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とっておきの京都手帖13


源氏香げんじこう


大河ドラマ『光る君へ』の放送も、あとひと月あまり。
毎週楽しみにしている者としては、平安時代をもう少し知ってみたいという気持ちにも駆り立てられる。ドラマ後の1分半程で流れる『光る君へ 紀行』にも前のめりになり、由縁の地を訪ねてみたくなったり、自分なりに深めてみたくなったりする。


私が秋の京都の行事の中でも、毎年楽しみしている伝統行事が「洛趣会らくしゅかい」である。
昭和3年から名だたる寺院などを会場に、京の老舗が作品を競う。
今年で第90回を数える会場は、祇園歌舞練場れんじょうである。
『源氏物語』にちなんだ作品が並んだ。
とりわけ薫香・松榮堂さんを紹介したい。



源氏香げんじこう

源氏香げんじこう、香道に詳しい方ならよくご存じだと思うが、初めて耳にする方もおられよう。
源氏香げんじこうとは代表的な組香くみこうの一つで、お香を楽しみながら遊ぶ、お香を聞き当てるゲームだ。香道では、香りを嗅ぐことを「聞く」と表現し、お香を鑑賞することを聞香もんこう、お香を聞き分ける遊びを組香くみこうと言う。

具体的にどのように楽しむのか、松榮堂さんの公式サイトを参考にさせて頂くと、

○香りの異なる5種類の香木を用意
○1種の香木につき5粒ずつ切り取り、1粒ずつ小さな紙に包む
○合計25の香包から、無作為に5包を選び出す
○一つずついて香りを鑑賞
○その異同を判じる
○答えを「源氏香図」で表す(この組み合わせが52通りある)

源氏物語五十四帖のうち巻頭の「桐壷」と巻末の「夢浮橋」を除いた五十二の巻名が、それぞれの図柄に付されている。

源氏香図
御にほひ箱 源氏香之図あわせ スティック
京都市立芸術大学名誉教授の塚田章氏の作品
源氏香図をテーマとして20年にわたって研究、開発されてきた
御にほひ箱 源氏香之図合わせ キューブ
京都市立芸術大学名誉教授の塚田章氏の作品
源氏香遊びから今では図柄を楽しむ作品まで誕生



平安時代、お香といえば、着物にお香をき染めるイメージや、『源氏物語』に登場する六条御息所が生霊から目覚め、愕然とするシーンを思い起こすかもしれない。
平安貴族が愛し、必需品だったお香。
しかし、源氏香げんじこう遊びは、平安時代から存在したものではない。



お香の歴史

お香の歴史は古く、538年また552年の説もあるとされる古墳時代に、仏教伝来とともに伝えられたとされている。

奈良時代にかけては、お香は宗教的な意味合いが強く、仏前を浄め、邪気を払う「供香くこう(そなえこう とも読まれる)」として用いられていた。その後、鑑真がんじん和上来日により、多くの香薬が日本に渡り、それが貴族たちに広まり、供香だけではなく、日常生活の中でも香りを楽しむようになった。

鎌倉時代には、香木の香りを繊細に鑑賞する「聞香もんこう」の方法が確立される。

室町時代に東山文化が広く受け入れられていく。能楽や、いけばな、茶の湯、水墨画、お香などの伝統的日本文化として知られるものの多くは、この時代に発展。これらの芸術は、いわゆる「わび、さび」と言われる。不完全なものに美を見出しながら、全てのものに対して非永久的な儚さを受け入れるという美的感覚から進化していったものという。東山山荘はそのシンボル的存在であり、山荘は現在、銀閣寺として知られている。

そして江戸時代には、貴族、武士の他に、経済力をもった町人にも香文化が広まる。
組香くみこう」や、香を鑑賞するための作法が整えられ、香道具が発展し香道として確立されていく。この頃、中国からお線香の製造技術が伝わり、庶民にもお線香の使用が広まる。現代に至るイメージや使用方法は江戸時代以降のものだ。

江戸時代と一括りに言っても、徳川の世は約260年の歴史がある。
源氏香げんじこうは、江戸時代初期の第108代後水尾ごみずのお天皇の時代に考案された。後水尾ごみずのお天皇は、徳川家康が江戸幕府を開いて即位した最初の天皇。家康が擁立した天皇ではあったが、幕府による朝廷への統制が厳しくなる中、その幕府に抗おうと、「寛永文化」で戦った天皇だ。



後水尾天皇と寛永文化

学問を好んでいた後水尾ごみずのお天皇は、歴代天皇で最多の著作を残したと言われている。上皇となった後は、当時の文化人の中心的存在となり、「修学院離宮しゅがくいんりきゅう」(京都市左京区)を造営、庭内に窯を開き、初期の京焼ともなる修学院焼しゅうがくいんやきを創出したと言われている(京焼の始まりについては諸説あり)。
そして後水尾ごみずのお天皇は、多くの文化人に光を当てた。
画家の俵屋宗達たわらやそうたつや、狩野探幽かのうたんゆう、茶道、華道、香道、文学、儒学など多くの才能ある文化人が名を馳せた。

日本を代表する文化を育んだ後水尾ごみずのお天皇とともに、徳川家より入内した中宮・和子まさこもまた寛永文化を好んだ。和子まさこ尾形光琳おがたこうりんの生家、呉服商の「雁金屋かりがねや」の最大の顧客だったという。和子まさこの母・江姉妹も上得意だったようだ。尾形光琳おがたこうりんとしての活躍は和子まさこが亡くなった後からであるが、和子まさこの入内も、寛永文化に多大な影響を与えていたのだろう。

後水尾ごみずのお天皇と中宮・和子まさこ
政略結婚ではあったが、和子まさこと天皇の生母との信頼関係が、中宮・和子まさことして立派に、幕府と朝廷の間を繋ぎとめた。和子まさこは入内後、一度も江戸に帰ることなく生涯を貫いたそうだ。





源氏香げんじこうという雅な遊びを辿ったものの、調べれば調べる程、様々な歴史背景があり、朝廷と幕府の長い歴史を感じる。史実として知る、点と点が繋がり感慨深い。

源氏香げんじこうの図柄は、着物の柄としても人気があるそうだ。
この図柄はおそらく広く知られているものではないだろう。
しかし、時に応じて身に付けることで、歴史に思いを馳せ、今に至る日本文化をひそかに楽しみたいものだ。





<参考> 洛趣会 会場内展示物
     香老舗 松榮堂公式サイト
     観光庁公式サイト
     京都市公式サイト
     京都市上京区HP



<(c) 2024    文 白石方一 編集・撮影 北山さと 無断転載禁止>

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