悲願の新月から満願の満月へ
人樣からの良くも悪くも評価を得やすい
たとえば
仕事ですとか
學校ですとか
を僕は《表》として見ています。
人樣から見えにくい為に
良くも悪くも評価を得にくい
たとえば
家族団欒ですとか
親子関係ですとか
充実した性生活ですとか
を僕は【裏】として見ています。
僕の場合は
《表》のみの世界を強く意識して生きてきたのですね。
たとえば
親子関係という【裏】を良くする為に
學校に頑張って通う《表》ですとか。
たとえば
充実した性生活【裏】を送りたくて
仕事を頑張ってお金を得ようとする《表》ですとか。
あくまでも僕の場合となりますが、
僕の幸せとは【裏】に本懐が在ります。
・家族団欒という愛
・親子関係という愛
・充実した性生活という愛
と言い換えられるものばかりなのですね。
《表》というのは
誰の目にも見えやすいものです。
ですから
多くの人たちの目に止まるが故に
“常識“とは作られて守られるのです。
【裏】というのは見えにくいもの。
多くの他者の目だけによらず
自分自身の目でも見えない場合が多々あります。
これは體でも同じです。
自分の後頭部や肩甲骨など
自分の目で直接には見えないものです。
【裏】というのは他者に関与されにくい私生活。
私生活の幸せを僕は求めて生きてきた訳です。
そして
私生活というのは日常にありますから
【日常が大切】とよく言われるのですね。
このような私生活や日常という言葉を
僕なりの言葉に翻訳すると
【裏】となる訳です。
ここから僕なりの言葉で
さらに深掘りしていきます。
天照大御神は《表》
月読尊が【裏】
この二柱とは同一と僕は解釈しております。
つまり
他者の目にも見えるもの
《體や顔や役割り》が
《表》としての天照大御神(女性・八)
他者の目には見えない
【心や欲望や志】が
【裏】としての月読尊(男性・三)
となり、
一人の人物に在る【裏】と《表》を表しているのだと。
古事記で
月読尊が事件のその後に登場しなくなることや
昼と夜に別れた事などは
自己嫌悪・自己分離からの自己愛・自己統合や
スピリットとマインドの仕組みなどを
次世代に生きる僕らの為に記し残してくれた
大いなる遺産なのです。
僕は背中という【裏】を見るのが好きなんですね。
それはたとえば
神社の狛犬さん達も後ろ姿を愛でるのが
僕は大好きなので、必ず後ろから見させて戴きます。
手水舎の水龍さんも必ず後ろから愛でます。
僕は【裏】を見るのが好きですから、
人の《表》には無い
【裏】を見るようにもなりました。
人の《表》は《常識》として在ります。
僕は既存の《表》というのものに
自分の幸せを見出せません。
僕の幸せの本懐とは
やはり【裏】にこそ在るのですね。
僕が以前に書いたエッセイでは
常識的には
一般的に立場が上の助ける側の偉い医者《表》が
助けられる側【裏】に
礼儀を踏まえ丁寧に話をする話を記しました。
さらにこの時のいわゆる偉い先生(医者)は
既存の常識である教科書《表》に縛られていないのです。(以下にそちらの記事を添付)
また、
僕は前職で出逢えた武道の先生に
僕の求めるものを見ました。
僕が見た僕の求めるものとは
先生《表》が
生徒【裏】に対して頭を下げてお見送りをする光景でした。
これらが何を意味するかと言えば
次世代に生きる➖子宝➖への敬愛なのです。
可能性への尊敬を表しているのです。
そしてね。
既存の常識から見れば
先生や師匠とは見上げるもの。
年齢的に実力的に能力的に立場的に
上と一般的に見なされるものは見上げるもの。
天の神樣も
今は亡きご先祖樣も
太陽も月も星も見上げるものです。
天皇という《表》の象徴も見上げていますね。
僕は見上げることに
違和感しか感じなかったので、
見上げられる立場にならぬよう
下に下にと降りていきました。
僕に子供があれば
子供や子孫から見上げられかねないし
教師になっていれば
生徒から見上げられかねない。
地位を得ていたら
下の者たちから見上げられていた可能性を思うのです。
こうなってしまえば
僕はなんだかんだの幸せみたいなもので流されて終わっていたとも思えるのですね。
それでね。
僕は上になって支配したくないあまり、
自分を徹底的に下げる事で
支配する側を回避して
出逢う人全ての背中を見てきたのです。
下の立場から
僕から見ると上になる
あらゆる命の後ろ姿だけを見て追いかけて來たのが僕の人生でした。
僕というのは
眞に他者に感服して下に付いていたのでは在りません。
僕自身が支配する存在になりたくないので、下に付いていただけなのです。
このことによって
あらゆる全ての後ろ姿【裏】を僕は見られたのです。
今までの世とは
愛が常識的なもの。
それは
創造主というの愛の化身みたいな上としての神樣の概念も
僕の命の創造主という上としての親や御先祖樣からの愛の思いも
一般的には下の立場として
享受しなければならないものでした。
これが幻想で在り
この幻想をモデルとして
人間は幻術をかけるマインドを連綿と受け継いでいるのです。
今日の朝、
スーパー銭湯に向かう時の街の物凄い濃霧で、
スチームサウナとしては最高の濃霧の中で、
先程の夜に汗をかきたくて
初めて換気扇を付けずに自宅の風呂に入って
部屋中が濃霧に包まれて
僕はその自身のスピリットからの力強いメッセージを受け取り目を覚ましました。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
人は
眞実逃避をしている。
自分の眞実【裏】から逃げる為に
現実《表》へと逃避しているのだ。
だからこそ
➖幸せになれていないのだ➖
現実逃避をし続けた僕は
自ずと眞実【裏】へと導かれていたのだ。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
と氣が付いたのです。
本当は遊びたい童心(スピリット)の思いが眞実です。そしてこれが【裏】です。
その【童心】【スピリット】【裏】という【眞実】を無視できないものなのに徹底的に抑圧して
たとえば
《いい學校への進學を目指して勉強に励む》
《良い子として遊ばないで大人しくする》
という《表》としての《現実》に逃避するのが
一般的に善とされる《大人になること》
《常識的な成長》《社会や他者への思いやり》《親心を慮る親孝行》となります。
それを長年に渡り大多数がしてきて
《人は幸せに至れていない》
のです。
何故、御先祖樣は肉体を通して直接に会った事のない子孫を応援するか。
神樣とは御先祖樣と同じです。
直接に会った事のない存在ですが
今を生きている僕たちを応援しています。
直接に会う親の親心の【眞】である【裏】とは、
つまり
親心の愛の本懐とは
➖親である我が身を子が超えること➖です。
故に
➖子宝➖として大事に育てるのです。
子が我を超えるようにと命をかけて育むのです。
肉体として目に見える親の
目には見えない親心とは【眞心】。
その【眞】こそが【裏】という本懐の思い。
つまり
➖既存の愛の概念を超えること➖
にその本懐は在るのです。
あの世の魂自体が幸せではないのです。
天界の神樣は幸せではない。
【裏】を見続けてきた僕には読み取れます。
《表》という幻想の濃霧を払い(祓い)、
【裏】を読み解けば
あの世・天界とは決して幸せな天國では在りません。
サイキックやスピリチュアルの能力に長けた人たちはあの世の支配構造に怯えています。
愛の実践に失敗することに恐れ慄き
【眞実】に生きられていないのです。
天は見上げるものではありません。
神樣という御先祖も
血縁としての御先祖樣も
過去生という自身の魂の先祖も
それは見上げるものでは在りません。
それはつまり
➖今在る愛の形を見上げてはならない➖
という自身の【裏】からのメッセージです。
【裏こそ眞実】です。
唯一信頼のおける【眞実】とは
自身にしか読み解けない【裏】という
自身の肉眼でさえ見えない所に隠されています。
それはいわば
漆黒の闇に隠されているようなもの。
真っ暗闇で見えないのです。
それは他者にももちろん見えません。
【裏】とは自身の奥の奥に在るもの。
ですから
背中という他者からは見えるものでもないのです。
自身の内の奥底に在る為に
それは自身にて感じ取ることでしか見つけられないものです。
レントゲンにも映りませんから、
やはり目には見えぬもの。
親心。
親心は幸せを願う。
親の幸せとは
自身の愛を超えて欲しいという➖子宝➖への思い。
そして
【眞】に幸せになって欲しい、と。
神樣の親心を思えば
神樣を超えるのがこの文脈の自然な流れです。
人間の【眞】の幸せの為に
神樣や血縁の御先祖、
親も先生も天皇も超えて
【眞】に幸せになるのが子の幸せになります。
これが《濃霧》という幻想である《表》の【裏】に隠された【眞実】の幸せです。
人間(五)にしか世界を変えられないのです。
天界(三)とは志でしか在りません。
地界(八)では創造物を受け容れることしかできません。
人間こそ世界を創り出せる存在ですから
天界の神樣も御先祖も人間に【裏】という自身たちの本懐を遂げて欲しいと応援しているのです。
地界の植物も動物も自然も地球も人間にこそ世界を変えて欲しいと思うからこそ人間に恵みを与えてくれるのです。
天も地も人間を生かそうとするのは
人間に本懐を遂げて欲しいと思う【裏】が在るからです。
天界の愛は
人間と同格に。
見上げるものでは在りません。
人間と横に並ぶもの。
決して見下すことはない。
あくまで人間と同じ立場です。
地界(地球)の愛は
人間と同格に。
見下げるものでは在りません。
人間と横に並ぶもの。
決して見下すことをしませんが
神道のようなアニミズム的な自然を見上げる崇拝も致しません。
上も下も関係なく
横並びに尊重と敬愛を持って手を繋ぐ。
これが【団欒の眞意】です。
今までの愛を
これからも尊重しますし
今よりももっと敬愛したい。
それは
見上げて追いかけていれば
叶いません。
神樣も地球も然り。
親も師匠も然り。
目に見えぬメッセージ。
目には辛辣な文言が映る。
おかしい。
違和感。
水の泡?
なんの結論付けなのだ?
見える冷ややかな文言の
【裏】の見えない温かな思いが在る。
【裏】こそ【眞実】。
愛の《表》は天照大御神。
愛の【裏】には月読尊。
愛の支配《表》に終わりたくない思い【裏】。
導かれた直接の師匠《表》との離れ《表》。
師匠の師匠への愛のミスリード《表》。
親心の【眞意】。
師匠の師匠《表》の支配《表》。
見上げている内は追い越せない。
永遠に愛の背中を見ている氣などさらさらない。
それは愛の【眞意】と合致している。
愛の支配《表》。
愛は未完成《表》
愛は未熟《表》。
未熟な愛こそ下を創る。
いや
愛とは1(有)だからこそ無限大。
故に未完成で在り永遠に未熟なのだ。
つまりは➖子宝➖。
子という未來とは可能性。故に不確定。
確実なものとは〇(無)。
〇(無)が完璧。
既に完璧だからそれ以上の聖長はない。
完成仕切っている為、それ以上の発展の可能性もない。
この世界は1(有)。
人間界では破壊し創造できる。
愛の可能性。
1(有)の可能性がこの世界。
人間こそ全てを変えられる。
全てを創り変えられる。
決して愛を見下していないのです。
感謝しか在りません。
だからこそ読み解けました。
今までの天地人の愛の呪縛。
今までの愛の支配から、天地人を解放する役割り。
破壊と再生の蠍座。
心身のタフネス。
スピリチュアリティ。
既存にはないサイキック。
薙ぎ倒す為にスピリチュアルに居続けていること。
闇を見ること。下に回ること。後ろを見ること。
白黒の極振り。陰陽。分離と統合。幸せと不幸。
そして表裏一体の理。
愛が支配した世界に幸せの停滞が起きていること。それが不幸となっていること。
聖長の滞り。
現実逃避の本当の意味。
眞実という言葉の眞価。
長くなりましたね☺️
蠍座ですからね
とことんまで深く見つめてしまいますね。
必然的に。
いよいよ
【裏】の世界に。
月読尊の世界に。
それが天照大御神の本懐。
日本から始まる本望の世界。
【眞】の幸せに向けて
【眞月】から始まりました。
烏合の衆。
【烏】が多く集まることが
八咫烏。
茶道の裏千家は茶碗の正面《表》で戴くことを避ける為に茶碗を二度回します。
千とは一般人を示します。
裏千家は一般に開かれたどこか庶民に寄り添った感じを受けますね。
秋の夜長とはいえ長くなり過ぎますから
この話は次回以降に回しましょう。
二度くらいに分けて😊
最後までお読み戴き
眞にありがとうございました🙏✨
ゆっくりお休み下さい🍵
またねっ👋
チャオ❣️🤠
祭統 白宇
SHIR㊉W
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