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書評:D・H・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』

「チャタレー事件」の当事作品、その内容はエロ?それとも?

今回ご紹介するのは、イギリス文学よりD・H・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』。

本作はかつて、日本語訳出版当初に「露骨な性的描写を含む」とされ、刑法175条(わいせつ物頒布等)違反として起訴され有罪となった作品である(俗に言う「チャタレー事件」)。

※因みに今日手に入る新潮文庫は完訳版である。

エロいっちゃエロいのであるが、今日的に見れば何のことはないだろう(KING王的には肩透かしで残念であった(←えっ!?))。

また、読みどころもそんなところにある作品ではないと言えよう。

肉体関係の精緻に描写することで、転じて現代文明批判を展開するという、なかなか奇抜なアプローチでありながら、読み応えのある作品だと思われる。

本作では、現代文明社会が「有機的ではなく機械的」であるとの指摘が登場する。鋭い看破であり、名言だと思った。

「生」と「性」を結び合わせるロレンスの思想(人間の捉え方)には、人間という存在の本質に迫らんとする気迫のようなものすら感じられる。

人間の精神的な側面を空虚として一蹴してしまう嫌いもあり、その思想に必ずしも全面的に賛同するものではないが、人間はやはり肉体をもった物質であるという事実は、少なくとも現在においては変えがたい真実だ。この存在論的制約を超越する時代は未だ到来していないのだから。

この立脚点から、物質的存在という側面に回帰するか、観念的存在論に空想的に跳躍するか。

ロレンスの選択は明らかに前者であろう。

※この点における文学的方向性としては当然後者を選択する道もあるわけで、例えば私の好きな埴谷雄高などは後者に向かった例だと言えるだろう。

ロレンスは以前紹介した『黙示録論』の著者でもある。

当該投稿にて紹介したように、ロレンスには「人間は存在論的な矛盾を内包する悲劇的な存在である」という、ある種の諦念とも取れる思想が根底にある。

そのことに鑑みるに、本作においてロレンスが表現を追い求めたのは「矛盾的存在」としての人間が取り得るせめてもの現実的な「生」のスタイルだったと言えるのではないだろうか。

中編だが物語の展開のテンポがよく、軽快に読み進めることができる作品である。

読了難易度:★★★☆☆(←中編だが読みやすい)
シンプルなエロ度:★★★☆☆(←普通)
人間の「生」に対するリアリズム度:★★★★☆
トータルオススメ度:★★★☆☆

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