街はまだまだ起きない。どうやらまだ起きる様子さえ、どうもない。 仕事をサボって行きつけのラーメン屋に行くとそんな話になる。こんな時に話す話ではないかもしれないけれども、それは現実にあることだ。 そもそも夜にお客さんがまだまだ戻ってこないらしい。福岡ではもうだいぶん戻っているらしいとかなんとか、ほんとかどうかわからない話。福岡に移転を考えているという話。でもまぁそれはそもそもコロナの前から聞いていたことではある。彼は現実主義者的な側面もあるからして、それはもうそもそも街の規
最近、「Vamo.(バーモ)」というガスコンロを買った。 なぜといえば家で使っていたコンロの片方がイカれて、一つの火で料理をしていたからなのだけど、どうせ買うならと世のクッキングパパよろしく、プロ仕様、つまり業務用なんかも検討したのだが、部品だとかなんとかめんどくさそうなので、家庭用で一番業務用に近いとかいう、まるでメーカーの思うがまんまの策略に乗ってしまったというわけで。まあとにかく掃除がしやすそうで、今のところ気に入っている。 値段もまぁまぁで、僕がこれがいい、と言っ
なんかこういうときだからこそ、ひとつでもモノを売らなきゃいけないのだけど、なぜか我が心は、こんなときだからこそ、最近どこぞで買ったものだとか、観たものだとか、聴いたものだとか、食べたものだとかを語りたがる。いったい、なんなんだろうか。大学の頃の永遠のモラトリアム期を想い出す。でもほんとうは誰だって、いまだからこそ、歩くのを止めて、なにかを観ては聴き、読んでは語るべき、だとも思ったりするわけで。もちろん、そんな余裕があれば、こそなのだろうけど。そしてほんとうは、自分にそんな余裕
「結局自分はただただ通り過ぎていくいっぽんの管でしかないんじゃないか」。 編集やライターの仕事をしていたとき、ふと、そう思うことがあった。いくらインタビューや取材を重ねてそれを文章で昇華しても、結局それは他人の事なのだし、その人には絶対になれないし、その人の本当の気持ちは理解できない。取材に熱を入れてその対象に近づけば近づくほど、その想いは大きくなる。 結局すべては通り過ぎていくだけ。からっぽの自分のなかに取材という場でなにかを取り込み、うーんうーんと悩みながら文章でそれ
「愛とはなんぞや?」。 それが自分がこの音ゆらの動画収録の時までに考えていたことだった。 4枚のチョイスのうち、最初の2枚は「愛」と聞いてふと思い浮かんだアルバムを棚からサクッと抜いたのだけど、そこからはたと考え込んでしまって、動けなくなってしまう。 愛という価値観のようなものは、ひとのそのときそのときの年齢だとか境遇だとかタイミングによって移り変わってしまうものなんじゃなかろうか。そんなことをうっすらと考えていた。 まだ若すぎて一日に何人かの女の子とそれぞれ裸で戯れあ
今回の音楽ゆらゆら話は唐突に、映画『シェフ』とそのドキュメンタリーをネットフリックスでその当時観ていたvertigo.shin(以下、s)の話から始まります。ずうっと永遠に料理と仕込みというアウトプットをし続ける料理人という世界だからこそ、インプットする休日が本来もっともっと必要なのではないかと、なぜか熱く語る雑貨屋店主。すっかり同意しながら、スパルタなんて古過ぎますと静かに語るPeg.hiromi(以下、h)。とにかくのっけから暴走気味で、その後の長い長い2本立ての迷走の片
お待たせしました。いや、お待たせし過ぎたかもしれません。 とかなんとか言っておきますが、ひとまずどこの誰が望んで求めたのかわからぬ、vertigo×Pegによる音楽ゆらゆら談義第二弾が早くも世に放出されるわけです。テーマはベタにへたに「冬に聴きたい5枚(曲)」。 破滅に向かっているようにも思えるこの日本&地球砂漠のなかで、なんとか希望と絶望を両方に抱えながら生き抜くには、ときめきとひらめきに任せた思うがままの、歴史降り積もるなんらかのカルチャーにオン&オンすべきな気がしな
ある晴れた秋の木曜日のことだった。その週は展示会もなにもなくて、常設のいつも通りの営業だった。11時にオープンをして数時間、大してお客さんも来ず、気が付けば2時を過ぎていたと思う。 まるで焚火の薪を絶やすことのないように、いつも店内の音楽はできるだけ途切れないようにしているのだが、ふと気が付けば、音楽が鳴り止んでいた。カウンターでぼんやりと考え事でもしていたのだろう。その足音にも気が付かなかった。うちの店は古いビルの3Fにあるのだが、ごくたまにその階段をあがる足音さえ聞こえ
今回の撮影もなかなかにハードだった。 予定では南阿蘇のほうで季節的にもススキが綺麗だったので、そのなかで撮ろうと思っていたのだが、なんとススキの背が高すぎで難しいことが当日になって分かる。カメラマンのえとうくんが昼あたりからロケハンに行ってくれていたから助かった。 モデルとなる僕と奥さんが現地に着く予定が17時あたり。撮影時間はたぶん一時間くらい。だのに当日の昼過ぎても場所も決まっていない。これはなかなかヤバいケースだ。 すると奥さんが「昔、野焼きの時期に南阿蘇の奥地で
気が付いたらインスタグラムのいいねの数が表示されなくなっていた。 「・・・ケっ。いまごろかよ」。僕はてっきりそう思ってしまった。 なんでも数値化統計化してマーケットしていくのは、もはや川の流れのように避けられないことなのかもしれないけれど、でもそれでもそんなに気持ちのいいことじゃない。だいたいが、なんとなくクリスタルな雰囲気的いいねと、もう圧倒的熱量連打的同意的いいね、が同じにカウントされてしまうフィールドっていったいなんなんだろう、とずっと思っていた。 だいたいが、き
「いや、ほら、こちらの店はインスタなんかの写真がとてもお上手じゃないですか」。 とあるお客様と、とある日にお話ししていたら、ふと、そういう言葉に出くわした。それは悪い意味で発せられたわけでは決してなかった。写真がとても良いので、実物が見たくなるんですよ、といったような意味であるようだった。 でもなんだかその後で、どうもその言葉が引っかかってきた。 まあたしかに、作品を紹介する側としてはそれをかっこ悪く撮るわけがない。そうすることで誰が得するのかわからないし、どうせ紹介す
昨日、一昨日と、曽我部恵一さんが熊本でライブをされて、ふとしたきっかけから選曲でお手伝いをさせていただきました。簡単にいえばライブ本番の前だとか後だとかにレコードやCDを流す、という役割です。普通、こういう役割を「DJ」と呼んだりしますが、僕はいつも決まってあんまりその気にはなれません。だってまぁ世にはDJをいうのを本当に仕事にしている本物がいらっしゃるわけですし、そもそも僕ごときにその呼び名で呼ぶこと自体がヘンな気がする。だから最近ではセレクターなんていう呼び方も出てきまし
vertigoの中村慎とPegの冨永博美が繰り広げるひたすらユルくてフワリとした音楽談義第一回目。そんなに音楽に詳しくないふたりが、ただただ好きな音楽をただただひたすら語る、キュートでオフビートな動画です。 一回目のテーマは『最近聴いてる5枚』。
ネットフリックスの『マインドハンター』をようやく観終わった。もとからこうなってしまうのはわかっていたから、ドラマはいままでなんとか避けてきたんだけども、ああ、ついに堰は切られた。この国の裸の監督も観たくはあるが、たぶんまだだいぶ先になってしまう気がする。だってその前に観なきゃいけないものが世界にはあまりにも多すぎると分かったから。 そう。観ながらも、やっぱり自分は時間のことを頭の片隅のどこかで考えていた。僕らをこの小さな液晶からなんとしても離しまいとする、そして文字通り
「借金」と書けばソー・ハードなのに、「ローン」と書けばなんだかソフティに思えるのは、それこそ言葉のマジックというやつなのか。 ゼロからお店を立ち上げたひとなら、最初に借金を背負っていないひとは皆無だろうけど、普段からそのことについてそんなに語られることはない。それはまるで語らないことがエチケットのように。 まあ会うたんびにお金の話しかしない人間には決してなりたかないが(実際にこういうひと居ますよね)背負ってしまっているものの話は絶対無し、というわけではないだろう。