やぐらもん)にはありました。
From its rectangular slots, rocks could be dropped. In addition, shooters could shoot from its windows.
長方形の隙間からは岩が落とされました。
In addition, shooters could shoot from its windows.
さらに、狙撃者たちはその窓から銃を撃つことが出来ました。
参考資料:リーフレット「駿府城は実践向きな城?!家康の攻防の工夫を要チェック!」静岡市発行