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適応障害になるまで④/裏の「転職理由」


私は「自分だけ頑張ってもしょうがないから…」と寂しそうに呟いたKさんのことが忘れられません。

こちらの記事にもちょっと触れた「意欲ある人だと働きにくい環境が整ってる」とはどういうことかについて、今までの記事に触れながらまとめて、思考生理していこうと思います✏️


成長の機械が均等に与えられていない

早速以下の記事から抜粋一部させていただきます。

「仕事については、私の時はもったいぶってやらせてもらえなかったけど、きっと後輩は2年目で、より難しい材料の商品までやらせてもらえると思う。私の時はもったいぶってやらせて貰えなかったワンランク上の材料の磨きとか。」
「後輩は私とは違ってチャンスが与えられているんだから、活躍してほしい(というか活躍できる)と思っている。」

私の会社では仕事をもらえるか、もらえないかは、個人の頑張りではどうにもなりませんでした
本音だと模様綺麗に出すの難しい材料とか、磨いてみたかったです。
2年目になっても私は1回もやらせてもらえた事がありませんでした。
1つ上のA先輩は下の子(私)が頑張ってるからって2年目でやらせて貰えてました

そのモヤモヤについて書いた記事がこちらです。

1年目の時に「下の子をしっかり教えられたら、A先輩(一つ上の先輩)みたいに新しい作業任せてもらえるんだよ」って言われました。
でもA先輩に聞きに行ってるは、いつも私の方からだった
自分からしたらもっと寄り添ってほしいなって思ってて
私の頑張りなんてなかったみたいに言われたのは悲しかったです。

私は疑問点は聞くようにしていましたし、より良くなるように常に考えて取り組んでいました。
メモ帳に書き込んでいて2年間で3冊以上はたまりました。

それらのメモ帳は無許可で捨てられてしまったのですが…⇩

A先輩は私とは違い、上の先輩に聞きに行ったりなどはしていませんでした
たまに言いにくそうに主任が言う程度でした。

「あなたには期待しているよ」が口癖の主任は私には特に厳しかったたです。
A先輩なら同じ出来でも合格なのになかなかステップアップさせてくれませんでした
それどころか、磨く作業に入りたい話をしても、A先輩が組みの作業をできるようになるまで、やらせてもらえないということでした。

私が磨く分はしょうがないとしても、A先輩の組みのスピードの関係で、ベテランの磨きの先輩の分がなくなってしまった時は絶望でした…
分業制ですが、納期が遅れてしまっている事が多かったので、作業にはいれず貢献できていない事も手伝って、一員として焦りを感じていました。

私も組む作業を手伝うことを交渉しましたが、機械が足りないと主任には断られてしまったので、どうすることも出来ませんでした。

新しいものをやらせてもらえなくても、下の価格帯の商品でも、出来を上げていくことは大事だと取り組んでいました。


でも私がこれまで頑張ってきたことでも、今後、人手が足りないので質を落とすしかないでしょうね…

社長の息子の言葉と怪我

こちらの記事にも書きましたが、
昨年の夏に入社された「社長の息子さんの言葉は社長の言葉になる」というのは、
社長は息子の言葉を受けて、私の努力を才能って言葉に言い換えました。
才能がある人だけができるんじゃなくてって言いながら、出来ない人ばかり構っていました。
私は夏頃に、A先輩は同じ時期にはやっていなかった軽作業を頼まれる事が増え、
不安な気持ちから、不眠がひどくなり、指を切る怪我をしてしまいました

怪我が治ったあとも、メインの磨きの作業に入れない程、雑用を頼まれる状態が続きました。
私には軽作業/みんながやりたがらない作業/体に負担がかかる作業が集中し、メインの磨きの作業に全く入れなくなってしまったのです…。

体に負担がかかる作業は、主任の仕事の指示の関係で、私しかやれる人がいなくなってしまいました。この作業でまた怪我をしましたが、主任は保身に走るばかりでした。
主任に相談した内容が、上には私が言いたかった形で伝わっていなかったり、
社長夫人に怪我した時の作業量が主任ができる量に比べて少ないため、労災は通せないと言われ、
負担が多い作業が私に集中したため、起きた怪我も精神的なもののせいにされそうになりました。
隣で聞いていた主任はそれに対し、後輩を守るようなことは一切しませんでした

新人の育成環境が整っていなかった



評価制度が導入される話が上がると主任は、新しい作業を教えず、自分が新しい作業に入るようになりました
その時期の主任はすごく機嫌が悪そうで、こんなに尽くしてるのに私が役に立たないからなのかと、悲しくなって神社でお守り買ったくらいです…

今の後輩より、先輩が私の時期と同じ時にやってた軽作業よりたくさんの軽作業任せるのはなぜですか?

と聞いたら、僕がやるより新人に任せたほうがいいでしょ、と。
先輩から仕事(軽作業)もらえたら嬉しいでしょ、と。

その他された言い訳達⇩


頑張っているのは伝わっているよって(一応)言われました。
その時にはもう既に抑うつが酷くなってしまったので頑張ってませんって言いながら泣いてました。
その時に感じたことは口だけな先輩だと感じました。
言っていることとは別で、やっていることを見た時に、頑張っていると思っているなら、心壊すまで軽作業やみんなが嫌がる作業、体に負担がかかる作業だけなんて事はないはずです。

軽作業だけ任せるのはパワーハラスメントの「過少な要求」「人間関係の切り離し」に該当するそうです。

私は、先輩が苦しい顔してるの嫌だったから、軽作業や辛い作業でも頑張ってたのに、自分が楽になったら他の人と新しい作業して笑ってるんです。

最低だと思うし、とても憤りを覚えました。

いざ復職を考えた時に、

ふと過去の記事を見返した時に、私が適応障害になる前から、主任への信頼が揺らいでいたことに気付きました。

私が入社2年目になると、その主任のアドバイスは的を射ていないことが増えました

特に後輩などみんなの前で見せしめみたいに怒られる事が何度かあり、正直嫌でした
たまに主任の新しい作業がうまく行ってない時は、主任の作業を面倒みている先輩がみているところで怒られた時がありました。その時のアドバイスも的を見ていなくて、自分のプライドを守るために怒っているような感じがしました
その日、先輩に見てもらったものは、OKサインをもらったあと、結局、検品で戻ってきてしまいました。 

新しい材料をやらせてもらいたかったけどいざ復職をして、その主任に教わるのを想像した時、正直無理だと思いました

会社ではベテランに入る、私が在職時に5年目のY先輩が言ってました。
「自分だけ頑張っててもしょうがないから」
こういうことかって思いました。

がんばってるから新しいことやらせてもらえるんじゃないんだよ。
頑張っても意味がないんだと思いました。

まとめ


自分の実力がなかったからやらせてもらえなかったんじゃなくて
上と下が詰まっちゃって軽作業しかやらせてもらえなかったのは
向上心が強い私からしたら
モチベーションが下がる辛い出来事
でした。
後輩はもうやらせてもらえてるかな、
私がやらせてもらえたかった新しい材料の磨き…😢

今後の課題


学生生活を通し、体調が悪くなってしまった時は相談する事ができるようになりましたが、
相談するだけじゃなくて働きかける事も今後できるようにする必要があるのかなと思いました。
相談には相手に対する信頼があります。
でも、相手への信頼がなくなった時、私には主張する権利もあったと思っています。
誰かが一言主張する時、誰かが敵になってしまうと思うと、私はいつも主張をすることができません。
学生生活でもそうで、もやもやしたまま、卒業した記憶があります。
でも、きっと全部は仕組みの問題なので、誰が悪いとは言わずとも、自分の気持ちは伝える権利はあったと思いました。
主任への信頼なんてとっくになくなってたのに、本当の気持ちに蓋をして誤魔化してしまってたのもよくなかった。。。
話すの苦手だったけど、工場長に少しでもモヤモヤしたことを話せばよかったな。

私の裏の「転職理由」

私は退職日近くの日に、社交辞令的にお礼メールを送りました。

病気の人をいたわるメールが何件か送られてきました。だけど私が復職を選択しなかった本当の理由、それは医師に言われたからなんかじゃないです。
本当は頑張る価値ある場所じゃないと思ったからです。

表の転職理由:「病気退職」
裏の転職理由:「ここで頑張ってもしょうがない」

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