私もこんな男に会いたいぞ。 【書評】皆のあらばしり (乗代雄介 著)
こんにちは。前回、「ブラックボックス」(砂川文次 著)の書評(というか感想文)を書いたところ(あくまでも、私にしてはですが)多くの「スキ」を頂けたので、いたくご機嫌になりました。感想をTwitterのDMでくれた方もおり、反応があること自体嬉しいものなのだな、と実感しております。
調子に乗ってということではありませんが、第166回芥川賞の候補作となった「皆のあらばしり」の感想を書いてみたいと思います。
そもそも「皆」だとか、「あらばしり」とは何なのよ、という疑問はありますが、それぞれの意味はあまり重要ではなく、小津安二郎の親戚にあたる小津久足が遺しとされているものの、未だ世に出ていない本の題名です。
(ちなみに「皆」は栃木県の「皆川城址」、すなわち「皆川城のしろあと」のことであり、「あらばしり」とは「日本酒の製造工程で最初に絞り出された酒」のことのようです。)
語り手の「ぼく」は歴史研究部に所属する高校生。ある日皆川城址にて、関西弁をあやつる「男」と出会い、ひょんなことから「皆のあらばしり」の調査を請け負うことになります。
以後、毎「素数の木曜日」の午後4時、「ぼく」から男に対してその調査過程を報告する形で物語は進みます。関西弁の男の、海千山千の態度。そもそもどうして「皆のあらばしり」を探しているのか、その理由すら明らかにしません。しかしながら、「ぼく」の探求心を煽ることで、巧みにに自らの統制下においていきます。そうとうひねくれていますが、人たらし、とも言えます。
最終的に「皆のあらばしり」は実在するのか?というミステリーなのかというとさにあらず。この物語の肝は「男」と「ぼく」の関係性です。「ぼく」はこのけったいな「男」を相当胡散臭いと思っていますが、知性、好奇心に抗うことはできず、彼の意のままに古書を探し続け、彼の歴史に対する知識や態度、処世術を学ぶことになるのです。
そして、「ぼく」が「男」に対して出した調査結果において、「ぼく」が「男」から学んだことが発揮されるのです。
序盤はさして有名でもない、ローカルな歴史の講釈が「男」から滔々と発せられるので、若干退屈さを感じましたが、後半の2人の関係性が変わってくプロセス、緊張感にぐっと引き込まれます。まるで狐と狸の化かしあいのようです。でもその化かしあいにいやらしさは全く感じません。「男」の古書に対する粘度の高い欲望と、知らず知らずのうちに翻弄される「ぼく」の好奇心と「男」に対して一矢報いてやろうとしている挑戦。「ぼく」にとっては奇跡的な邂逅といえるのかもしれません。
こんな男に私も会いたい。そして「素数」という言葉を日常生活でさりげなく使ってみたい。
ということで、今回はここまでです。
お読みいただきありがとうございました。