抗がん剤治療時の,ケモブレインについての主観的な記憶(と,ふたつの絵)
ケモブレインのことを書いてみる。
8月末から抗がん剤治療が始まった。
はじめの4回はドキソルビシンとシクロホスファミド。
抗がん剤投与後3日目くらいから,
水の中に入ったような感覚になるのだった。
水が自分と世界を隔てているような感覚。
手足もゆっくりしか動かせない。
温水プールでウォーキングをしているみたい,進もうとすればするほど後退するみたいな。
重い防護服を着て深海にいて、世界を見ているみたいな。
つまり孤独、そして、動けるけどうまく動けない、見えるけどしっかり見えない、ここにいるけどいないみたいな感じ。
けれども,
私はとにかく大丈夫なふりをしようとしていた。
(なぜ大丈夫なふりをしたかったのか?)
大丈夫ではないという自覚がなかったのか?
(少し違う)
何が起こっているのかわからないうちからタオルを投げ込まれるのは嫌だから、異常を他者から察知されないようにしていたのか?
(そんな気がする)
大丈夫なふりをしていたけど、
本当は全然、大丈夫じゃなかった。
自覚症状としては、とにかく
ものがうまく考えられない。
目の前で同僚が喋っている
その言葉の意味は知ってる、
でも一個一個の言葉が繋がりを持って捉えられない。
まるで、
私とは関係ない世界で起きていることについて話してるみたいに思える。
意味もあまり掴めない、ばらばらに聞こえる。
組み立てられていないレゴブロックのパーツみたい。
そういえば、だいたいいつも頭の中?耳と耳をつなぐ線上で,
音叉のような大きな音がずっと鳴っていた。
(話がつかめない)と思いながら、その音を聞いた。
会議も立ち話も、
夢の中で会ってるみたいな現実感のなさで,
話す内容ではなく、ただその話すスピードだけを感知している。
心がない、ただのスピードを計測しにきた人みたいだった。
そんな状態が続くと、意地悪をされているのかなとか、
疑いそうになることもあった。
相手が得意げに話してるような,自慢してるような感じに見えることもあった。(相手はいつも通りの笑顔で,立派に話してるだけだ)
今考えると,そういう、ひがむような捉え方は
「その場で話されていることが理解しきれていない」
という状況からきていた気がする。
周囲は気がついていたんだろうか,
私が「理解しきれていない」ということを?
少なくとも私は、自分が「理解しきれていない」ということすら
理解しきれていなかった。
でもそれなりに「変だな」とは思っていた。
情報が情報として捉えられなくなっていたので、
それは、つまり情報が入ってこなくなったことと同じだった。
一つ一つの言葉は知ってるはず。
見覚えはある。だからゆっくり考えないと。一つずつ。
相手の話を聞きながら、試しに目を見開いてみたりもした。
要点のしっぽのようなものを掴めれば、と期待して。
何となく・・・少し分かる・・・
ような気がする・・・でもやっぱり分からない。
私が返答しなければならないときでも,
結論が出しづらい。(情報がまとまって入ってきてないから)
ただ何か思ったことを言う。
目眩しのように、言葉を撒いてみる。
それはある程度効果がある。
目眩しの言葉でも、相手は何か考えて、また反応してくれるから。
私は、適当に袋に手を突っ込んでつかんできたパンくずを撒くみたいに、
何かを言って,応答を繋げて,時間を稼いで,
かろうじて相手の話の要点を切れ切れに掴んで、その場をしのいでいた。
その時期は、そうやって仕事してたのだ。
そんな調子だから、メールの返事を書くのにも,
いつもの数倍時間がかかっていた。
そんな自分が,本当に役に立っている気はしないが、
それでも動けるときに,動けるぶんだけ、
自分のそのときの能力の範囲で、仕事を片付けるしかなかった。
研究の計算でコードを書くときも,
いままでに書いたコードを動かすことはできるんだけど,
新しく
(ここのところのこの人数をまとめて,ここを抜いて計算がしたい)
とか,ちょっと別の動きを付け加えようとすると,できないのだった。
通常,新規でコードを書くときは,
AIを使って試しに書いてもらって,解読して微修正するんだけど,
その「試しに書いてもらう」指示が出せないのだ。
(このときは,申し訳ない,頭が働かないから,と言って,やりたいことを説明して,同僚にお願いした)
ケモブレインになるまえは、
私にとって言葉は向こうからやってくるものだった。
出てくるのを長いこと待ったり,
欲しいときになくなっていたりするものではなかった。
けれど突然,気がつくと私の頭の中は,
全然電車が来ない無人駅みたいになってしまっていた。
言葉が,やってこない。
そんなときは仕方がないから,
会話が自分のターンであっても、
ただ相手の顔を見ながら,言葉を待ち呆けるしかなかった。
(会話の途中に「へんな間があく」という体験をした)
またあるときは、発言しようとすると
意味のない言葉がズラズラ出て来ることもあった。
どうしたことか、それらの言葉を制御もできず
そのまま跳び乗って,ズラズラ何かを話してしまうのだった。
出てくる言葉を自分で聞きながら、少しおかしいなあとおもうけど、
とくに反省することも悲しむこともできず,
それについて長く考えることもできないのだった。
治療がすすむにつれて、
まるでビンゴゲームがどんどん当たっていくみたいに
私の身体に副作用のバリエーションが追加されてきた。
味覚がなくなり,髪の毛が抜けた,夜眠れなくなって,爪も黒くなって,皮膚が乾いて,便秘になって,筋肉痛になって,歯茎が腫れた。
もう全然、なにをどうしたらいいのか分からなかった。
食べもののことは考えたくなくて,お湯と米だけを食べることにした。
髪の毛のことは,自分にとってはとりわけ難しい問題だった。
それは不釣り合いに思えるほど、動揺を伴う喪失だった。
その理由がよくわからなくて,考えることは苦しいのに
どうしても考えることをやめることができなかった。
近くのものしか見えない,具体的なことしかわからない
考えがまとめられない。
怖くて,イライラしていた。
イライラしてないときは、自信がなくて,申し訳なく思っていた。
それでいて全体的には、呆然としていた。
でも私は、治療も仕事も続けていた。
11月に姉が訪ねてきてくれたとき
私は平気そうにしているつもりだったけど,
一目見て姉は,ああ,これはおかしい,来て良かったと思ったそうだ。
まず私は謝ってばかりいた。
自分を馬鹿だ,能力が低いんだと力説し,
仕事を辞めた方がいいと思う,出来ないんだと話し,
仕事に行きたくない,でも辞めるにも辞められないと言った。
姉は私に言った,
ちがう,mは病気の治療を受けていて,
それらはすべて薬の副作用なんだと憶えておいてくれと。
いまは休めば良い,何も決めなくていい,
むしろ,いま決めてはだめだと。
憶えておきなさい,あなたはここで,
あなたの仕事をこれまでちゃんとやってきたんだ,
職場があなたを必要としたから,あなたはここにいるんだと。
私はそれを半信半疑できいていたけど,治療が終わって2ヶ月経った今,あのときの姉の言葉が正しかったことが分かる。
あのときの自分に言ってあげたい,
いまはたいへんなときなんだ,薬の副作用が,
脳にも影響をあたえているんだよ。
そういうことがあるんだよ。
つらいと思うし,特効薬もないと思うんだけど、
投薬が終われば,1ヶ月くらいで回復してくる。
そしたらまた仕事を前みたいな感覚で,ちゃんとやれるようになってくる。
言葉も考える力も回復する,またワクワクするようになる。
だから今は何も決めなくていい。
今あなたは弱っていて、休養とサポート、親切な言葉が必要。
自分を責める言葉は全部間違っているから反論してあげる。
何もかも元通りにはならないかもしれないけど、
必ず次の局面が来る、そしてそれは
今よりは,楽な地点で落ち着くんだと。