少年たちの夏休み
水槽の中で泳ぐメダカさん達
大樹の皮を登り降りしているアリさん達
水槽の中の水さん
アリを宿す大樹さん
水槽さん
大樹が根ざす土さん
取り巻く空氣さん
それぞれ見た目に違いますが、
皆一様に歓んで生きているように僕には感じます😊
【それぞれの使命を全うしている】
それを今の僕が換言すれば・・・
【自己満足している】
となります🤗
『樂しんだもん勝ち』
というのは
他者に勝つことではありません。
他者との比較の上で勝ち負けというのは決めきれないものです。
比較は参考程度にしかでき得ない。
ではどのようにして樂しみの勝敗を決するかと言えば、【自己満足の度合い】です。
人生とは【自己満足を極めるもの】
一人で生まれ
一人で死に逝くことを思えば
【幸せ】とは【自己満足のこと】。
人は【幸せの追求】をして
【人生を極めよう】とします。
人によって
【自己満足】(幸せ)の価値観が異なります。
それにより、幸せという向かう道のゴールが変わってきます。
この異なりが
人生の異なりとなります。
全く同じ人生を生きている人など一人もいないのですね。
それはやはり
一人で生まれ 一人で死に逝くことを表しています。
『周りの人も幸せにならないと
自分も幸せではない。
全人類が幸せではないといけない』
実は僕というのはこれでも、
この意識で幸せを追求してきたつもりです。
しかしながら
やはり幸せへの価値観の違いは千差万別で
同時に完璧に幸せにというのは難しかったですね。
『北斗の拳』という漫画のラオウ。
彼は世紀末の世において
闘いを通して幸せを追求した人です。
彼は最後、闘いに敗れて死に逝くのですが、
その最期の時に
仁王立ちして拳を天に突き上げて
『我が生涯に一片の悔いなし‼️】
と叫ぶのです。
ラオウにとって
闘いの勝敗という結果
や
死に逝く現状に
彼の幸せな生涯というのは左右されていません。
彼にとって
ラオウの生涯は幸せなものだったのですね。
だがしかし、
僕はそのような幸せの追求はしないしできない訳です。
『ONE PIECE』の“Dの一族“は
死に逝く時に笑うのです。
どんなに最悪な死に方であろうとも
必ず満面の笑みで笑う。
幸せの価値。
幸せな人生とは何か。
僕が思うに
それが【自己満足】ということになります。
ラオウにとって
彼の人生が幸せでした。
彼は幸せをとことん極めようとした。
その結果、自己満足して生涯を終えました。
“Dの一族“もまた
【幸せの追求】をやり切った。
命を賭けてやり切った。
微塵の疑いなく。
結果ではない。
現状ではない。
【心の充実】
それが
【自己満足】
とすれば
何も死ななくても・・・
今すぐに・・・。
【自己満足】の積み重ねが
聖長の過程だと定義したならば・・・。
僕は心の中にインナーアースを天地開闢しました。
そして
インナーアースに天孫降臨したんです。
いくらでもインナーアースに住人を産み出せる僕がいます。
天地創造から一人でしていますから。
そのことがかえって
“一人で生きなくていい“
という答えにもなりました。
一人で生まれ一人で死に逝きますから。
そのことがかえって
“一人で生きなくていいし、一人で死ななくていい“
という答えにもなりました。
全ては両翼です。
“一人“とは“みんな“のこと。
天孫降臨の自覚を持てば持つほどに
『樂しまなくちゃ😆』
と他者など良い意味でどうでも良くなりました🤭
だって【自己満足】(幸せ)とは
他者との勝敗の結果じゃないですから。
最近、少年時代の夏休み中の心の感覺や頑張ろうと思う氣持ちを当時のままに思い出すようになりました。
幸せの価値観は
一人の人生の中でも変わる時があります。
時代の転換期があるくらいですから
一人の人生にも
大きな転換期はありますよね。
人生とは
【幸せという宝を探す冒険】
とも言えます。
この場合、宝の在処がゴールでしょうね。
冒険している方が安心なんです。
宝に向かっていますから。
冒険している方がやすらげるのです。
宝に向かっていますから。
安全地帯で、
さらには核シェルターに籠っていても
それは僕にとって
安心でもやすらぎでもありませんでした。
僕の人生でも
幸せの価値観は変わりました。
僕は皆んなを核シェルターに閉じ込めようとしていたんだなって。
それが幸せだから、と。
僕は今、夏休みの感覺です🌻
夏休みには
カブトムシを探して山中に。
リュウグウノツカイに会いに海の中へ。
のっぺらぼうが出るという夜の十字路へ。
涼やかな畳の上でたくさん昼寝して。
懐かしい人たちに電車に乗って会いに行く。
少年の夏休みは冒険だ‼️😆
聖長のかけらは冒険の中にある💎✨
幸せも樂しみも
安心もやすらぎも
全て夏休みの冒険にある🍉🏝️
この天地とは冒険の為に創られた。
冒険者こそ命ある者たちだ。
相撲の横綱の別名は力人(ちからびと)。
力人という神になるから
横綱も紙垂も人間が身に纏えるのです。
ですからね。
相撲とはスポーツでも武道でもなく
神事なのです。
力人(ちからびと)とは
地空人(チカラビト)。
空とは天のこと。
相撲の世界が壊れたのは
老若男女が遍く天地人そのものとして
冒険して下さい
というメッセージです。
もはや
古い慣習という常識に囚われず、
良き伝統を残しつつも
新たなものを創って行く時代。
その担い手は地空人たち。
横綱とは王とも言えます。
王として地空人として
僕らはいざ行かん。
時代の転換期。
この
➖神風の時代➖に
僕らは両翼で風に乗るのです。
地に足をつけながら
空を飛ぶように冒険する。
それが僕たちの眞の姿です。
最後までお読み戴き
ありがとうございました😊
またねっ👋
チャオ❣️🤗
祭統 白宇
SHIR㊉W