何も知らない、小さな天使
土曜日の昼下がり、澄んだ空気が頬を撫でる。
ちらほらと冬眠が窺える芝生の上で、気づいたら、泣いてしまっていた。もう泣きたくなんてなかったのに。
引っ越し3日後の今日、大好きだったお家のご近所さんたちとデイキャンプをする。3年前から仲良くしてくれている友達家族と、ここに住み始めたことをきっかけに仲良くなったご近所さん。
23歳の私が一番の下っぺ。あ、もうすぐで24歳だ。
「年齢なんてただの数字だ。」
"数にとらわれずにしたいことをしたい"という文脈で使うことはあるけれど、ここで使う年齢はとても大事に思える。
彼らのポケットにはずっしり重いハンドメイドのものさしと30年かけて選んだ少しの絵の具が。なんでもが見えすぎる今日、"少し"を選べるのは強さかもしれない。
彼らは"そのへん"にある素朴な色を組み合わせて日々を描く。それは月並みなタッチの連続に見えるけれど私には容易に真似できない。毎日を観察しているからこその賜物だね〜モネの睡蓮の絵みたい。
そんな、強さと繊細な配慮の先に生まれる美しさが、ここにはある。そうなりたいと願いつつも、まだまだ私には描ききれない。だから私は、一番の下っぺ。ちいさなちいさな天使ふたりを除いては。
そんなご近所会は今回が2回目の開催。私以外のみんなは夫婦や家族での参加。わたし1人でも迎え入れてくれたことがとっても嬉しい。キャンプが趣味だという皆んなのしなやかな手つきには驚いた。むくむくと芝生から生えてくるテントと見たことのない野外専用の調理器具たち。試行錯誤の末にテーブルの上に出てくる料理たちは、ここが屋外であるということを忘れそうになるような代物ばかり。ガパオライスにピンチョス!(何度でも口に出したくなるピンチョス!)
私はただただ、持ち寄りの焼酎を片手に、とめどなく湧いてくるよだれをゴクリと飲み込むしかなかった。
それぞれの個性を纏い、七変化した食材たちがゆるりとお腹に入ってゆく。愉快な会話と少々のアルコールで体と空気の境界線ががぼやけ始めた頃、
小さな天使がシャボン玉をはじめた。
黄色い声と小さな体が、緑の上で踊っている。
その瞬間の感情のままに放つ、身勝手ながらも偽りのない全てがあまりにも美しかった。自らが光ろうとしていないのに、周りを光らせようなんてしていないのに。
なんで泣いたのかはわからない。ただ美しかったから。ドロップの弾ける音のように、グラスに広がる漣のように。子供って、家族っていいなと思ったから。ただ、それだけ。
この数ヶ月、まとまらない思考と表面張力を恨みたくなるほどにぎりぎりを保っていた感情のコップ。いっそ誰かが無責任にこの膜を壊して、こぼしてほしかった。けれど、そうしたところで分からない。何が苦しくてどこをどう取り除けばいいのか。
けれどこの時、自分では決して触ることのできなかった部分をそっと撫でられた気がした。友達でも家族でもない、何も知らない、小さな天使に。
今日も家路の絡み合う交差点を歩く。裸で手を伸ばす木々の向こう、沈み始めた空に飛行機が流れゆく。耳に閉じ込めたクラシックの向こうから天使の声が聞こえてきた。
「ひっこうき」