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書評:オルテガ・イ・ガセット『個人と社会』

社会学のメタ次元照射で浮かび上がる権力としての社会論

オルテガは主に20世紀前半に活躍したスペインの高名な社会学者であり、その研究が究極的に目指したところは「社会学の形而上学的基礎の追求」であったとされる。

この見地から見れば、日本で最も読まれている『大衆の反逆』も「大衆」というより個別的な概念を論じるに留まった著作であり、オルテガ社会学の第1章に過ぎないということができるだろう。

事実『大衆の反逆』の最終章「真の問題は何か」の終盤で、オルテガは「近代ヨーロッパ文化が根本的な欠陥を被っている」としつつも、その問いがあまりにも大きく扱えなかったことを記している。

『大衆と反逆』出版当時オルテガの念頭にあった当著の第2部のような形式とはならなかったものの、彼の死後に発表されたのが今回ご紹介する『個人と社会』である。
本著によって初めて、社会学に形而上学的な基礎(意味と十分な存在理由)を与える「人間的生の理論」を根拠に持つ、「オルテガ社会学」が誕生したと言えるだろう。

本著におけるオルテガの問題認識は、従来の社会学が「社会とは何か」を十分に分析してこなかったという点にある。
これは言い換えれば、社会学自身が明確な自己規定を有してこなかった状態を指摘したものであり、それ故に従来の社会学は問題の立て方のみならず基本的な事実認識においてすらも明確な立脚点を持ち合わせずにいた、というのがオルテガの認識であった。

そのことから、社会学を形而上学的に基礎付けるにあたり、オルテガは本著においてまず、一人称としての「我」がどのように外界と接し、外界を認識し、世界像を構築するかというプロセスを、ラディカルに丹念に詳らかにしていく。

当該論証に本著の半分が割かれることになるのだが、ここに来てようやくオルテガは、「我」と「汝」からなる「我」にとっての世界、そこに「社会」なるものが存在するかという問いを投げかける。

オルテガの答えは「否」であった。
個別具体的な人称を有する実在同士の関係の網の目からなる「世界」には、「社会」なる概念の居場所はないと。

「社会」とは、個別具体的な実在に根拠や発生の基盤を有する概念ではなく、相互の交わりが歴史的に繰り返され、慣習化したところに現れる「現象」であり、「抽象」である、とオルテガは穿つ。

そして「社会」なる概念を生み出す「現象」の本質は「慣習」であることを論証し、「慣習」が「実在」に対しある種の強制力、即ち規範やルールを伴った権力として働きかけることを明らかにしていく。

最終的には、「現象」としての「社会」の最たるものが「国家」であるとの主張に至る。
「国家」とは単なる「実在」の集合ではなく、「抽象」としての「社会」という「現象」を強制力、権力として内包するのであると。
つまり、「社会」という「慣習」が1つの「現象体」として強制の機能をなし、そこに「実在」たる人称が配されることで体をなす、というのがオルテガの「社会」論であり、「国家論」である。

このように、「社会」「権力」「国家」を現象論として捉える場合、政治に携わる「人・政治家」という人格を政治の善し悪しの原因とするような言論とは地平を画した言論空間が広がることとなるだろう。

「人・政治家」を責める、攻撃する、バカにする。
そんな悪口政治批評が当たり前のようにまかり通っている日本の言論界の現状を、オルテガならどう見るであろうか。
「社会」の形而上学的基礎という認識を持たない言論は、所詮人を責め人の悪口を言う以上のことはできないいい例だ、とでも断じてくれるかもしれない。

読了難易度:★★★☆☆
「社会」論のメタ次元度:★★★★★
社会学の「原理」構築度:★★★★☆
トータルオススメ度:★★★★★

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