最悪も最愛も一瞬も永遠も
この命の愛と罪
愛が片翼
罪が片翼
愛と罪で両翼
というのは
罪とは未成熟で無知ゆえの小さな僕
蟻の列を無邪氣さで踏んでしまうような
幼い僕のこと
その片翼の罪から
もう片翼の愛へと育てることで
両翼は大きく広がる
ですから
愛を知るには
罪を知らなければならないのです
自分の至らなさという罪を
たくさん見つけ、多く見つめればこそ
それと等しく
たくさんの愛を見つけ、多くの愛を見つめることとなる
両翼の大きさを広げること
そのことにより
この命は大きく翔ける
自分の罪を見出す勇氣が
愛を大きく広げる
それが魂の聖長
大きく広がった両翼を動かす勇氣
それがこの命を動かす
愛と罪の智慧を行動に移す勇氣
それが
豊かな人生、幸せな人生を生きることになります
愛と罪の眞ん中に自分
父と母の眞ん中に自分
自分は男性ですから
男側の片翼から
女側の片翼へと學びを進める
自分という男の片翼を見つめる勇氣は
もう片翼の女側を見つめることとなったから
男と女とは自分として同じもの
それは
父という男と母という女の間に自分が誕生したわけですから
僕とは男と女でできているということにも繋がります
ひいては
僕の中の男性性と女性性の統合が聖長に
そして
僕の中の父性と母性の調和が聖長に
ということにも繋がっていきます
太陽と月に見守られる星
太陽の志
月の享受
月とは女性性
女性性とは陰
陰とは罪
罪とは闇
“闇に飲み込まれる“と言うけれど
それは
“闇という女性性が受け容れてくれている“
ということ
女性性が飲み込んでくれているから
ネガティヴなままで生きられる
どんなに苦しい罪でも陰でも
どんなに苦しく辛い人生を“今“送っていても
女性性が受け容れてくれていればこそ
この命は生き続けていられるのです
哀しむ女性性を見つけるには
哀しむ女性性を見つける勇氣
女性性が受け容れてくれた苦しみを見つめる勇氣
そして
女性性の泣き顔を笑顔にしようと志す
それは男性性の目覚めと自覚
自分の女性性に氣付くことは
自分の男性性に氣付くこと
故に
男性性と女性性はワンネスと言えます
その特徴の違いをここでは述べておりますから、
“同じもの“
と僕が言ってしまうとややこしくなるので、それぞれの違いを認めた上でのワンネスと言いますね
➖自分自身というワンネス➖
つまりそれが自己統合となります
ありのままの自分には
罪としての自分という
目を逸らしたくなる自分がいます
それは勇氣を持たないと
悲しむ女性性のままです
女性性(八)とは現実のことですから
現実の自分は悲しんだままということになります
それが人の不幸の原理です
“大切なもの程、見ていない“とは
悲しむ女性性(八)を見ていないということです
ありのままの自分を見ていないということになります
男性性とは火(か)
女性性とは水(み)
両翼で神(かみ)
水が受け容れるとは
水が飲み込むとも言えます
そして
水の中で一体化する
受け容れるのも
一体化するのにも
時間がかかる
女性が男性を受け容れて
精子を自分の中で一体化して
生命を産み出すのには時間が掛かるのです
このような女性性の性質を思えば
聖長に焦らなくなるでしょう☺️
男性性優位の人はせっかちです
聖長に掛かる時間を待ちきれない
火ですから着火したら燃え上がるのに時間が掛からないのですね
待ってあげるのもレディ・ファーストです
女性を待ってあげられる心の余裕は
男の心意氣と比例します
僕の母は今尚、不平不満ばかり
不幸を他者や環境のせいにして今も不幸のど眞ん中
僕が子供の頃は
夫(僕の父)のせい
田舎出身のせい
時代のせい
夫の身内や先祖のせい
學校の人間たちのせい
近隣住民のせい
離婚してからは両親(僕の祖父母)のせい
両親が亡くなれば
妹(僕の叔母)のせい
そして今は
経済的に自立できていない僕のせい
これでも僕なりに精一杯
母を幸せにと思って生きてきたつもり
確かに
母を幸せにすれば僕も幸せになれる
という僕自身の幸せの為に生きてきた部分もあるだろうけれど、それでも僕は母に尽くしたつもり
でも母はずーーっと幸せにならない
僕は母一人幸せにはできなかった
一人の女性を幸せにできなかった
【他者は変えられない】
というのは
《聖長するのは他者だから》です
子供の身体的成長をサポートはできても
子供の身体的成長は子供の身体自身が行うもの
他者を蝶々とすれば
イモムシの蝶々にエサを与えてサポートしたり、
サナギを温かな眼差しで見守ったりはできますが、
蝶々自身にはなれない
成長とは蝶々自身がするものですから
幸せになる過程が聖長の過程だと僕は思っております
【(母という)他者を変えられない】とは
【(母という)他者本人が幸せになる】
という当たり前のようなこと
イモムシ自身が蝶々にならなければ
他の誰も蝶々にはなれないのです
幸せとは個人の価値観によるものですから
平たく言えば
【自己満足】の世界です
ですから
他者の幸不幸を自分には決められないのです
他者を幸せにしようとすることが
大きなお世話になることがあるのです
僕の主観で見れば
プロレスラーみたいな仕事は不幸に映ります
しかし
プロレスが好きな人は多くいます
僕が他者の幸不幸を決められない
たとえ
プロレスレスラーが指の骨を折られても
それは本人が望んだ幸せなのです
その残忍なリングの光景を観て幸せだと思う他者も多くいるわけです
➖僕には他者を幸せにできない➖
母に愛はあります
プロレスラーにも
プロレスファンにも
なんなら
僕よりも遥かに情熱的な愛を持っておられるかもしれません
その情熱的な愛の結果として
母の不幸と僕への虐待
プロレスラーの残忍性
プロレスファンの悪魔的な期待
があるのなら
それはやはり僕の幸せや愛とは異なります
よって
僕の口から愛という言葉でワンネスとは言い難いのです
ですから
僕は言うのです
➖全ては天之御中主という子供だから➖と
子供とは➖子宝➖です
宝という価値があるのです
それは
存在するだけで価値あるものです
なぜそうかと言えば
存在しているとは生きているということですから、聖長を遂げている未來があるということになります
聖長の過程として未成熟な今があるということです
【命】の尊さを思います
【命】というチャンスに感謝を思います
聖長を待つのも親の役目
待ってあげられる余裕を
女性性を待てる心意氣を
長くなりましたね😌
街行く人たちに半袖の人が少なくなってきました
僕はリサイクルショップで長袖を売り払ってしまったので半袖しか持っていません🤣
僕が望む幸せはお金を必要としない世界
お金で苦労しないくらい稼いでしまう
とか
潤沢な不労所得とかではなく
お金がない世界が理想です
でも今はお金が必要な世界にいて
お金を必要としている僕がいます
仕方ありませんよ
宇宙も世界も僕もあなたも
皆んな天之御中主ですから
皆んな未熟な子供なんです
希望を持って今を生きよう💫
最後までお読み戴き
ありがとうございました🍀
またねっ👋
愛と勇氣と希望を胸に
愛と勇氣と感謝を込めて
祭統 白宇
SHIR㊉W
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