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雑感『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』

「壁抜け」を実現させたもの

第3部は「僕(岡田トオル、岡田亨、オカダトオル)」のストーリーにさまざまなサブエピソードが縦横に貫く形式を取るが、メインラインを追っていくと意外とシンプルな構成となっていることがわかる。
すなわち、「僕」が井戸を入手して「壁抜け」を実現し、クミコと思しき女性と再会。暗闇の中で「誰か」を撲殺したのち帰還する、という流れだ。

ポイントはやはり「壁抜け」の成否だろう。第3部序盤の時点で、「僕」は壁抜けまで至らないものの、井戸の底から「あの部屋」に接近することができるようになっている。

僕はまじり合っていく違った種類の暗闇の中であざに意識を集中し、あの部屋のことを考える。(中略)今ここにいる僕とその奇妙な部屋を隔てているものは、ただの一枚の壁に過ぎない。そして僕にはその壁を抜けることができるはずなのだ。僕自身の力と、そしてここにある深い暗闇の力によって。
息をひそめて意識をひとつに集中すると、その部屋の中にあるものを目にすることができる。僕はそこにはいない。でも僕はそれを眺めている。それはホテルの続き部屋だ。208号室。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p100−101)

しかし、壁抜けは容易には達成されない。「僕」が壁に向かって足を踏み出そうとした瞬間、「いつものように」208号室のドアを鋭くノックする音が鳴り響く。「ようやく形作られ始めたばかりの僕の通路」はすっぱりと断ち切られてしまう。

のちに綿谷ノボルとのオンラインでのやり取りを通じて、この208号室への侵入の試みが、彼に悪夢を見せていたと判明する。綿谷ノボルもまた、夢の中で「僕」の侵入を阻むため妨害を試みていたのだろう。
とすると、最終的に「僕」が「壁抜け」を実現できたのはなぜか。

ひとつ注目したいのは、シベリア抑留体験を語った間宮中尉の手紙が、32章「加納マルタの尻尾、皮剝ぎボリス」と34章「ほかの人々に想像させる仕事(皮剝ぎボリスの話のつづき)」に分けられていることだ。そして33章「消えたバット、帰ってきた「泥棒かささぎ」」は、それらに挟まれるかたちで挿入されている。つまり、33章で壁抜けができたときに、「僕」は間宮中尉の手紙を読んでいたのか否か。それが大きなポイントとなる。
実際、33章を読んでも、「僕」が間宮中尉の手紙を読んでいたのか、あるいは32章部分に該当する前半部分のみを読んでいたのかはわからない。しかし37章「ただの現実のナイフ、前もって予言されたこと」で、「僕」は間宮中尉の手紙に言及する。

何も考えてはいけない、と僕は思った。想像してはいけない。間宮中尉は手紙の中にそう書いていた。想像することがここでは命取りになるのだ

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p451)

この「想像してはいけない」は、正確には34章で炭鉱の実権を握ったボリスによる忠告である。つまり、単純に時系列で考えると、「壁抜け」を実現した33章時点で「僕」は手紙の後半部分まで読んでおり、「想像してはいけない」という助言をすでに受けている状態だということになる。

ここで改めて、壁抜けを実現させたときの描写を見てみよう。

とにかく今日はバットなしでやるしかないな、と僕は思った。まあ仕方ない。バットはもともとただのお守りみたいなものにすぎなかったんだ。大丈夫、そんなものがなくてもぜんぜん問題はない。(中略)でも前回と同じように、なかなか意識をひとつに集中することができなかった。いろんな思いがこっそりと僕の頭の中に忍び込んできて、集中を妨げた。僕はそれらの思いを外に追い出すために、プールのことを考えようとした。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p389-390)

ここで「僕」は、ある種のスランプに陥っていることがわかる。
これよりさかのぼること5日ほど、「僕」は井戸の底に潜っていない。そこに至るまでの経緯を振り返ると、まずナツメグから「しばらくのあいだお客はここには来ない」と告げられる。週刊誌による「首吊り屋敷の謎」の第二報に加え、「僕」と綿谷ノボルの確執が明らかになったからだ*1。

ちょうどその夜、「僕」はシナモンのコンピューターを使って綿谷ノボルとチャットでやり取りし、そのコンピューターを介してシナモンから「ねじまき鳥クロニクル#8」が開示される。
「ねじまき鳥クロニクル#8」はそのまま本書の28章にあてられ、「(あるいは二度目の要領の悪い虐殺)」という副題が付されている。このエピソードはナツメグが「僕」に語り、幼いシナモンに語り聞かせていた、1945(昭和20)年8月の新京における動物射殺の後日譚に当たるものだ。だから「僕」は、シナモンがナツメグの話をもとにその続きを創作したものと考える。そして「年代記(クロニクル)」という形式をとった(あるいはとらない)物語群の存在は、「僕」に物語と現実が侵食し合っていることを気づかせる。

すべては輪のように繋がり、その輪の中心にあるのは戦前の満州であり、中国大陸であり、昭和十四年のノモンハンでの戦争だった。でもどうして僕とクミコがそのような歴史の因縁の中に引き込まれて行くことになったのか、僕には理解できない。それらはみんな僕やクミコが生まれるずっと前に起こったことなのだ。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p275)

上記引用は、先行する24章で綿谷ノボルの記事を読んだ「僕」の述懐である。綿谷ノボルは記事中で、自身がその政治的基盤を受け継いだ伯父が、昭和の初期に満州へ渡り、ロジスティックス(兵站学)を専門とするテクノクラートとして、きわめて現実的な視点から「冬季におけるソビエト軍との戦闘は現段階装備にて遂行不可能」と断ずるレポートを提出したと述べる*2。
このことは間宮中尉の手紙の内容はもちろん、「ねじまき鳥クロニクル#8」ともリンクする。なぜなら、1945年8月に同時的に起こった間宮中尉のエピソード(左腕を失う→シベリア抑留)と動物園の動物および中国人士官学校生殺害とは、ソビエトによる侵攻がその背景にあったからだ。

歴史的背景をひもとこう。
1945年8月にソビエトが満州国へ侵攻してこれたのは、「かつては豊富であった関東軍の精鋭部隊と装備の大半は運び去られてしまっていたし、その大半は既に深い海の底に沈み、ジャングルの奥に朽ち果てていた」からだ。同年2月のヤルタ会談で、ソ連は対日参戦の密約を英米と結び、虎視眈々と南進の機会を狙っていた。
そもそも「揺るぎなき北の護りを豪語した関東軍」が弱体化したのは、「昭和十四年」(1939年)のノモンハン事件後、日本軍が南方への侵攻を拡大し、そこに戦力を集中させたからだ。そして、その方針に影響を与えたのが、先述の綿谷ノボルの伯父の報告書である。彼が石原莞爾を敬愛し、兵站強化では意見の一致を見つつも、石原の持論「ソビエトとの全面戦争が避けがたいもの」と真逆に働いたのが興味深い。また、間宮中尉も本田伍長の暗躍により、日ソ戦の回避に一役買ったことも忘れてはならない。
そして、実際にソ連との全面戦争にのぞんだのは、アドルフ・ヒトラーのドイツだった(1941年6月~)。ベルリンが赤軍に侵略され、ヒトラーが自殺に追い込まれたのが1945年4月。ドイツの降伏により、ソ連軍に余裕が生じ、対日参戦にいっそうの現実味を帯びるようになる。1945年8月8日、ソ連、対日参戦布告、9日ソ連軍、満ソ国境を越えて侵攻を開始する。

このように見てくると、「昭和十四年のノモンハンでの戦争」が歴史的因縁の「輪の中心にある」ことが理解できるだろう。そして、33章時点で井戸に潜った「僕」は、たしかにその輪の中にかっちりと配置されている。たとえば「お守り」として機能していたバットひとつとっても、新京の動物園での中国人処刑にダイレクトにつながってしまう。だからこそ、バットは何者かによって井戸の底から持ち去られたのだ*3。歴史的因縁という文脈から離れることが壁抜けでは必須だからだ。

再び、「壁抜け」に成功するくだりに注目しよう。なかなか意識をひとつに集中することができない「僕」はプールのことを思い浮かべたのだった。

自分がそのプールをクロールで往復しているところを想像してみる。スピードのことは忘れて、ただ静かにゆっくりといつまでも泳ぐ。余計な音を立てないように、余計な水しぶきを立てないように、肘を静かに水から抜き、指先からそっと差し込む。(中略)耳に届くのは僕が呼吸する規則的な音だけだ。僕は空を飛ぶ鳥のように風の中に浮かんで、静かに地上の光景を見おろしている。(中略)僕は穏やかな気持に包まれていく。うっとりすると言ってもいいくらいだ。泳ぐことは、僕の人生に起こったもっともすばらしいことのひとつだった。それは僕の抱えた問題を何も解決しなかったけれど、また何も損なわなかった。そして何からも損なわれることのないものだった。泳ぐこと。
何かが聞こえる、と僕はふと思う。
気がつくと僕は暗闇の中で虫の羽音に似たぶううううんという低い単調な唸りを耳にしている。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p390-391)

このあと、闇の中で音に集中しているうちに「僕」は眠りに落ち、意識を取り戻したとき、208号室へ移行していることに気づく。

このように「泳ぐこと」がもたらす没頭が、どうしてもできなかった「壁抜け」をひょいと実現させる*4。それは間宮中尉の「想像してはいけない」という助言と奇妙に符合する。208号室を想像するのではなく、何か別のことを考えること。妄想することーー。

本当に想像してはいけないのか?

小説そのものは考えないと書けないだろうし、それこそ想像しなければ物語は立ち上がってこないだろう。しかし、没我がもたらす妄想を抜きにしても、物語は成立しないのではないだろうか。その傍証とも言える「語り部」たちの姿を、本書では何人も見つけることができる。

ねえ、ねじまき鳥さんはモウソウを抱くことはありますか? 自慢じゃないけれど私はよくあります。しょっちゅうあります。ひどいときには一日モウソウの雲にすっぽり包まれて仕事をしていることだってあります。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p341-342)

笠原メイが「僕(ねじまき鳥さん)」に送る手紙は、1章「笠原メイの視点」を皮切りに7章、11章、16章、19章、30章、38章が独立した章として割かれている。だが、41章「さよなら」において、彼女の手紙は1通たりとも「僕」に届いていなかったことが判明する。同じ手紙であっても間宮中尉のそれは「僕」に届く描写があり、先に見たように、そこに書かれた「想像してはいけない」という忠告に「僕」が従ったのとは対照的だ。この対比にどんな意味があるのだろう。

上記引用における「モウソウ」は、笠原メイ自身が「宮脇さん一家」のかつての「幸福なイトナミ」の一部になったように感じたこと、さらに「変な話」と前置きしたうえで「最近ときどき自分がクミコさんになってしまったみたいな気持」になることを指している。そしてその「モウソウの雲」に「すっぽり包まれて仕事をしている」とも記されているわけだが、笠原メイの現在の仕事はかつらをつくることだ。なぜなのか本人にもわからないが(「ミャクラクのないこと」)、笠原メイはかつらのことを「宿命的に気に入って」いる。

私はここで何日かかけて、「自分の」かつらをひとつ仕上げます。(中略)それは流れ作業じゃなくて、私の仕事なの。チャップリンの映画に出てくる工場みたいに決まったボルトをひとつかちゃんと締めて、はいお次っていうのじゃないの。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p189)

笠原メイは山奥の「飛行機の格納庫みたいに広くて、天井がやたら高くてがらんとし」た工場で「百五十人くらいの女の子」とともに、かつら作りに没頭している。

私はただ、この仕事を全面的に受け入れようとしているだけです。かつらを作っているときには、かつらを作ることだけを考えています。それもけっこう真剣に、ほんとうにじっとりとからだに汗がにじんでくるくらいしんけんに、考えちゃうのです。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p191-192)

うまくいえないんだけど、最近になってバイクの事故で死んだ男の子のことをちょっと考えたりします。(中略)とくにアタマをからっぽにしてベースに髪の毛をせっせと埋め込んでいるときなんかに、ミャクラクなくそういうのがはっとよみがえってきます。そうだそうだ、こうだったんだって。きっと時間というのはABCDと順番に流れていくものじゃなくて、てきとうにあっちに行ったりこっちに来たりするものなんですね。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p192)

この二つの引用からは、笠原メイが「かつらを作ることだけを」真剣に考えているとき、過去のことが「ミャクラクなく」よみがえってくることを示している*5。つまり、何かに専心すればするほど、妄想の入り込む余地が出てくる。

ナツメグもまた、「モウソウ」に現実を侵食されている人物である。彼女の語る新京動物園の物語は、実際には終戦間際の引き揚げ船の船上で幻視したものだった。

<赤坂ナツメグ>は語った。記録フィルムを真白なスクリーンに映写しているみたいに、順序正しく、ありありと彼女はその出来事を物語った。そこにはひとかけらの曖昧さもなかった。しかしそれは彼女が実際には見なかった情景だった。ナツメグはそのとき佐世保に向かう輸送船の甲板に立っていたし、そこで実際に目にしていたのはアメリカ海軍の潜水艦だった。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p105)

ナツメグは大砲がこちらへ向けられたときにはすでに意識を失っており、潜水艦が「理不尽に唐突に」水中に消えてからもこんこんと眠り続け、佐世保に着くまで目を覚まさなかった。とすると、極度に張り詰めた死への予感が、彼女の意識を保護するために幻想を見せたということなのだろうか。いや、それだけでは説明がつかない。
たしかに目の前に迫る潜水艦は死の象徴と言えるだろう。しかしナツメグは、事態を「戦争とは関係なく」起こる普遍的な出来事ととらえている。

この潜水艦は、私たちみんなを殺すために深い海の底から姿を現したのだ。でもそれはべつに不思議なことじゃない、と彼女は思った。それは戦争とは関係なく、誰にでもどこにでも起こりうることなのだ。みんなはこれがみんな戦争のせいだと思っている。でもそうじゃない。戦争というのは、ここにあるいろんなものの中のひとつに過ぎないのだ。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p108  太字引用者)

八人の兵隊たちが一斉に三八式小銃の槓桿を引いて薬室に弾丸を送り込むと、その乾いた不吉な音はあたりの風景を一変させた。虎たちはその音を耳にするとさっと床から立ち上がって兵隊たちを睨みつけ、鉄棒の向こうから精一杯の威嚇の唸り声を上げた。中尉も念のために自分の自動拳銃をケースから取り出し、安全装置をはずした。そして気を落ち着けるために、軽く咳払いをした。こんなことはなんでもないのだと思おうとした。こんなのはみんながいつでもやっていることなのだと。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p113-114 太字引用者)

おそらくこの二つの引用は呼応している。そして、後者の動物園の幻視をナツメグの「モウソウ」と考えるなら、目の前にある普遍的な脅威(潜水艦。Sub)と等価交換可能な普遍的な暴力(動物園。Zoo)が召喚されたとも言える。

もうひとつ、上記のナツメグの例から言えるのは、同じ人間は二つの出来事を同時に見る(知る)ことはできない、ということだ。これは物語中の幻視または予言をする者に共通する。

まず、ナツメグは動物園の物語の主人公である、青いあざを持つ獣医(自身の父、シナモンの祖父)の行く末について、実際には知らない。

新京の駅で手を振ってわかれたのが、お父さんを見た最後だったわ。(中略)お父さんがそのあとどうなってしまったのかは、誰にもわからない。たぶん進駐してきたソビエト軍に捕まってシベリアに連れていかれて、強制労働させられて、ほかの多くの人たちと同じようにそこで亡くなったんだと思う。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p118-119)

しかしシナモンの「ねじまき鳥クロニクル#8」では、獣医の行く末とそれ以外の登場人物の末路もはっきりと語られる。中国人をバットで撲殺した若い兵隊によってだ。彼だけがねじまき鳥の鳴き声を聞くことができる。

そのねじの音に耳を澄ませているうちに、さまざまな断片的なイメージが彼の前に現われて、そして消えていった。あの若い主計中尉はソビエト軍に武装解除されたあとで中国側に引き渡され、この処刑の責任を問われて絞首刑に処される。伍長はシベリアの収容所でペストで死ぬ。(中略)顔にあざのある獣医は一年後に事故で死ぬことになる。彼は民間人ではあったが兵隊たちと行動をともにしていたためにソビエト軍に拘留され、やはりシベリアの収容所に送られる。強制労働に就かされていたシベリアの炭鉱で、深い竪穴に入って作業をしているときに出水があって、ほかの多くの兵隊たちと一緒に溺れ死ぬ。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p326)

しかし、若い兵隊には自分の運命だけは見えない。にもかかわらず、10章の語り手によって彼の運命もすでに明らかにされている。

(もちろん本人にはわからないことだが、この兵隊は十七ヵ月あとにイルクーツク近くの炭鉱で、ソビエトの監視兵にシャベルで頭を割られて死ぬことになる)*6

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p115)

つまり動物園での殺害に携わった人物は、処刑される「若い主計中尉」を除いてシベリアの炭鉱送りになり、収容所生活で命を落とす。そう明記されている。
そして、シベリアの炭鉱送りになった人物がもう一人いる。間宮中尉だ。つまり、間宮中尉のストーリーと、ナツメグ/シナモンのストーリーは新京の町とシベリアで結びつく。「僕」が主計中尉が「間宮中尉であったとしてもおかしくはな」い、と言うのにはこうした背景がある。さらに、「顔にあざのある獣医」の末路である「深い竪穴での出水」は、まさに物語の結末で「僕」が井戸の底に湧き出た水で溺れ死にそうになることと符合する。さらにそれは、本田さんの「水には気をつけた方がいい」という予言とも符合する。因縁の輪は、本来、ナツメグ/シナモンが知りようのない、「本田さん・間宮中尉ライン」をも巻き込んでいく。

そもそも「ねじまき鳥クロニクル#8」とそれ以外の物語群は、ナツメグの幻視をシナモンと共有し始めたことから立ち上がったのだった。その後、シナモンは声を失い、ナツメグと物語を共有することをやめ、独自の体系を築くに至ったと「僕」は推測する。

それはひとつのかたちに固定された物語ではなく、口頭伝承のように変化を受けつけながら増殖し、かたちを変えつつ存在しつづける物語なのかもしれない。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p332)

「僕」の推測はほぼ正鵠を射つつも、自身が物語の登場人物であるかぎりは想定の域を出ない。

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誰かがコンピューターの電源を入れ、「ねじまき鳥クロニクル」という文書にアクセスしたのだ。(中略)そんなことができる人間はシナモンのほかにはいない。
「ねじまき鳥クロニクル」?

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p302)

当然ながら小説『ねじまき鳥クロニクル』の存在を、「僕」は知らない。小説『ねじまき鳥クロニクル』のない世界に「僕」は存在している。しかし、我々は今まさに『ねじまき鳥クロニクル』を読んでいる。とすると、シナモンは「こちら側」にアクセスできるのだろうか? 

本書をメタフィクションとして読み解くのはたやすい。我々読者が読んでいるストーリーそのものが、シナモンが構築している物語と考えればよいからだ。
しかし、それでは物語そのもののダイナミズムが一歩後退してしまう。ナツメグや彼の父がとらわれていた、運命の「のびてくる長い手」の存在を肯定することにもつながってしまう。やはり本書はシナモンの「かたちを変えつつ存在しつづける物語」を内包した、スタティックな物語なのだと考えたい。

ここで『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の世界観を参照したい。「ハードボイルド・ワンダーランド」の「私」は、脳外科手術を経て、意識の核ともいえる思考回路を有している。「私」の意識の核とはすなわち「世界の終り」というドラマだ。「世界の終り」の舞台である高い壁に囲まれた「街」は、外界の影響を受けない代わりに、一度中に入った者が外に出ることを許さない。そこには時間も感情もない。つまりダイナミズムは存在しない。それは表層的な意識の変化をノイズとしてカットすることで、意識の核の純粋性を維持しているがゆえだ。そして、意識の持ち主である「私」には、意識の核の内容を知り、コントロールすることはできない。「世界の終り」は完全なブラインド回路であり、ブラックボックスなのだ。

これに対し、シナモンの物語はダイナミズムこそが主役だ。表層的な変化、外界からの刺激を積極的に受け入れることで、絶えず変化を続ける*7。そこでは時間はクロノロジカルにもなりうるし、ノンリニアにもなりえる。
また先に見たように、管理者であるシナモンの既知のことのみならず、未知のこと、たとえば間宮中尉や本田さんが「僕」に語ったこともその一部として取り込み続ける。この取り込み能力は、もともとはナツメグの特性(「幻影と真実とのあいだに広がる薄暗い迷路」をさまよう)であったが、シナモンが物語体系に自律機能として取り込んだのかもしれない。そういう意味で、シナモン/ナツメグにとって「僕」は、彼らの物語を広く展開させるためのハブになっていることがわかる。

いまいちど『世界の終り~』に立ち返ると、なぜ意識の核が固定化され、ブラックボックスに仕立てたられたのかというと、意識の核の正体を知った者はそれを改変してしまうからだった。思考システムがダイナミズムを有してしまうと、やがてカオスが訪れる。それは避けなければならない。
とすると、シナモンの物語をカオス化から守る者はいるのだろうか。シナモンがゲームにおけるゲームマスターのように物語を管理し続けているのだろうか。シナモンと彼の管理する物語はそれこそブラックボックスなので、答えはない。しかし少なくとも、ひとつの原理というべきものは示されている。ねじまき鳥の存在だ。

シナモンの物語では「ねじまき鳥」という存在が、大きな力を持っていた。人々はとくべつな人間にしか聞こえないその鳥の声によって導かれ、避けがたい破滅へと向かった。そこでは、獣医が終始一貫して感じ続けていたように、人間の自由意志などというものは無力だった。(中略)その鳥の声の聞こえる範囲にいたほとんどの人々が激しく損なわれ、失われた。多くの人々が死んでいった。彼らはそのままテーブルの縁から下にこぼれ落ちていった。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p332-333)

「ねじまき鳥クロニクル#8」の兵隊たちの運命はそのまま、収容所でボリスの圧制下に亡くなっていった日本人捕虜の姿に重なる。というよりも、おそらくそのものとなる。
彼らの運命を決めたのは、間違いなく1945年8月の敗戦である。彼ら兵隊はソ連軍が迫る新京で任務遂行にあたり、獣医は「運命と二人きり」になるため動物園に残る。間宮中尉は志願してハイラルの前線へ出向く。そして、ナツメグは日本本土に向けて引き揚げる満州国官吏や満鉄の高級職員の家族とともに洋上にあった――。
これらの3つのエピソードは、1945年8月半ばに同時発生的に起きている。その背景には、満州国崩壊という大きな運命が横たわる。

数日後には、遅くとも一週間後には、ソビエト極東軍の主力部隊が新京に到達するはずだった。その前進を食い止める手立てはまったくなかった。開戦以来、南方に広がった戦線を維持するために、かつては豊富であった関東軍の精鋭部隊と装備の大半は運び去られてしまっていたし、その大半は既に深い海の底に沈み、ジャングルの奥に朽ち果てていた。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p109)

日本陸軍の南進に、綿谷ノボルの伯父による報告書が嚙んでいたことは先に述べたとおりである。そして以下に見える満州国の滅亡に、綿谷家が絡んでいるのもひとつの因縁なのだろう。

揺るぎなき北の護りを豪語した関東軍も、今では張り子の虎も同然だった。ドイツ軍を撃破したソビエトの強力な機動部隊は鉄道を使って極東戦線への移動を完了していた。彼らの装備は潤沢であり、士気は高かった。満州国の崩壊は目前に迫っていた。
誰もがそのことを承知していた。関東軍の参謀たち自身がいちばんよく承知していた。だから彼らは主力部隊を後方に撤退させ、国境付近にいた守備部隊や開拓農民たちを事実上見殺しにした。(中略)参謀や高級将校の多くは朝鮮との国境に近い通化の新司令部に「移動」し、皇帝溥儀とその一族も大急ぎで荷物をまとめて、専用列車で首都を脱出した。(中略)日本が面目をかけて荒野の中に作り上げた満州国の首都、新京特別市は不思議な政治的空白の中にとり残されることになった。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p109-110)

こういった状況で新京に残された兵隊たちも、上層部に見殺しにされた者の一部だろう。ねじまき鳥の鳴き声を聞いた若い兵隊は、開拓農民の出であることも記されており、二重の意味で「棄民」であることは明らかだ。

動物園に向かった兵士たちも、自分たちが数日後にここでソ連軍と戦って死ぬのは避けがたい運命だろうと考えていた(実際には彼らは武装解除されたのちにシベリアの炭鉱に送られ、三人が命を落とすことになる)。彼らにできるのは、死ができるだけ苦痛に満ちたものでないように祈ることだけだった。戦車のキャタピラにじわじわと踏み潰されたり、塹壕を火炎放射器で焼かれたり、腹を撃たれて長い苦悶の末に死ぬのはごめんだった。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p110)

動物園の兵士らが「ごめんだ」と考える死に方を、間宮中尉は望んでいた。そして、「戦車のキャタピラにじわじわと踏み潰され」、左腕を失う。彼らの願望と運命がここでも大きく交錯している。そして、生きて本土の土を踏んだのは、ボリスを抹殺するために彼ら日本人捕虜仲間を見殺しにしつつも、本懐を遂げられなかった間宮中尉だけだったのも皮肉としか言いようがない。

間宮中尉が「皮剝ぎボリス」の射殺に失敗したのは、「想像することは命取りになる」というボリスの忠告に背いたからだった。そもそも「そんな資格がない」とも言われている。でも、失敗のもっとも大きい要因は、おそらく次の描写だ。

この男を殺さなくてはならない、と私は自分に言い聞かせました。この男を殺すことによって、私の生きていた意味も出てくるのだ。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p414)

これを字義どおりにとるならば、ボリスを殺すことができなければ、間宮中尉の生きてきた意味がないということになってしまう。
おそらくこの物語では、死や暴力にのぞんだとき、直視、直面してはならないのだろう。だから幼いナツメグは潜水艦を直視せず、動物園を幻視した。中国人の脱走者の頭をバットで殴った若い兵士は、仲間の兵隊たちが墓穴を埋めているとき、実際には「何も見ていなかった」。彼はねじまき鳥の声を聞きながら、その場にいた3人の運命を予見していた。

笠原メイの「モウソウ」もまた、直視や直面を避ける行為だ。妄想癖はもちろん、笠原メイの持って生まれた特性であると同時に、一種の自己療養として働いていることが暗示される。

とにかく私はそういう風に外に出て男の子とデートしても、そこにどうも気持を集中することができないのです。にこにことお話をしていても、頭はいつもどこか別の場所を糸の切れた風船みたいにふらふらとさまよっているの。関係のないことを次から次へと考えているの。なんというのかな、結局のところ私はまだしばらく一人きりでいたいんだと思う。そしてとりとめなく考え事をしていたいんだと思う。そういう意味では、私はまだ「回復のトジョウ」にあるのかもしないなって思います。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p79)

一人きりで考えごとをすることが回復につながるのなら、シナモンが誰とも口をきかずに物語を紡ぎ続けるのもまた自己療養なのかもしれない。

「不思議なものだわ」とナツメグは思った。「私が人々を癒し、シナモンが私を癒す。でもシナモンを誰が癒すのだろう? シナモンだけがブラックホールみたいに一人ですべての苦しみや孤独を飲み込んでいるのだろうか?」ナツメグは一度だけシナモンの額に手をあてて探ってみたことがある。顧客たちに「仮縫い」をするように。しかし彼女の手のひらはそこに何も感じることができなかった。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p210)

シナモンが深く親密にコミットするのは、コンピューターを通して彼にとっての「ほんとうの現実」とたわむれているときだと「僕」は考える。

彼はひとしきりキーボードを叩くと、画面に浮かんだ文字を読んで、不満げに唇を曲げたり、ときには微かに微笑んだりもした。考えながらゆっくりとひとつひとつキーボードを叩くこともあれば、ピアニストがリストの練習曲を弾くみたいに激しい勢いで指を走らせることもあった。彼はその機械を相手に無言の会話をかわしながら、モニターテレビの画面を通してもうひとつの別の世界の光景を眺めているように見えた。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p224)

シナモンはコンピューター上の「別の世界」で「澄んだ声で能弁に語り、大きな声で泣いたり笑ったりしているのかもしれない」。「僕」はそう想像するわけだが、それはある種のメタバースのようなものかもしれない。

モニターの中の世界でたわむれるシナモン。山の中の工場でかつらを作りながら「モウソウ」を続ける笠原メイ。この二人が自己療養の途にあるのなら、二人の負った傷とは何か? それは他者の物語に飲み込まれた経験である。

ナツメグは間を置くように煙草に火をつけた。
「今では私にもわかっている。彼の言葉はその物語のある世界の迷路の中に飲み込まれて消えてしまったのよ。その物語から出てきたものが彼の舌を奪って持っていってしまったのよ。そしてそれは、その数年後に私の夫を殺すことになった」

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p184)

ナツメグの夫(シナモンの父)は、謎の変死を遂げる。ナツメグの解釈に従えば、物語から出てきたものに殺されたということになる。
では、物語を共有してきた母子は、どうやって危険を回避したのか。ナツメグは語り部として「幻影と真実とのあいだに広がる薄暗い迷路」をさまようことで、物語に飲み込まれることから逃れたのかもしれない。潜水艦/動物園のスイッチングも、その回避のひとつと言える。これに対し、シナモンは母親と共有していた「神話体系のようなもの」の迷路に「飲み込まれて」しまうが、前述のように、その物語を自ら改変していくことで危険を回避し続けているのかもしれない。

笠原メイのケースはやや明示性を欠くが、序盤に以下のような記述が見られる。

それで結局、私はその「高級ホテル刑務所林間学校」には半年くらいしかいませんでした。(中略)そして私は、三月の終りから四月にかけて家にこもって本を読んだり、テレビを見たり、あるいはまったく何もしないでごろごろしていたのです。そして一日に百回くらい「ねじまき鳥さんに会いたい」と思っていた。(中略)そして一ヵ月後に、私はもうそういう生活にたえられなくなったわけ。どうしてそんなことになったのかよくわからないけれど、私にとってここはもう「ねじまき鳥さんの世界」でしかないのよ。そしてここにいる私は「ねじまき鳥さんの世界」にふくまれる私でしかないのよ。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p74-75)

ここには「僕」をかつて死の淵まで追い込んでやろうとしたことに対する悔悟のようなものは見られず、「会いたい」という愛着がまず示される。そして「あの路地を抜けて、塀をひょいと乗りこえて、ねじまき鳥さんと話をしたい」誘惑に駆られる。なぜ、「僕」と会うことが抵抗すべき誘惑になるのかというと、自宅のかいわいはすべて「ねじまき鳥さんの世界」に属するからだ。
笠原メイはおそらく本能的に、他者の物語に飲み込まれることを回避している。ここでは、その物語とは「僕=ねじまき鳥さん」の世界であるが、「僕」の世界はシナモンの「ねじまき鳥クロニクル#1〜#16」へも拡張されていく。笠原メイの手紙が一通も届かなかったのは、こういった拡大・変容する物語への包含を拒否した結果とも考えられる。もっといえば、「ねじまき鳥クロニクル#1〜#16」と本書『ねじまき鳥クロニクル』を隔てるものは、「笠原メイの視点」の章の有無だとも考えられる。

もう少し、笠原メイの手紙に注目してみよう。
シナモンの物語が増殖・改変を繰り返しているとして、その一部が「僕」に開示されたことで、「僕」のメインラインがさまざまなサブストーリーと連結し、歴史との接続を果たしていったのは、先に見てきたとおりだ。
これに対し、「笠原メイの視点」は手紙という形式をとるものの、不達のため「僕」への開示は行われない。その内容を知るのは筆者と読者のみだ。
笠原メイは物理的に「路地」のかいわいから距離をとる一方、山の中の、百五十人くらいの女性のみが働く工場という特殊な環境に身を置いている。彼女たちのほとんどが、結婚適齢期までのいわば「腰かけ仕事」としてかつらの制作に従事している。しかし笠原メイだけは「この仕事を全面的に受け入れようとしている」。かつらを作ることだけを「ほんとうにじっとりとからだに汗がにじんでくるくらいしんけんに」考えている。なぜか?

私にとってはこれはユウヨ期間なんかじゃぜんぜんないのです。通過地点でもないのです。だってここからどこに行くのかなんて、まるでわからないわけですからね。ひょっとしたら、私にとってはここが行き止まりなのかもしれない。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p191)

「ひとりぼっちで、誰からもどこからも五百キロくらい遠く離れ」たこの場所は、笠原メイにとっての「行き止まり」であり「世界の終り」なのかもしれない。
というのも、この章の、つまりこの手紙の末尾には唐突に「私はこれから一生処女のままでいようかなって思ったりもしています」とつづられる。バイクで亡くなった男の子のことを思い出してのことだが、「僕」をはじめ、あとに残してきた世界、つながりのある世界(路地、井戸、柿の木、自分の手でつくったかつら)が彼女を現実に結びつけている。そのように笠原メイは考える。これは、これ以上の変化をもう望まず、手元の材料だけでやっていこう、という意思表明ともとれる。これを「世界の終り」と考えて何か差し支えが生じるだろうか。

笠原メイがひとりぼっちでふける「モウソウ」のなかに、「ときどき自分がクミコさんになってしまったみたいな気持」も含まれることは先に述べた。
自身が「モウソウ」と呼ぶくらい唐突ではあるし、「僕」のストーリーのメインラインである「クミコを綿谷ノボルから取り返す」ことと関連があるのかもよくわからない。しかし、笠原メイのこの「モウソウ」は、208号室から帰還した「僕」が見た夢と重なる部分があることも確かだ。

意識が徐々に薄れ、僕は目を閉じて眠った。そのあとで細切れな神経質な夢を見た。夢の中で加納クレタは胸に赤ん坊を抱いていた。(中略)彼女は僕にこの子供の名前はコルシカで、その半分の父親は僕で、あと半分は間宮中尉なのだと言った。そして自分は実はクレタ島にはいかずに日本にいて、子供を生んで育てていたのだと言った。自分はしばらく前にやっと新しい名前を見つけることができたし、今は広島の山の中で間宮中尉と一緒に野菜を作りながら平和にひっそりと暮らしているのだと。僕はそれを聞いてもとくに驚きはしなかった。少なくともその夢の中では、それは僕がひそかに予想していたとおりのことだったからだ。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p476)

ある意味では、「僕」が夢の中で「ひそかに予想していた」ことは、加納クレタと間宮中尉を物語のくびき、あるいは呪いから解放してくれている。少なくとも解放したいという「僕」の希望を感じる。同様に笠原メイは、クミコに対してくびきや呪いからの解放を試みたのかもしれない。ほかでもない「僕」のために。
彼女の「世界の終り」で、クミコは笠原メイに姿を変えて生き続ける。「世界の終り」の図書館の少女のように。だが本書の「僕」は、「こちら側」の深く損なわれた、現実のクミコを取り戻すことを選ぶ。

昼の国と夜の国の戦い

「僕」は綿谷ノボルとのチャットでの対決において、こう書き記している。

あなたが政治家になってどんどん有名になっていくあいだに、暗い静かな場所で僕は推察を重ねてきました。いろんな可能性をたどり、仮説を積み上げてきました。ご存じのように僕はそれほど頭の回転が早くありません。でもなにしろ時間だけはたっぷりとあったから、実にいろんなことを考えました。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p294-295)

これはかつて加納クレタが告げた「岡田様が失っていく世界で、綿谷様は獲得していきます。岡田様が否定される世界で、綿谷様は受入れられていきます。またその逆ことも言えます」と、「僕」の叔父が「たっぷりと何かに時間をかけることは、ある意味ではいちばん洗練されたかたちでの復讐なんだ」と述べたことのミックスとなっている。
しかし、上記引用の「僕」の「推察」は、間宮中尉に制止された「想像」ではないのか。

僕は続けた、「綿谷ノボルは、どうしてか理由はわからないけれど、ある段階で何かのきっかけでその暴力的な能力を飛躍的に強めた。テレビやいろんなメディアを通して、その拡大された力を広く社会に向けることができるようになった。そして彼は今その力を使って、不特定多数の人々が暗闇の中に無意識に隠しているものを、外に引き出そうとしている。それを政治家としての自分のために利用しようとしている。それは本当に危険なことだ。彼のひきだすものは、暴力と血に宿命的にまみれている。そしてそれは歴史の奥にあるいちばん深い暗闇にまでまっすぐ結びついている。それは多くの人々を結果的に損ない、失わせるものだ」
彼女は闇の中で溜息をついた。「お酒のおかわりを作っていただけるかしら?」と彼女は静かな声で言った。(中略)「それがあなたの想像なのね?」

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p441-442)

「僕」が「想像」する綿谷ノボルの脅威には、「ねじまき鳥クロニクル#8」で示された、「ねじまき鳥」の「大きな力」も取り込まれている。

その鳥の声の聞こえる範囲にいたほとんどの人々が激しく損なわれ、失われた。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p332)

そしてもちろん、間宮中尉が手紙で明らかにした「暴力と血に宿命的にまみれ」た、「皮剝ぎボリス」の存在も取り込まれている*8。「僕」の「想像」は「いくつもの思いつきをひとつに繋げたもの」だが、それは自分だけで考えたものではないのだ。

想像することは確かに命取りになる。しかし、綿谷ノボルとの対決において、「僕」は「自分を空っぽにして」想像せざるをえない。

「かわいそうなねじまき鳥さん」と笠原メイは言う。「あなたは自分を空っぽにして、失われたクミコさんを一生懸命救おうとした。そしてあなたはたぶんクミコさんを救うことができた。そうね? そしてあなたはその過程でいろんな人たちを救った。でもあなたは自分自身を救うことはできなかった。そしてほかの誰も、あなたを救うことはできなかった。あなたは誰か別の人たちを救うことで力と運命をすっかり使い果たしてしまったのよ。(中略)そんな不公平なことってないわよね。私は心からねじまき鳥さんに同情しているのよ、噓じゃなくて。でもそれは結局あなたが自分で選んだことだったのよ。ねえ、私の言っていることはわかる?」
「わかると思う」と僕は言う。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p459)

クミコを救うため「僕」は想像するリスクを取り、結果的に「いろんな人たち」の代理戦争を行った。これが間宮中尉がボリス殺害に「私が生きていた意味」を求めたこととの決定的な違いだ。

一方、想像とは「僕」が語ったように、思いつきの連鎖でしかない。「僕」は綿谷ノボルを「不特定多数の人々」から「歴史の奥にあるいちばん深い暗闇にまでまっすぐ結びつ」くものを利己的に引き出す者と断じて、排除する選択をとる。だが、これはあくまで「僕」の側から見た綿谷ノボルだ。
第1部において、1938(昭和13)年、ハルハ河畔で本田さんは「今ある歴史への改変」を試みた。すなわち「日ソの本格的な戦争」の回避だ。綿谷ノボルの伯父もまた、テクノクラートとして、ノモンハン事件後の対ソ戦の回避へと働きかけている。しかし、その結果、1945年敗戦間際でのソ連侵攻が成り、先に述べてきた本書のさまざまな人物の運命がほんろうされる。
当然ながら歴史への意識的な介入は、作用と反作用を招く。そのことに自覚的なのか否かは不明だが、綿谷ノボル自身は、少なくとも雑誌の誌面上では日本を変えようとしていると述べていた。彼のビジョンを改めて見てみよう。

たとえば彼はある雑誌に寄稿した文章の中で、今日の世界における圧倒的な地域経済格差のもたらす暴力的な水圧は政治的、人為的な力でいつまでも押さえつけられるものではないし、それはやがて世界構造に雪崩のような変化をもたらすだろうと述べていた。
「そしてそのようにして樽のたがが一度外れてしまえば、世界は巨大な<ごたまぜ状態>と化して、かつてそこに存在した自明のものとしての世界共通精神言語(とりあえずここでは<共通プリンシプル>と呼びたい)はその機能を停止するか、あるいはほとんど停止に近い状態にまで追い込まれてしまうことだろう。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p269)

綿谷ノボルによれば、いずれ機能不全を起こすであろう<共通プリンシプル>にとってかわる、「より高度な職能を持つプリンシプル」による正しい方向性の規定が喫緊の課題であるという。
「僕」はこれに対して、皮肉にも「だからどうすればいいと言うのだ?」とつぶやく。しかし、実際のところ、すでに21世紀に突入して久しい今日の日本に必要なのは、綿谷ノボルの言う「より高度な職能を持つプリンシプル」しかないのではないか? 

それはもちろん日本という国家の変貌の好機でもある。しかし皮肉なことに、そのようなまたとない好機を目の前にしながら、その<洗いなおし>の指標として用いるべき共通プリンシプルを我々は手にしていない。(中略)しかし現実的にまったく何の指標も持たずに人が行動することは不可能であるーーと綿谷ノボルは言う。そこには少なくとも暫定的、仮設的なプリンシプル・モデルが必要とされる。日本という国家が現在の時点で提供できるモデルはおそらく「効率」くらいである。

(『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』p270)

「効率」は「経済的有効性」に接続する。戦後の歳月を通して、日本人はそれのみに拘泥してきた。これが綿谷ノボルの持論である。
しかし、現在、「経済的有効性」すら日本は失っている。綿谷ノボルが想定したよりも、もっとひどいことが現実的に起きている。
とするならば、今の我々の現実は「綿谷ノボル抜き」の世界なのではないか。「僕」の「だからどうすればいいと言うのだ?」という突っ込みに対し、強大な力の顕在化を果たした綿谷ノボルであれば応えていたのかもしれなかった。そんな綿谷ノボルを、「僕」は排除した。「僕」もまた本田さんと同様に「今ある歴史への改変」を試みた人物なのだ。

想像、思いつき、モウソウ。これらは非力な人間存在の大きな武器となると同時に、その行使は歴史や運命への挑戦の意味を持つ。たとえ、きわめて個人的な必要に迫られてだとしても、それは「昼の国と夜の国の戦い」なのだ。どちらがほんとうに正しい側なのか? モーツァルト『魔笛』の王子と鳥刺し男は途中でわからなくなる。それでも「お姫様を奪い返す」と決め込んだ者だけが、歴史へ挑戦する資格を与えられる。


*1  若手有力政治家・綿谷ノボルが「僕」の義兄であることが、スキャンダルを避けたいナツメグ/シナモンの手を引かせる。彼らの顧客か、パトロンなりが有力政治家筋であるからだ。牛河は調査を進めるうえでその存在に気づき、綿谷ノボルから鞍替えをする。こうして、ナツメグ/シナモン、牛河が一時退場することで「僕」はふたたびひとりきりとなり、「壁抜け」を達成する。また、綿谷ノボルが排除された世界では、おそらくその対抗馬たる、くだんの有力政治家が力を持つ。牛河はその下で暗躍するのだろう。つまり、牛河こそが「綿谷ノボル抜き」の世界である我々の現実に一番近いところにいる、現世的なキャラクターだと言える。

*2  綿谷ノボルの伯父は、『羊をめぐる冒険』の羊博士をほうふつとさせる。農林省のエリートであったかつての羊博士は、1935(昭和10)年春、陸軍の求めにより満州へ渡る。「中国大陸北部における軍の大規模な展開に向けて羊毛の自給自足体制を確立」するための現地視察だ。しかし同年7月、緬羊視察に出かけた羊博士は「羊」との間に「特殊な関係」を持ったのち、帰国。のちに「羊」は次の宿主である「先生」に鞍替えし、羊博士は「羊抜け」の状態のまま生きることを余儀なくされる。余談だが、本稿で何度か繰り返している「綿谷ノボル抜き」という表現は、この「羊抜け」と、同作で「僕」が口にする「羊抜きでね」というせりふから借用している。

*3  バットは「壁抜け」後、208号室で謎の女性から「プレゼント」される。血で固まった人間の毛髪つきで。

*4  「区営の二十五メートル室内プール」を何度も往復することは、そのまま井戸で壁抜けを試みる反復行為のアナロジーともなっている。

*5  笠原メイの「ミャクラク」を欠いた回想は、第2部において井戸の中で自身の過去にアクセスを試みた「僕」の姿に重なる。「僕」が思い出す近過去/遠過去はやはり脈絡を欠いていたからだ。

*6  10章の動物殺害のエピソードは、ナツメグが「僕」に語ったという体をとっている。とするなら、ナツメグは父である獣医の行く末はわからないとしつつ、ねじまき鳥の声を聞く若い兵隊がシベリア送りになることはわかっていた、ということになる。シナモンはそれに合わせて「ねじまき鳥クロニクル#8」(28章)において、そのほかの人物もシベリア送りになったという設定を付け加えたのだろうか。もしかしたらナツメグは、「青いあざ」「ねじまき鳥」などと同時に「シベリア(間宮中尉)」を「僕」から言外に感じ取ることで、話しながら物語を改変していったのか。そしてその改変は、もはや共有をやめたはずのシナモンの「ねじまき鳥クロニクル」にも即時反映されるのかもしれない。

*7  我々の生きている宇宙では、エントロピーは増大を続ける(こぼれたミルクはコップに戻らない)。しかし「世界の終り」において、エントロピーは増大した分だけ減少し、時間は進まない(こぼれたミルクを「獣」がコップに戻す)。これに対し、シナモンの物語ではエントロピーは増大するものの、宇宙そのものが変化を続ける(コップだったはずがマグカップになったり、そもそもミルクではなく水がこぼれたことになっていたり)……。こんなイメージだろうか。そもそもエントロピーの増大とは、「乱雑さが増していく」ということである。いってみれば、宇宙はカオスへとまっしぐらに進んでいる。「死」を有する我々生物だけが、そこに至るまでの「時間の矢」を想定し、カオスに秩序を与えようとしている。だから、ナツメグ/シナモンの物語は始原へのさかのぼりの試みなのかもしれない。

*8  「皮剝ぎボリス」は、どうしてもヒトラーを想起させる。ヒトラーについては、第1部で間宮中尉がちらりと言及するにとどまっているが、この20世紀最大の悪は通奏低音として本作全体を貫いている気がする。たとえば第1部においては、特務機関の山本が画策した工作が成功すれば、ドイツが早期に対ソ戦に突入した可能性が示唆される。また、第3部ではドイツの敗北がソ連の満州侵攻に現実味を持たせた。注目すべきは、両件とも結果的にボリスの権勢にとって好都合なかたちで落着している点だ。もしかしたらボリスは、ヒトラーから「何か」を継承したのかもしれない。その証拠に、ヒトラーが暗殺計画を「悪運」により回避したように、ボリスに間宮中尉の弾丸が当たることはなかった。なお、ヒトラーとゲッペルスが「メディアを通して、その拡大された力を広く社会に向けることができるようになった」ことは自明であり、「僕」はそれが綿谷ノボルにおいても起こると懸念している。つまり村上は、ボリスと綿谷ノボルの存在を描くことで、直接的にヒトラーに言及することなく、その存在と悪の継承を描いているのではないか。

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