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【SS】吐いた唾は飲めぬ(1464文字)
優真は20歳の誕生日を薄暗い自室で迎えた。
大学にも行かず、就職もしないまま数年が経ってしまった。
(いつから自分の人生はこうなってしまったのだろう)
ベッドに寝転がり無機質な天井を眺めながら、物思いに耽る。
窓の外からは下校する子どもたちの楽しそうな声が聞こえる。
感傷に浸る時間を邪魔された優真は舌打ちをひとつ零す。
(……俺も、小学校までは楽しかった)
中学校からだろうか。
外見の良さとか、ノリの良さとか、頭の良さとか、なにか秀でたものを持っていることが教室での居場所を手に入れる必須条件となっていた。
優真はどれも持っていなかった。
何も持っていないことの良さに気がつけるほど彼は大人ではなく、持っている振りをしようとして失敗した。
頑張れば頑張るほど、クラスメイトから浴びせられる視線は冷ややかになっていった。
***
ふと、背後のドアから「カサ」と音が聞こえた。
部屋の前に運ばれた食事を受け取るときと、食べ終えたあとの食器を部屋の外に出すとき、そして排泄のためトイレに行くとき以外は決して開くことのないドア。
そのドアと床の間の1センチほどの隙間から、紙切れが差し込まれている。重い身体を起こしてそれを手に取る。
20さいのぼくへ
やっほー!!
げんきですか?
ぼくはげんきです。
今もタケルとはあそんでる?
パパとママとは仲よくしてる?
うちゅうひこうしにはなれそう?
かめんライダーみたいなかっこいい大人になってたらいいな。
では!またみらいで会いましょう!
6歳の時、将来の自分にメッセージを書こうという自由学習の授業で書いた手紙だ。
優真の母親が取っておいたのだろう。
「……あんのクソババア」
無性に腹が立った。
過去の曇りない自分と今の自分を比べられたような気がして。
この手紙を差し向けることが母親からの無言の糾弾のように思えて。
ノートのページを破る。
手元にあったペンで殴り書く。
「ぜんぶお前のせいだ。死んじまえ」
ドアの下の隙間に荒々しくメモを差し入れたと同時に、向こう側からメモが引き抜かれた感覚を覚えた。
(母さん、ドアの前で待ってたのか……)
薄いドアのすぐ向こうに、先ほど自分が書いたメッセージを目にしてショックを受けているであろう母親がいる。
その姿を想像して眉をしかめるが、部屋から出て謝る勇気もない。
バツの悪さを振り切るようにベッドに戻り、頭から布団を被った。
この中だけが、優真が心から安心できる場所だ。
***
1時間ほど経っただろうか。
肌寒さを感じて目を覚ました。
部屋の明かりをつけようと手を伸ばした――が、伸ばした左手の手首から先が消えていた。
「……!?」
人間、心から衝撃を受けたときには声が出なくなるものらしい。
原因を考える暇が与えられることもなく、手首から肘へ、肘から肩へと優真の身体は塵になり、消えていく。
助けを求めようとしたときには彼の両脚は消滅していて、ドアまでのたったの1メートルがどうしようもなく遠く感じた。
諦めにも似た気持ちで、箪笥の上の写真立てに目を遣った。
6歳のとき、初めて遊園地に行った時の家族写真だ。
先ほどまで両親の間で笑っていた優真の姿が消滅していた。
(ああ……さっきのは6歳の俺だったのか)
そう理解した瞬間、すべてが腑に落ちた。
(待ち焦がれていた返事があんな文章だったんだ。死にたくもなるよな)
過去の優真が消滅した写真。
その中で笑う両親を見つめる優真の目は今、名の通り優しく真っすぐだ。
「ごめんなさい」
その言葉は両親に対してなのか、過去の自分に対してなのか、それとも。
答えを知るものはもうこの世にはいなかった。
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