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他人のいいね

気が付いたらインスタグラムのいいねの数が表示されなくなっていた。

「・・・ケっ。いまごろかよ」。僕はてっきりそう思ってしまった。

なんでも数値化統計化してマーケットしていくのは、もはや川の流れのように避けられないことなのかもしれないけれど、でもそれでもそんなに気持ちのいいことじゃない。だいたいが、なんとなくクリスタルな雰囲気的いいねと、もう圧倒的熱量連打的同意的いいね、が同じにカウントされてしまうフィールドっていったいなんなんだろう、とずっと思っていた。

だいたいが、きみは1000人斬りしたヤリチン男と生涯ひとりきりの女性を愛し切った確固たる純血男子を一緒くたに語るというのだろうか。・・・うん、いや、例えがどうにもアレだし、個人的にどちらの道を選ぼうとも思わないが、でもまあともかく。いいね、に熱量は反映されやしないというか。

まあ結局のところ、僕はそのインスタの流れをいまさらな人道的判断というか、数で優劣をつけるつまらない流れに遅ばせながらノーを唱えたのかと思ってしまったわけだ。

でもそのことを友人に言うと「そんなはずがない」とはっきりと却下された。ビッグモンスター的企業たるものがそんな生易しいことを考えるはずはなくって、それはただ単にインスタを使うひとたちの数が減った証だろうと。それに対する対処であろうと。

そっかー。ま、そりゃそうだよなー。俺はいつまでお花畑な昭和でサントリー&カントリーな庶民派会社的考えが抜けきれない男なのだろうか。だいたいが開高健だとか山口瞳だとかをいまでも読み過ぎなんだよな、お前は。利益のみを追って株主とやらのことしか考えてない現在の企業たるものが、そんな人道的考えを持つわけがない。まぁ事実はどうなのかはわからないし、どっちでもいい気がするし、答えだって知りたくもない気がする。

そんなことをぼんやりと考えていたら、とある雑誌のインタビューに天啓のようにぶち当たった。僕がもはやロケンローラーだけではなく、いち思想家としてまで捉えてしまっている、ザ・クロマニヨンズの甲本ヒロト氏のインタビューであった。

「他人のいいね、なんかいらないんだ。自分が最高に楽しくて仕方ないことを貫いて、自分のいいね、さえあればいいんだよ」。

そんな風な金言の数々が、そこにきらきらと書き連ねられていた。もう目眩がするほどにウットリした。編集者としてライターとして、まったくあり得ないことだが、僕はそっとこっそりそのページを写メって、さらにこころにメモした。それは『KAMINOGE』というプロレスの雑誌だった。いまからまさに、それを買いに行こうかとぶるぶるしているところだ。


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