『妹背山婦女庭訓』『勧進帳』 辰 秀山祭 <白梅の芝居見物記>
『妹背山婦女庭訓』太宰館、吉野川
平安な時代の吉野川
『妹背山婦女庭訓』三段目の太宰館と吉野川の劇評に関しては、昨年9月の国立劇場における上演時と今月の渡辺保氏の評が大変勉強になります。ご参考いただけたらと思います。
今回私が強く感じたのは、この『妹背山』は太平洋戦争後に長い平和が続いた時代だからこそ生まれ得た芝居なのだろうということです。
生身の人間が演じ生身の人間が見物することによってはじめて成立する舞台芸術。よく考えれば当たり前のことなのですが‥。
正直に言えば、私の中ではやはり六代目中村歌右衛門丈の定高が一つの理想像としてあり、それは今も変わってはいません。
また、人形浄瑠璃の『妹背山婦女庭訓』を全段を通して読んでみれば、この作品が決して若い男女の悲恋や、権力者にあらがうことの出来ない親の悲劇をテーマとした作品にとどまっていないことは明白です。
そういった意味で、今回の舞台が古典作品としの王道に位置するものかと言えば、私としては否と言わざるを得ません。
ただ、だからと言って今回の舞台がよくないのかと言えば、今の時代の「吉野川」の一つの到達点であることに間違いはないのだろうと思います。
六代目歌右衛門丈の後、坂東玉三郎丈こそが新しい時代の歌舞伎界における女形の中心にいたのは紛れもない事実です。
平和を享受し経済的にも恵まれてきた一時代の価値観を体現してきた役者さんであったことは間違いないでしょう。
ご自分を支持し続けてくれた熱心な観客や、時代と真っ正面から向き合いつつ、歌舞伎を中心に舞台芸術に取り組み模索してきた御仁だからこその、一つの芸境を見せて頂いていることを実感します。
「吉野川」を日本版ロミオとジュリエットと言う方がいらっしゃいます。近松半二はシェイクスピア作品を読んでおりそれが作品に反映されていると指摘される方がかつていました。
私は、『妹背山』に当て込まれている日本で実際起きたことが、実はシェイクスピア作品にも当て込まれているのであろうと考えているのですが‥。
シェイクスピア作品でも、若い二人の悲恋が描かれてこそいますが、両家が仲違いをしている政治的背景は重要視されていません。
シェイクスピアに尊敬の念を抱く一方で、戦後の日本が自国の文化に自信が持てず、またきちんとした歴史観を持つことを避ける時代状況が続く中、若者の悲恋や、強者に虐げられた弱者である親子の悲劇を、「吉野川」の中心テーマと捉える方向に流されていくのも、仕方のない時代であったと言えるかもしれません。
否、むしろ平和だからこそそこにとどまれた幸せな時代だったと言えるようにも思います。
戦後、古典文化に拒否反応を示す共産主義的な思想が国民の中にはびこり、それが今に至るまで人々の考え方や、日本文化に色濃く反映されていることを、私は強く感じます。
また、パクスアメリカーナの時代にあって「平和」を主張していれば「平和」が維持されると狂信されてきた、ある意味幸せな時代だったとも言えるでしょう。
そんな時代を生きてきた現代人にとって、『妹背山婦女庭訓』の初段や二段目などに思いを致すことなど考えられないことなのだとも思います。
太宰館の難しさと竹本への期待
今回の「吉野川」では、若者の悲恋と親子の情愛が大変印象深く描かれ、胸に沁みるいい芝居を拝見させていただくことが出来ました。
一方で、玉三郎丈の圧倒的な存在感、それに対峙するだけの大きさが出てきている尾上松緑丈ながら、「太宰館」が蛇足的な幕に終わってしまったというのが偽らざる感想であり、大変残念に思われた点でもあります。
入鹿は『金閣寺』の大膳にも通じる古怪さが求められるでしょう。中村吉之丞上にはかなり荷が重い配役だったと思います。
定高の館(太宰館)に乗り込んで来ている入鹿、そこに呼び出されている大判事、二人を迎え入れている定高。心理劇では表現出来ない三人の対峙、「肚」や「性根」の駆け引き。それが役者にとっての見せ所であり、観客にとっては短いながら面白さを感じられる見所になるように、私には思われます。
国家への反逆につき進んでいく入鹿という妖怪に対峙していく、抜き差しならない緊迫感が二人に出ないと、「吉野川」の本当のテーマにつながっていかないことを、私は今回、実感しました。
芝居としては、女形の役らしい役をい演じたことがない尾上左近丈であるにもかかわらず、雛鳥としてここまで仕上げて来たことに、玉三郎丈の歌舞伎への熱い思いと、左近丈の真摯な姿勢を感ぜずにはいられませんでした。
市川染五郎丈と松緑丈も、真摯に誠心誠意をもって役をつとめられているという点で、心にしみる舞台でした。
ただ、吉野川において、上手下手に分けて語られる四組の竹本の重要性を今回ほど感じたことはありません。
若い二人の舞台を支え、この場の古典性を担保していくのには、竹本連中の一層の精進が求められることを今回思わずには入られませんでした。これは、批判ではなく今後の精進への期待と捉えて頂きたいと思います。
『勧進帳』
松本幸四郎丈の弁慶と尾上菊之助丈の富樫で、ここまで大きく立派な舞台が見られるようになったのかと感慨深く拝見しました。
泉下にいる中村吉右衛門丈も、さぞ頼もしくご覧になっていらっしゃるのではないでしょうか。
私は今回、幸四郎丈の弁慶を演じるにあたってのインタビューを拝読していて、正確な表現は忘れてしまいましたが、父松本白鸚丈の弁慶をヒーロー的、叔父吉右衛門丈の弁慶を動かしがたい大きさのある弁慶と表現していらっしゃったのが印象に残りました。その話を伺って、初めて白鸚丈と吉右衛門丈の弁慶に対する考え方の違いが、恥ずかしながらわかったように感じられました。
おそらくお二人にとって、演じ手としての理想的人物像は、弁慶に対しても富樫に対しても変わらないのではないかと、私には感じられます。
白鸚丈の描く弁慶及び富樫の理想像というのが、私にとっては一番すんなり受入れられる人物像であったのだと、自分自身を分析することが初めて出来たように思いました。
そして、現幸四郎丈の弁慶で、吉右衛門丈が富樫を演じられた時どんな思いで富樫を演じ幸四郎丈に受け継ぎたいと思ったのか、今回初めて理解できたように思いました。
今回は秀山祭にふさわしく、『勧進帳』に「二代目播磨屋八十路の夢」という副題を付けての上演となりました。
二代目とは芸質も芸風も違う現幸四郎丈ですが、二代目の芸や芝居の中にどんな理想や憧れを見いだしていたのか、ということがよく表れた舞台であったことは間違いありません。
よく同じ先輩の役者さんに教えを受けても全く別の芝居になっていることを見物としても度々経験します。それは、教える側の年齢や芸の変遷によるところもあるとは思います。
ただ一番大きな要因は、教えられる側の芸質や芸風、同じ教えを受けても何が一人一人の心に何が残り、どんな点を理想と捉えて精進していこうと考えるのか。それが実は一番大きいのではないか、と昨今は考えるようになりました。
今回の幸四郎丈の弁慶に、私は七代目松本幸四郎丈の俤を一番色濃く感じました。父や叔父の得意とする台詞に難のある現幸四郎丈ですが、先輩の精神を受け継ぎながら二人とは違った弁慶を作り出しつつある頼もしさを大いに感じました。
実は延年の舞などは、現片岡仁左衛門丈の弁慶に一番面白さを感じてしまう私なのですが‥。豪放磊落な面を強調される舞台でした。
今回の舞台を拝見していて、役者さんそれぞれの強み、理想像、味わいが是ほど分かれる芝居も珍しく、それぞれの役者さんの「芸」を素直に楽しませて頂く素直な姿勢が観客にも必要であることを実感させられました。
私が拝見した時はまだ、菊之助丈との距離感、間合いなど二人ともにさぐりあっている状態であったかと思います。
二代目が描いた富樫への思いをどうにか菊之助丈は追おうとされていることは伝わるのですが‥。やはり芸風も芸質も岳父とは違いすぎます。
相手の弁慶役者によっても必然的に変わって行かざるを得ない役どころでもありましょう。
実は私は、『勧進帳』というのは富樫によって半ば芝居の良し悪しが決する芝居であると思っています。富樫がどういった人物像で魅了できるのか。義経や弁慶の思いをどれだけ受け止めることが出来る人物なのか。
富樫役者の美学の見せ所であるかと思います。
菊之助丈ならではの決定版を今後に期待したく思います。
市川染五郎丈の義経は、襲名披露時のリベンジというだけあって、その成長を感じさせる、若者らしく真摯な姿が印象的でした。
また、今回の舞台に大変貢献しているのは、なんといっても市川高麗蔵丈、中村歌昇丈、中村種之助丈、大谷友右衛門丈の四天王の力強く誠実な芝居にあったことは間違いありません。
四天王がいいと、詰め寄りの所などは殊に大変大きな見せ場となることを再確認させてくださる、いい舞台だったと思います。
2024.9.13