慶応大学塾長の提案は、経済的貴族を破滅させる
慶応大学の塾長が、国立大学の学費を150万円に、と発言して話題に。私立大学の苦境を反映してのことだろう。私大はなぜ苦しくなっているのか。2つほど思い浮かぶ。一つは少子化。子どもの数が減ってるのに私大はむしろ増えている。定員割れも増え、経営破綻する私大がやがて出てくるだろう。
もう一つ、案外ボディーブローのように効いてるのは、国民全体が貧しくなっていることにあるのではないか。私大に子どもを送り出す余裕のある家庭が減っているように思う。
津市では、高級品を扱うスーパーが安売りスーパーに衣替えした。閑散としていた店内は賑わいを取り戻した。が。
これは喜んでよいのかどうか。少しでも体によいものを、そのためには少々値の張るものでも、という購買行動をとる消費者が減っていることの証のように思う。少し贅沢をしよう、という消費者が減り、少しでも食費を削ろうとする家庭が増えているということなのだろう。こうした家庭が増えれば。
学費の高い私大は進学の選択肢に選びにくい。少子化の影響も大きいとは思うが、それと同時並行で国民の低賃金化が進み、私大に子どもを進学させてやる余裕のある家庭が減っていることが、私大の経営危機をさらに深刻化させていくのでは、と考えている。
もし国民の貧困化が進行しつつあるならば、国公立大学の学費を150万円に上げることは、単に大学進学を諦める家庭を増やすことになるだけではないか。そして進学できるのは、学力とは関係なしに、経済的に豊かな家庭の子どもだけ、ということになるのではないか。
ということは、大学進学は学力で選抜されるのではなく、家庭の経済力で選抜されるということを意味する。大学進学とは、ある種、「経済的貴族」の証、ということになるだろう。もはや大卒の資格は、学力の高さを示すものではなく、経済的貴族であるかどうかの証でしかなくなってしまうだろう。
つまり、大学は事実上教育機関ではなくなり、経済的身分の証明書を発行する場でしかなくなる。
こうした大学の「構想」は、実は安倍政権の頃から存在した。安倍政権のとき、学費を90万円以上にしようと企んでいた。慶応大学塾長の発言は、それを引き継いだもののように思う。
この「構想」は、恐らくアメリカの大学を範にとったものだ。アメリカのスタンフォード大やハーバード大は、ピケティ氏やサンデル氏が指摘するように、金持ちの子弟が十分な学力もなしに、金の力で進学している可能性がある。しかしこれら有名大学は現実に優れた業績を上げている。一体どうやって?
それは、外国人(移民)の力。アメリカの有名大学には、世界中の優秀な学生が進学したがる。これらの学生は、何なら特待生として学費無料で迎え入れる。彼らは大学にいる間も、卒業してからも、優秀な業績をあげる。すると、金持ちの学生は、同級生のおかげで学力をカモフラージュできる。
世界有数の優秀な人材を同級生に持つことで、金持ちの子どもも、あたかも優秀であるかのようにみなされる。また、彼等にはお金があるから、移民の同級生に投資すれば、彼らは馬車馬のように働き、ベンチャー企業などで大活躍し、大いに稼いでくれる。投資は倍になって戻ってきたりする。
アメリカの有名大学は、とんでもない学費と寄付金を払える金持ちの子どもと、お金はないが飛び抜けて優秀な移民が進学する場所になっている、とみなすことができるかもしれない。経済的貴族が、優秀な移民を高給奴隷として働かせ、彼らにも高収入を約束することで、ウィンウィンになる構図。
安倍政権時代に、アメリカのこうした構図を日本に採用しようとしたらしい。国立大学の学費を高額にし、外国人理由学生に奨学金を与えて大量に引き入れつつある。これが進行すれば、恐らくアメリカの有名大学と同じ状況が生まれるだろう。
日本人で大学に進学できるのは金持ちの子弟だけ、そして海外から優秀な留学生を引き入れ、優秀な彼らに働いてもらい、経済的貴族は彼らを使役する形で日本の支配者として君臨する。そんな社会構想を、複数の安倍政権は持っていたように思う。
慶応大学塾長の「国立大も学費を150万円に」という発言は、経済的貴族が高技能外国人に働かせることで金を儲け、日本の支配者として君臨するという社会構想を実現するための布石のように私には思えてならない。ここで注意が必要なのは、金持ちでない日本人はどうなるのか?だ。
先行してこうした事態を迎えているアメリカでは、貧困白人層が、金持ちと移民が結託して支配する社会にノーを突きつけようと、トランプ大統領を選んだ。トランプ氏は、有名大学出の金持ちと移民が結託した支配構造(エスタブリッシュメント)への不満が高まっていることを見抜き、それで選挙に勝った。
だとすれば、もし安倍政権時に構想したであろう「金持ち・外国人高級労働者による結託」構造は、日本でも同様の結果をもたらす可能性がある。トランプ大統領のごとき、人々の不満を追い風にした支配者が登場しないとも限らない。
そうした将来を見越すと、慶応大学塾長の提案は、私には愚劣に見える。自分たち経済的貴族の支配を安泰だと考える安易さが浅はかなように思われるからだ。支配者は、多くの国民の幸せを願う気持を失ったとき、転覆される宿命を持つ。こんな簡単な歴史的教訓をなぜ無視するのだろうか。
日本に革命が起きてほしくないなら、経済的貴族しか大学に行けないような社会にすべきではない。努力し、学ぶことを好む若者は、誰でも大学に進学できる社会システムであるべきだと思う。それがひいては、経済的貴族の破滅を回避することにつながるだろう。自ら破滅の道を選ばないようにしてほしい。