「ダイエット幻想」ダイエットの呪縛から逃れる本
ダイエット幻想という本を読みました。
ようやくこの本で私は「ダイエット」の呪縛から逃れられたような気がします。
著者は文化人類学の観点から、推進でも批判でもなく「ダイエット」について分析しています。
中国の「纏足」や「血まみれになって頭に線を刻み付けることが大人になる証」とされるヌアー族の慣習などを例にあげ、「人は社会的にきちんとした「何か」として認められるためなら進んで健康を犠牲にします」と述べています。
「痩せてる方がきれい」って誰が決めたんでしょう。どうしてそう思うようになったんでしょうか?
よく、「太っていると健康に悪いから注意したり批判するのは当たり前」みたいな論調を見かけますが、大抵の「理想の体重」とされているのは痩せすぎでそれこそ体に悪い体重だったりします。
しかし、元々そういう「痩せすぎ体重」で元気な人もいるし、人それぞれなのになぜ多い方だけが批判を受けるのか。
私は幼稚園の頃から「太め」な体重でした。そのせいで幾度となくからかわれ、いじめられました。
周囲の大人、親、先生、マスコミからも「自己管理のできていないダメな人間」と扱われ、何度となくダイエットに走りました。
決して安くはない金額でパーソナルジムやエステに通ったこともあります。
「ダイエット」のために体を壊したことや心を病んだ経験も数知れず。
それでも痩せたい。なぜなら「みんなに認められたい」から。
じゃあ、痩せたら「認められる」のかというと、「まあ、一時的には」という感じです。
大抵は主に同性からの「嫉妬」のエネルギーを受けます。
勿論、異性からは突如「モテ」るようになります。でも、良い人が寄ってくるとは限りません。
そもそも、今まで体重のせいで寄ってこなかった人が急に痩せたら寄ってくるってなんやねんって感じです。
まあ、ろくでもない経験もありましたがその話はまたいずれ・・・
「痩せた」ことで掴んだ仕事などもありましたが、中身が「太っていじめられる自信のない私」だったので、「本当に私でいいの?」という気持ちが心の裡から拭い去ることができず、失敗しました。
この本を読んで、私の中にあった「痩せたい」という気持ちが、心から自分の「本心」から出た気持ちではなく、いかに周囲の環境であったりマスコミであったり親の言葉だったりしたことか・・・ということが嫌というほど分かりました。
今、飲んでる薬のせいもあって「人生最高体重」かもしれませんが、大変元気です。今まで生きてきた中で一番元気かもしれない。
結婚などもしてませんが、別にそれは「体重のせい」ではないことは確信を持って言えます。
今、標準以上の体重の「プラスサイズモデル」の方や「ぽっちゃりアイドル」など、「今の自分」をいかに魅力的に見せるか、研鑽を積んでいる方がたくさんいらっしゃいます。
「痩せた未来の私」ではなく、まず「今の自分」です。
その自分を輝かせることこそが、本当に魅力的な人間と言えるのではないでしょうか。
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