A氏の肖像 【詩】
A氏の詩集を
古本で手に入れる
裏表紙に
顔写真らしきものが載っていた
(A氏はこの国の桂冠詩人だ)
ところが その写真
とても薄暗いのである
目も鼻も口も判別できない。
この国でたったひとりの
桂冠詩人の
肖像写真なのに…
(桂冠詩人は天帝に詩を捧げる者)
意図のわからない
肖像写真を気にかけながら
ページを開くと
「生誕」
というタイトルの詩
(ドキドキしながら)
読み始めたが
行間に
行と行の間に
超えがたい
断絶と
深淵が横たわっている
きっと
僕の想像力が足りないのだ
ずっとずっと
長い間
行と行の間を
その空白を見つめつづけ
やがて
頭の中がしーんとしてきたので
パタンと本を閉じ
もう一度A氏の肖像を眺めた
薄暗い
(A氏は実在の人物だろうか)
そういえば
ふいに思い出した
もう二十年も前の話だが
僕は実物のA氏に
遭遇したことがある。
昼下がり、
ある地方の大学の演壇に
A氏が立っていた。
やや俯き加減で
斜め前方を見ていて
何かを見ているような
何も見ていないような、
目は開いているのだが
視線はどこにも向いておらず
この世にないものを見ているのかも知れず、
眼球が内側に寄っていて
自分の頭の中を見ているようでもあり、
この詩人は尋常ではない、
と思っていたら 彼は
突然
ニターっと笑い、
ひとすじの雫が口の端っこから
渇水期のおぼつかない滝のように
したたり落ちていった
僕は
見てみぬふりをした
隣の女子学生の顔が歪んだ
時が過ぎ
いま
詩の95%を占める行間を
昼下がりの日差しが
這っていく
僕は桂冠詩人の
白日夢を 想像する
昼下がりの日差しが
真っ白な行間を
撫でていく
詩人は
何を見ていたのか
確かに 底知れないものが
そこにただよっているような、
行間を追って
ついに僕は
何ものをも見出すことができない。
まるで
冬の真昼の空のような
さびしさ
朦々としたうらさびしさ
(A氏は何を見ていたのか)
この国を代表する詩人が
昼下がりの演壇に立ったまま
白日夢を見ていた
ただそれだけの話
それはいつの話
どこの話