伝統銘菓ゆべしと山田方谷をご紹介
備中松山藩で、江戸時代からつくられていました。
清々しい柚子の香りともちもち食感がたまらないお菓子です。
備中松山城の売店で試食して気に入り、速攻買って帰りました。
この備中松山城には、江戸時代後期、「備中聖人」と呼ばれた人物がいました。
その名は、山田方谷さん。
江戸の昌平坂学問所に通い、同じく佐藤一斎の門下で、後に「幕末の傑物」と呼ばれた佐久間象山さんと、夜遅くまで激論を戦わせていたレベルの才人です。
方谷の祖先は武士だったものの、曽祖父の代に没落。方谷が生まれた頃には菜種油の精製・販売を生業としていたようです。
方谷は5歳から朱子学を学びはじめると、メキメキと頭角をあらわし、20歳になるとその能力が認められ、武士の身分を与えられるとともに、藩校「有終館」の教授に抜擢されました。
その後、板倉勝静さんが藩主になると、方谷はそのブレーンとなり藩の財政改革に乗り出します。
その際の財源確保のための産業振興策として奨励されたのが、特産品であるこの「ゆべし」だったわけです。
茶湯に適った上品な味の「ゆべし」はこの地で大量につくられ、専売制を導入して江戸や大阪でたくさん販売されます。
その結果大きな利益を生み、藩の財政再建に大きく貢献しました。
ちなみに天任堂さんのゆべしは、天任堂のご先祖さんが、当時藩主だった板倉勝職さんに土地の柚子を使って作った餅菓子を献上したのがはじまりとのこと。
備中松山城へ行かれる方は、ぜひゆべしをひとつお土産に。
クセになるこの食感と上品な味わいは、きっと喜ばれると思います。
良縁を祈念してつくられた「結びゆべし」もあっていろんな形や食感が楽しめるのもゆべしの魅力ですね。