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「私がアロマをやる理由」

突然ですが、私は身近な人の命の終わりに縁がありました。

そこから、なぜ人は自分自身の”健康”(こころとからだ両方面において)にもっと気を使わないんだろう。
そう思うことがあります。
私は、自分や周りの人の健康を大切にしていきたい。
でも、わざわざなんで”健康”に執着するのか、というと、これまでの私の人生にはこんな出来事があったからでした。

原体験。

下記以外にも”健康”にまつわるエピソードはあるのですが、あえて3つ選んでみました。

★エピソード
①自分の記憶の始まり、祖母の死
②最盛期のつけでやってきた祖父を襲う病との闘い
③医療ミスで目の当たりにした、父の無ざまな姿と遺書
※ここから少し長くなりますが、読んでいただけると嬉しいです。


①自分の記憶の始まり、祖母の死

おそらく5歳くらいの頃の話。
いつものように寝る支度を終え、「おやすみー」と言いながら2階の寝室へ向かうため階段を登り始めると3段目で家に電話が鳴った。
いつもなら電話なんてお構いなく寝室に行くのに、なぜかその日は立ち止まって、私は受話器を取る母の後姿を階段3段目で息をひそめながら体育すわりで様子をうかがっていた。
しばらくしないうちに、笑っているような声を出しながら、立っていたはずの母親が膝から崩れていった。

「笑ってない。なんか変だ。」

わたしは母が泣いているのだと、後姿を見て気が付いた。
何か悲しいことが起きたんだ、ということだけ理解した。
その後、寝室に行くことはなく、パジャマのまま行先のわからない夜中のドライブに連れ出された。

そこから少し記憶は飛んで、
気が付くと家族で祖父母の家の前についていた。
そうこうしないうちに、向かいの布団屋を営むおじちゃんおばちゃんの家のこたつにいた。
その後、また記憶は途絶える。

次の記憶は祖父母の家の玄関に、どんぶり器に白米が山盛りに盛られ、お箸が直立している様子。
「なんだろう、これ。」
何の意味があって飾ってあるのか分からなかった。

そして、その次の記憶では私はものすごく大きい会場にいた。
父に手を握られて中に入ると、中央前に祖母のそれはそれは大きい写真が飾られていた。脇にあるたくさんの花とともに。
木の箱の中身をのぞいたら、おばあちゃんがお化粧をして寝ていた。

母が泣いていた。
周りの人が泣いていた。

大人がこんなにも泣いている姿を、私は初めて体験するのであった。
そして、これが”死”であることを初めて認知し、悲しいものなんだ、ということを知った。

その出来事があってからは、
親に「おばあちゃんはね、月にいるんだよ」。そう教えられた。
だから小さい頃は満月になるとおばあちゃんいるかなぁ~なんて月を眺めていた。

少し成長した小学校高学年の頃、なぜ死んでしまったのかを知った。
高血圧。冬場の冷えた体を熱い湯船に浸かったことで血管が破裂したらしい。(もう一つ持病は持っていたのだけれど。)
健康にもっと気を使っていれば、自分の体調に気を使っていれば、防げたかもしれない命だった。


②最盛期のつけでやってきた祖父を襲う病との闘い

①の祖母のパートナーである祖父は、高度経済成長期のころ最盛期だったとあるメーカーの営業本部長。最期のころは退職延長依頼をされて子会社の顧問をしていた。
毎晩のように会食、無い日は自宅に部下やお客様を招いて大宴会が日常だった。
当然、祖母は皆がつまみに喜びそうな味の濃い・油分の高い料理をたくさん作り、おかってにはサザエさんの漫画に出てくるように酒屋さんがビールをケースで運んで来るのだった。(ホントの話!)
現役のころ、祖父は軽度の糖尿病を患っていた。

そして
祖母が亡くなってから約10年後、祖父が職場をついに引退。
家の一切のことをしてこなかったけれど、頑固な性格ゆえ周囲に助けを求めず1人で生活をしていた。
食生活はコンビニが頼り。現役のころのように頭をフル回転させるような予定もない。
ビジネスでの人のつながりはそんなに続かず、自宅周りに友人がいない。話す相手がいない。外出する予定もない。趣味は競馬。
テレビを見るか、食べるか、寝るか、時々競馬場に車で行くか。そんな生活。最初のころはジムに通ったりもしていたけれど、車の運転をやめてからは徐々にいかなくなった。

一気に衰えた。それはもうびっくりするくらいの勢いで。

引退から数年後、祖父は病にかかる。
出勤することもないから鏡を殆ど見なくなった。
祖父が玄関先に新聞を買いにコンビニへ行こうとしたとある日、向かいの布団屋さんのおじちゃんに挨拶をされた。
本人は挨拶を返したつもりが、声になってなかったらしい。
おかしいと思ったおじちゃんは、注意して祖父を見た。

右半身が顔を中心に垂れ下がっていた。

これは大変だ!!と思ったおじちゃんは、自家用車に祖父を乗せて救急病院へ直行した。
脳梗塞だった。
あと少し遅かったら、フェーズが進行していて祖父の命はなかったらしい。
すぐさま総合病院へ搬送されて手術。一命をとりとめた。
しかし、このあとも数年単位で祖父は糖尿病から派生する病をつぎつぎと招き入退院、時には手術を繰り返す。

最近、シルバーカーがないと歩けなくなってきた。
発音も昔ほどはきはきしていない。
現役の頃の祖父は、見た目に気を遣う紳士であり威厳があり活躍者だった。
夫婦ともども仲良く暮らせていたら、違った今があったかな。
現役のころに生活に気を使っていたら、ゴルフが趣味、とか言っちゃうような活発な祖父だったかもしれない。(現役のころゴルフが強かった!)
誰かに素直に頼っていたら会話の多い暮らしがあったかな。
そろそろ、思い出の詰まった家で1人暮らすには限界であることを本人が自覚し始めた。頑固な性格だけど、リハビリを懸命に行う姿の祖父が今ある。


③医療ミスで目の当たりにした、父の無様な姿と遺書

仕事に全身全霊を注いできている教育者の父。
生徒の人生を一番に、時に厳しく時にやさしい懐の大きい先生で、生徒からは信頼されてきた。

ある日、トイレに行くと尿の色がおかしかった。そして白目が黄色く濁っていた。
黄疸症状だった。
おかしいと思い、クリニックへ。クリニックから近隣の提携している総合病院へとたらいまわしにされる。
総合病院で一通りすべての検査を受診。それからしばらく点滴のみの生活で食事と水が与えられなかった。
そしてさらに数日が経過。いまだに原因・病名がはっきりしない。
私は父のお見舞いに、学校が終わった後に行ってみた。

……。声が出なかった。

ミイラみたいにやせ細っていて、皮膚の水分がほとんどなくなて骨が見えそうな箇所もあったから。
「大丈夫?」っていう声はかけられなかった。
だって、どう見たって大丈夫じゃなかったから。

「来てくれてありがとう」

という父。
なんで感謝されるのか、慰められているのか。
何もできない自分に、無力さを感じた。
その場では必死に気丈にふるまって明るい話ばっかり話した。
ネガティブな話は一つもしたくなかった。
病室を出て、自転車に乗って自宅に帰る道のりで、涙が止まらなかった。

入院の前に、私の部屋机に置かれていた1枚の手紙。
「何かあったらお母さんと弟をよろしく。」そんなメッセージだった。

破っちゃおうかと思った。意味わかんない弱気な発言を認めたくなかったから。でも、今思えばそれは遺言だった。

しかしいつになっても医者が動かない。
さらにとんでもないのが、原因不明なのに判断ができない弱っている患者本人に、口頭で手術承諾をとっていた。
どう考えてもおかしい!!
親族一同そう感じ、
病気は何なのか、なぜ手術なのか、担当医と主治医に問うと、主治医は担当医のせいにした。

ありえない。
いや、それよりも命が危ない!!

無理やり、退院させた。
そして親族のつながりで、白金にある病院にセカンドオピニオンにかけた。
早急に全検査をやり直してもらった。
すると数時間後、原因ははっきりとレントゲン写真に姿を現したのだった。
「最初の病院では、レントゲン写真の撮影角度を間違えていたから、原因がわからなかったのでしょう。すぐにでも水分とご飯は食べられますよ」
そう、セカンドオピニオン先のドクターに言われた。

そして父は数日の間に人間らしい姿に戻っていき、手術を経て、ゆっくりと退院した。
自己免疫性膵炎だった。
そもそも病気にならなければ、こんな目には合わなかった。
病院を変えていなければ病院に殺されていた。そして陰謀されていただろう。
退院してから数年間は定期検診が頻繁にあり、今は1年に1~2度ほどで済み、毎日生徒と向き合う父がいる。
目の前の大切な人の命が当たり前にあるわけではないことを、身にしみて感じた経験だった。

★エピソードのまとめ
きっと、”健康”に生きるということに敏感な人と敏感じゃない人がいる。
毎日、自分のボディメンテナンスを欠かさない人(体重・体脂肪等あらゆる数字をレコーディングする人、添加物は取らない人、睡眠時間を大切にする人、運動・ストレッチをする人、マインドフルネスを実践する人等々)もいれば、
普段は敏感じゃないけど、健康を損なうような経験をしてから敏感になった人もいるかもしれない。
敏感の度合いは人によって違っていいと思っています。
でも私は敏感。身近にいる大切な人の健康が失われていくのをいっぱい見てしまってきたから。

★大切なものってなんだ。

”いま”を生きる私たちの寿命はどうやら100歳まであるらしい。
ますますテクノロジーの進化が激しい時代になった。仕事をするのはあたり前になった。定年だってかなり延びる。
個人の多様性が認められやすい時代になった。自立・自律がより必要な時代になる。
人生には何が本当に大切なんだろう。
マインド?ノウハウ?スキル?コネ?ケンリョク?
確かにそれもそうかもしれない。

だけど、私は”こころとからだが健康であること”だと思う。

「あたりまえだよ。」と思う人もいるかもしれない。
でも、「あたりまえだ」と思うことに実際どれだけ気を遣えているだろう。
自分のこころとからだを、もっともっと愛してあげてもいいんじゃないか。
人のため、社会のために何かをする前に、まずは自分のためにもう少し「あたりまえ」のレベルを全員が上げてみないか。

そんな風に思うんです。
自分だけの命だけど、自分だけでその人生は終始しないもんね。


なぜアロマをするのか、アロマと私をつなぐもの

話は少し逸れるけれど、精油(アロマ)との出会いはスポーツ後のケアの一環でやってたマッサージ習慣からきている。
リンパや筋肉をほぐすために手に取ったのがきっかけで、精油に少しずつ興味を持った。
人間よりもはるかに生命歴史の長い植物たちが、姿かたちを適応させながら世に存在する、生命力の凝縮したものが精油(エッセンシャルオイル)。
生命のおすそ分けをもらえるわけだ。
ただ当時はテニスに夢中で種類が沢山あることも関連知識も知らなかった。

もう一つ興味に紐づく経験があるとするなら、過去に何度もいじめにあってきたことだろう。
テニスのコミュニティの中で1番になった途端いじめられた(×2回笑)。
社会に出て、目の前のやるべきことを周りと協働してパフォーマンスを出していたら上司から嫌がらせを半年以上受けた。
悲劇のヒロインと言いたいわけじゃ全くないです。笑
でも上手に処理できなくてこんがらがってた時に、こころを落ち着かせてくれた、和らげてくれたのはアロマの香りでした。

誰にだって、嫌なとき、悲しいとき、疲れたとき、落ち込むときはある。
リラックスしたいとき、気分を上げたいとき、すっきりしたいとき、集中したいとき、ドキドキしたいときなんかもある。

日々の些細なこころとからだのタッチポイントに、アロマという手軽なもので寄り添っていけないかな。
そう考えるようになってから、本気でアロマについて学ぶようになったのです。

★メッセージ
1度しかない人生(命)だから、1人1人違ったかたちで人生を謳歌してほしい。
””こころとからだが健康なことで、人の個性や能力は最大化する””と信じている。
私は、アロマから
””セルフコンディションケアがもっと身近な社会を作り出したい””。
具体的にどんな活動をするのか、はまだ模索中なのですがアロマに関する活動をする中で見出していきたいと思っています。

noteを通して、1人でも多くの人の健康に気を遣うきっかけになったら嬉しいです。
いくつかのシリーズにて今後記事を投稿してゆきます。

長文お読みいただきありがとうございました!
これからもよろしくお願いします★

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A bientot★

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