ネガティブを辞めたADHDの話
突然だが、本を洗濯したらどうなるかご存知だろうか。
今日、文字通り本を洗濯した。
大きなポケットの服に読みかけの本を入れたまま、洗濯機を回したのだ。一応最後に写真載せときます。
本好きとしてめちゃくちゃショックな出来事だったし、反省したし落ち込みたくなった。この本を書いた作家さんや本を作った関係者の方に申し訳ないと思った。ほんと、ありえない。本を愛していたらこんなことしないだろ!と思う。本は本当に好きなのに、なんで私は、、、って考えてしまう。
ティッシュを入れたまま洗濯してしまうのとはレベチだった。掃除もめちゃくちゃだるかった。途方に暮れるという日本語は、今日のために存在した。
一方で「本を洗濯するとこうなるのか!新しい知見を得たな」「これは貴重な体験だ」「続きはKindleで読むか」「絶版の本や図書館で借りてきた本じゃなくて良かった」「出先のホテルとかの洗濯機でやらなくて良かった」「濡れた紙ばらまいて掃除するといいって小学校で教わったな、掃除するチャンスになってラッキー」なんて風に思う自分がいた。
注意欠陥・多動性障害、いわゆるADHDの私はめちゃくちゃやらかして生きている。
財布や携帯を失くすなんて可愛いもので、カバンごと無くしたり、飛行機や新幹線に乗り遅れたり、絶対無くしてはならない書類を忘れたりするのが日常だ。
仕事で1度しか出来ない実験のデータを取り忘れるなんてやらかしも、ここには書けないガチヤバなやらかしもやってきた。思い返しても反省、申し訳なくて死にたい。
本当に真剣にやっていたら、そんなことしないだろう!気持ちがたるんでいるんだ!なんて説教は死ぬほどされてきた。至って本気で必死にやっていることでも、私はやらかす。本当にごめんなさいとは思うけど、本気で熱意があればミスはしない!という論争には承服しかねる。ふざけてないのに、ふざけているからだって決めつけられるのはとてもつらい。
昔はいちいち落ち込んで反省していた。自分が悪いんだと責めていた。いや実際自分が悪いけど。
だが、あまりにもやらかしを経験を重ねると、人間は落ち込むのすらだんだんめんどくさくなるらしい。
やらかしすぎたおかげで、資格試験の日に受験票を忘れても再発行できること、飛行機に乗り遅れても次の便に乗ればいいこと、賞味期限を過ぎてもお腹を壊さないギリギリの期間、財布を無くしたときにやるべき事、お店の人や駅員さんに「すみませんこれ届いてないですか?」と躊躇わずに話しかける度胸、せっかく作ったご飯を皿ごとひっくり返したときの効率的な片付け方、映画の開始時間に遅れても最初の10分くらいは宣伝だから大丈夫なこと、、、本当に色んなことを学んだ。
(語弊があるといけないので書きますが、誰かに迷惑かけてることには変わりないので誠実な謝罪とお礼とその後の再発防止策の施行まではセットです。)
ネガティブな経験をしすぎると、若干ポジティブ?になる。
私はネガティブを辞めようと思って努力したことはない。歳をとって失敗経験を重ねすぎてネガティブを辞めざるを得なくなったのだ。これはこれで泣ける。
ポジティブ人間にはなってないし、なりたいとも思ってない。前向きな生き方は死ぬまで手に入らないだろう。
ただ、ネガティブな経験を極めると、なんとかなるという成功体験?による誤学習で、だんだん大丈夫になって来る。
落ち込んでる時間は無駄だ!そんな暇があったら〜なんて思ってない。むしろ永遠に自分を責めたり周りに申し訳ないと反省していたい。
いつもやらかしたことにため息をつくけれど、最後は自分でなんとかしないといけない。なんとかならなかったこともあるけど、世の中なんとかなる事は多い。そうやって、「まぁなんとかなるやろ」という精神になってくる。
ここまでやらかすとこんなことになるのか!と、呆れながら面白がらないとやってられない。
昔はめちゃくちゃ心配性だったのに、心配できるキャパが大きくないと心配な性格が破綻していくみたいだ。
はい、そんなわけで今日得られた知見を紹介します。
ほんと泣ける、、
本は洗濯してはいけない。誰しも想像できることを、体感した希少な人間になれました。