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プロジェクト発足 学校法人『思索の蒼穹』創設計画

 日本の政府は間違っていると思えてなりません。
 
教育改革、COVID-19対策、公的資金の不正使用、公職選挙法違反、中抜き問題、Go to キャンペーン
 
何もかもがでたらめとしか思えません。

『学際融合学科』の創設なるニュースも出てきました。

おそらく、『学際的』ではないメンバーが、よってたかって方針を決定しているとしか思えません。

バイリンガルにしろ、トリリンガルにしろ、ベースとなる母国語がしっかりしていなければ、まともな論理思考など困難でしょう。読書がままならなければ、独学も困難となります。

バイリンガル、トリリンガル、それ以上の言語を扱う方が優れているのは、母国語でない言語を、高い母国語の能力と同等に扱えるところにあるのだと考えます。

また、どうして『学際的』になる必要が叫ばれているのでしょうか。歴史上の優れた偉人達は『哲学者』として現在知られています。これは偉人達は『哲学』を学んでいたというよりも、現在 経済学、教育学、医学、科学、建築学、といったおよそ人間が学問の対象とするものの全てが「哲学」に含まれていたからではないでしょうか。「哲学者」=「並外れた知識人」といったところでしょうか。

時代が進み、技術の進歩とともに、それぞれの分野の専門知識や特殊技術が増える中で、全てを包括的に会得することが困難となり、それぞれの分野に特化するのが自然となってきました。

しかしながら、専門性を追い求めると、その他の分野にうとくなり、物事を多角的に広く視るための視野が狭まってしまいます。そんな状況を反省し、『学際的』であることの重要性が認識されてきたのではないでしょうか。

学ぶ上で『広く深く』は理想です。しかしながら『広く深く』が困難だったから仕方なく『狭く深く』になったのが現在です。そこに来て、母国語の理解力が乏しくなったり、読書習慣がなくなったりと、『狭く深く』も困難となってきています。そのような状況の中で、いきなり『広く深く』を学ぼうとしても『広く浅く』、しかもおそろしく浅い学びになってしまう気がしてなりません。

そもそも、『学際的』に教えられる教育体制を整えられるのでしょうか。

現在、有名国立・私立大学の入学者は特定の国立・私立高校、有名進学塾出身者に占められています。つまり、数ある国公立・私立高校の多くで実のある授業が行われていないということではないでしょうか。

本末転倒な例は至るところにあります。たとえば『課題図書』です。本を読む習慣がないからといって、『夏休みにいきなり課題図書の中から一冊を選んで、読書感想文を書いてこい』。こんなことがまかり通っていいのでしょうか。野菜を絶対食べない子どもに、「夏休みに野菜食べてこい」というのと何が違うのでしょうか。

読書は習慣化してしかるべきです。しかも、読書は本来楽しいもののはずです。私自身、こんなにダラダラ書いて、書評みたいなものを書いてみたりしてますが、学生の時は読書感想文が大嫌いでした。あらすじと、最後の数ページを読んで、適当に話の筋道が通るようになったら、感情を表す言葉を数語まぜて完成でした。

むしろ、夏休み前に、読書をする習慣をつけ、その流れで夏休みにじっくり読んで、書くというのが普通なのではないでしょうか。

自分達はろくに教育もしないで、「次に会うまでに(自分たちが見ないうちに)苦手分野を克服してこい」というスタンスがしみついてしまっている気がします。英語、国語、数学、理科、社会。それぞれの科目の先生が、自分達の科目を子どもたちが興味を持てるように楽しい授業をすれば、自ずとそれぞれの分野での知識が深まり、学際的になれる気がしてなりません。

必要なのは、「広い分野の知識を押し付けようとすること」よりも、「一つ一つの基本となる科目をしっかりと学び、異なる分野間にみられる共通点や他の分野にも活かせそうなポイントを煮詰める」ことで、「自然と学際的になる」ことではないでしょうか。

 
元々私の夢は医療法人ならびに、私設図書館の創設でした。
 
私は論語および孔子の思想は非常に素晴らしいと考えています。
 
そんな孔子も、生前には役職にめぐまれず、為政者を正しく導くことはできませんでした。
 
私が政治家になれるとも思えませんし、なれたところで日本を変えられるとも思いません。
 
しかしながら、どんなに小さな声でも、その思想を唱え続けていけば、それを受け継いでくれる人たちが出てくるかもしれません。
 
また私は「読書の重要性への認識」が高じて「本屋」となりましたが、本代もばかにはなりません。
 
本は最高の投資とはいわれますが、背に腹は代えられないこともあります。そんな時に頼りになるのが図書館です。
 
今は私自身に経済的余裕がありませんが、図書館を創設できれば、私がおススメする本を誰もが手にできる状況を創り出すことが可能となります。
 
そして、「政府は間違っているのか」「政府は正しいのか」と悩む前に、私の足元から「何が正しいのか」「どうするのがいいのか」を考えていきたいと思うようになりました。
 
儒教でも、広く世の中を良くする前に、まずは我が身、そして家族、村、町と、段階をおって治めていく必要があると説かれています。私の身や、私の家族が治められずして、人をひきつけられるはずもありません。
 
本屋すらろくに運営できてないのに、学校法人など夢のまた夢です。でも、なんとかしてみせます。
 
まずは私の身、そして私の周りから、何かを始めてみたいと思います。現時点ですぐに何ができるというわけではないのですが、このような考えにご共鳴いただける方がいらっしゃいましたら、メッセージをいただけると幸いです。
 
年齢、性別、ご職業など、一切関係ありません。
 
「日本はどこか間違っている。何かを変えたい、変わりたい」
 
そんな方のメッセージをお待ちしております。
 
おそらく現在の私の力だと、誰もひきつけられないでしょう。
 
10年
 
資産運用をなんとか成功させ、10年以内に資金を工面しようと思います。そしてそれでも発言力に乏しいようなら、東大文Ⅰリベンジ(経営・経済を重視するなら文Ⅱの方がよいのでしょうか)を果たすべく受験勉強を再度行い、アイビーリーグ留学等も視野に入れようかと思います。
 
東大を出たからどうこうというものでもありませんが、肩書の力はあると思いますし、何より東大内で同じようなことを言っていれば、何か動きもつくれるでしょう。
 
大ぼらに聞こえるでしょう。
 
大ぼらになるかもしれません。
 
しかしながら、目指せば可能性は0ではありませんが、目指さなければ確実に0です。
 
そもそも高卒で営業をやっていた人間が、なんだかんだで医師になることができました。
あまり社会で評価されることはありませんが、何気にアメリカの大学で生物学、心理学の二つの専攻も履修し終えています。
 
しかもただの本好きが高じて、売上はともかく、本を売れるよう取次業者の方々と契約を結べるようになりました。
 
私の考えることなど、たかがしれています。私の夢など、しょせん私の考えられる程度のことです。
私の考えられる程度のことなど、叶えられないものではありません。
 
同士になっていただける方からのメッセージをお待ちしております。
 
え!?なんてメッセージすればいいのかですって!?
 
「同志希望」でも「わたしだ」でもなんでもokです。

私達ならできるはずです。
 
あ、本の押し売りとかは絶対しないので、そこはご安心ください。
本は売れるにこしたことはありませんが、最悪売上0でもいいかとすら思っています。そしてこのままいけば、「0」で終わるかもしれません。

その分、投資は頑張ります。

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