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「大吉と〈カジュアルめい想〉を やってみました。」心に浮かんできた言葉(023) + 大吉の日常(その9)

こんにちは「てると大吉」です。
写真は「膝に乗りたい」と上目遣いの大吉。なんだかうまく撮れてませんね。それにしても、なぜスマホを向けると彼はフリーズするのでしょうか・・・。

さて、なんとなく落ち着かない、気持ちがざわざわする。ニュースをみていると無力感がわいてくる・・・。なんてこと、みなさんはありませんか。

そんなとき僕は小掃除をします。散らかっていた机の上や出しっぱなしの書籍・資料を片付ける。それだけでも気持ちはちょっと清々しく、そして落ち着いてきます。(僕が掃除好きだから有効なのかもしれませんが・・・。)

レジリエンスの記事で書いたように、これは「無心になる時間を持つこと」でしょう。そして、無心になるためには、それなりの仕掛けが必要なのですね。たとえば、ゆっくりとコーヒーを淹れるとか。

こどもが小さかったころは、絵本を読みながら寝てしまい、早朝に起き出して資料をまとめたりしたことを思い出します。

午前四時 音を立てずに コーヒー淹れる
静寂味わう ひとりの時間

コーヒーメーカーを使わずに手淹れするのも好きです。

そっと寝室を抜け出し、キッチンで一人分のお湯を沸かし、ペーパーフィルターでゆっくりとコーヒーを淹れる。お湯を最初に注いだときのふわっとした豆の匂い。ゆっくりと落ちていくコーヒーの微かな音。できあがったコーヒーをカップに注ぎ、両手で持つときの温もり・・・。あたりまえの幸せをかみしめつつ時間はゆっくりと流れます。

先日「あしたが変わる トリセツショー」というNHKの番組(さらば!イライラ不安「新・めい想」のトリセツ2024.7.11)で、おなじようなことが紹介されていました。

番組では「お茶めい想」というものでしたが、お茶かコーヒーかの違いだけで、所作のひとつひとつに集中することが大切なのでしょう。他にも、洗顔めい想(手順を意識して洗顔)、洗濯めい想(心をこめてたたむ洗濯物)などがあり、これらが「カジュアルめい想」とよばれてました。また、研修の前にめい想の時間を設ける企業も紹介されていて、めい想・マインドフルネスなどが身近になっていることも知りました。

では僕の「カジュアルめい想」を紹介。
それは「大吉の日常」とともに。

膝の上で遠くを見つめる大吉。

朝、ベランダの椅子に座り、大吉を膝に乗せる。しばらくは朝の空気の匂いをかいでいた大吉もやがて前足をたたんで大人しくなります。僕はゆっくりと彼の背中をなでながら彼の体温を感じ、朝の時間そのものを味わう。季節によっては鳥の鳴き声をきき、雨音をきき、風を感じて、やがて静かな時間だけが僕をつつむ・・・。

いまここで息をしている(生きている)ことだけを感じる。それは同時に執着を離れる、我執(エゴ)を離れることにつながるのでしょう。

ひとときは エゴを離れし 我が心 
青空に浮く 白雲のごと

「めい想」という言葉からの連想で詠んでみました。

ふと、「行く川のながれは絶えずして、・・・」という方丈記の冒頭が浮かんできました。各地での地震のニュースなどにふれるにつけ、僕たちの日常は同じようにみえて同じではないと感じます。この気づきを大切にします。

今回は「大吉の日常」との合体記事にしました。夏休み・お盆休みの方、お仕事の方それぞれでしょうが、今週はあたりまえの日常のありがたさを意識して過ごせたらと思います。
今日も読んでいただきありがとうございます。


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