さざなみ
なんかこういうときだからこそ、ひとつでもモノを売らなきゃいけないのだけど、なぜか我が心は、こんなときだからこそ、最近どこぞで買ったものだとか、観たものだとか、聴いたものだとか、食べたものだとかを語りたがる。いったい、なんなんだろうか。大学の頃の永遠のモラトリアム期を想い出す。でもほんとうは誰だって、いまだからこそ、歩くのを止めて、なにかを観ては聴き、読んでは語るべき、だとも思ったりするわけで。もちろん、そんな余裕があれば、こそなのだろうけど。そしてほんとうは、自分にそんな余裕はまったくないのだけれど。
ということで、最近観たもので記したいものというと、Amazonprimeで観たアンドリュー・ヘイ監督の『さざなみ』だろうと思う。45年連れ添った一組の夫婦がひとつの嘘から中年、老年クライシスを引き受けていく、まったくもって身につまされる話。
主演のシャーロット・ランプリング。これはもう、このひとに尽きるんじゃなかろうか。でも尽きたら話はそこで終わっちゃうので敢えて蛇足を続けると、そもそもこの静かで無口じみて知的で冷血そうだけど、どこか優しい目尻をした女優を、例えどの作品で観たとしても、じつはどれも同じ女性に見えないこともなかったりする。僕には果たしてそれが良いことなのかどうなのか、まずもって分からない。
ただ。今作でも毎朝愛犬のシェパードを散歩させるのが日課の知的で落ち着いた、もうリタイヤした元教師を演じていて、まずそれがあまりにその辺に居そうなおばさまで圧倒的なリアリティがあって引き込まれてしまう。そんでもっと言うと、ただただこのひとがスクリーンに(いや液晶に)に居るだけでなんだか不穏といえば不穏な、つまりなにがしかの物語が静かに動きそうな気がして、その辺の存在感こそ、稀有な女優さんなのかもしれないとも思ったり。
この映画はつまり、中年、いや老年クライシスの話になるのだろうけど、とにかく男性としてみたら、あまりに痛すぎる話だ。45年連れ添った夫婦、いや、それでなくとも、どんな二人にだって大抵秘密や嘘はある。それがひょんなことから少しずつ暴かれていって、それとともに夫はずっと止めていたタバコをまた始め、徐々に崩れ始める。つまり、いかに男という生き物が過去にしか生きていない生き物かを暴いていく。・・・といって、女性は過去に生きないのだろうか。自分はいちおう男性のはしくれなのでよくわからないのだけど、それでも昔の彼女のことばかりをどこかに想い出して生きているのが男であるはずで、そもそも元から男とか女とかそれ以外とか区切ることにあんまり積極的ではない自分のような生き物がそんなことを書きつけてしまうのだから、この映画はよっぽどのものがあると思う。
だいたい、夜中にどうしても止むに止まれず屋根裏部屋をごそごそしだして、昔の女性の写真を探し出すなんて、いちばんNGな行為(でもこれ、いつかやったことある気が)。しかも、ずいぶん久方ぶりの夫婦の性交渉時に目を瞑って過去をトレースするとか(これは・・・うん、まだない。たぶん)、んもう痛すぎて痛すぎて。…でも。でも、悲しいことにそれらをどこかしらわずかでも共有できてしまうのが、きっと空しくもどうしようもない男性という生き物であり、たぶんいつだって僕らはもう役割をすでに終えているのかもしれない、とかなんとか勝手な物言いをしてしまうのが男であるはずで。
なにより監督はイギリスのひとで、流れる言葉も完全にイギリス英語で、人生における命題めいたストーリーも含めて、これはもう完全に英国の映画であると思う。そもそも、過去という誰しも生涯逃げられない、いくつになっても消せずに追ってくるものが、いつだって突然雨のように降ってくるかもしれないというこの皮肉。ラストのランプリングの表情がすべてを物語っているのだけど、それにしても静かでしっかり記憶に残る作品。この監督の新作『荒野にて』も必ずや観てみたい。
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