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本を読む人になった日のこと

短い期間だったけど、中学を出てすぐ地元から遠い街で姉とふたりぐらしをした。

たたみの部屋の左右のカベ沿いに置かれたわたしと姉のシングルベッド、
その中心に置かれたカラーボックスの中の姉の本に、ある日ヒマに耐えかねて手を伸ばしたのがわたしの読書との出会い。



そこにあったのは
吉本ばなな先生のアムリタ

ハチ公の最後の恋人 や

山田詠美先生の風葬の教室


今書いててしみじみ思ったけど、
あの自由すぎてヒマすぎて心細かったとき、手を伸ばした場所で待っていてくれたのがあの本たちでよかったな。

物語の世界観に没入できることが、自分がいる環境に全然しっくりきてなかった当時のわたしにとってすごい癒しになった。希望になった。

まさか姉とわたしのナワバリの指標のように置かれたカラーボックスにあんなヤベエものたちが置かれていたとは…。

早く教えてよ〜

と思わないでもないけど、たぶんわたしのことだから「これおもしろいよ、読んでみて」と言われたら逆になかなか読まなかったかも。


なにはともあれ

そうしてわたしは読む人になった。

その町に住んだ約1年、バイトの時間以外はずっと本読んでた。

もうヒマじゃなかった。
まだ読んでない本いっぱいあったから。

余談だけどわたしそのときの借家でシックハウス症候群になっちゃって(泣)
家いたら喘息出るようになっちゃってエ!(号泣)

図書館、公園、デパートのフードコート、いろんな場所で読んでた。

秋の公園で読書する女の子の絵

あの日姉の本に手を出さなかったら、学校の教科書以外の小説を読まない人生だった可能性高いと思う。

実際私のまわりあんまりいないもん。本読むひと。

でも自分が読書好きになったからって、
みんな小説読んだらいいのに!とは思わない。

趣味や娯楽やセラピーには色々あるから。

“小説を読むこと”
だれかのあたまの中で生み出された架空の物語を文字で追いながら自分のあたまで再生すること。って…なんならけっこう特異な趣味では?

そんなこと世の中の全員やってたらなんか変やろ。とすら思う。


でも、今日のこのnoteがだれかにとって
あの日わたしが手を伸ばしたカラーボックスになったら…

つまり、小説のチカラが必要な人が小説に出会うキッカケになったら。

そんなことあったら
すごいなあなんて
調子こいて思ったりした今朝でした。

猫背で本を読む女の子の絵

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