「国富」考

「国富」考。
国を豊かにするにはどうしたらよいのだろうか。
アダム・スミス「諸国民の富」には、「豊かな国では食料が安い」とある。食料が安ければ楽に食べていけ、浮いたお金を旅行や趣味に費やせる。「可処分所得」が増えるというやつだ。食費が安ければいろんな商品やサービスを購入できる。

第二次大戦後、西欧、アメリカ、日本はこの状態を実現することができた。食べることは余裕でできて、余ったお金でテレビ、冷蔵庫、クーラー、自家用車を購入した。旅行にも趣味にもお金を費やせた。食料が安いから、食べること以外にお金を費やすことができた。これが「豊かさ」なのかもしれない。

では、なぜ先進国ではそんなにも食料を安く提供できるようになったのか。化学肥料だ。第一次世界大戦中に開発された技術、ハーバー・ボッシュ法が、なんと空気から肥料を作る(空気中の窒素からアンモニアを作る)ことを可能にし、ふんだんに肥料を田畑に撒くことができるようになった。

これにより、西欧やアメリカで食糧生産が激増。かつては食糧輸入国(地域)だった西欧でも、全体として食糧輸出国に変わった。これほどまでに食料を大量生産できるようになったのは、化学肥料のおかげと言ってよいだろう。アメリカはトウモロコシの生産が場所によっては10倍にもなった。

食料が大量に生産されれば、当然市場原理で安くなる。食料は余るわけだから。他方、西欧やアメリカ、日本には工業技術があった。テレビや冷蔵庫、自動車を製造する技術があった。世界中の金持ちがこれを購入したがった。だから高値で売れる。それで稼いだお金で、安く食料を買う。豊かな生活の実現。

さて、ここで気になることがある。「豊かな国は食料が安い」とスミスは言った。しかし食料が安くでしか売れないということは、農家が儲からないということ。儲からなければ農家は農業続ける意欲を失ってしまう。それでは結局、食料を誰も作らなくなり、食料が足りなくなり、食料が高騰してしまう。

そこで西欧とアメリカは考えた。工業で稼いだお金の一部を、農家の所得をかさ上げ(所得補償)することに利用した。工業分野から納められた税金の一部を、農家への所得補償の補助金として出すことにしたわけ。こうすれば、農家も十分な収入が得られることになる。

農家も収入が安定するなら、農作物の価格が値崩れしても気にする必要はなくなる。値崩れしたって収入は保証されているのだから。ならば、多めに作ればよい。多めに作れば食料は値崩れする。すると食料は安くなり、多くの国民は財布に余裕ができ、国は豊かな状態になる。

しかし、食料を多めに作るというのは、その分農家が働かなければならないということになるのだろうか?その問題を解決したのが、エネルギーだ。大型トラクターで一気に大面積を耕し、収穫すれば、一人の農家で何百、何千haもの田畑を耕すことができる。作り過ぎを気にしないくらいの方が楽になる。

このため、西欧とアメリカでは農家が非常に少ない。アメリカは国民の1.0%、フランスは1.14%しか農家がいない。残り99%近くの非農家が、工業などで稼ぎ、稼いだお金の一部を税金として納め、その税金で農家の所得補償を行い、農家の収入を安定させる。これにより、食料価格を低く抑えることに成功。

しかし、あまり調子に乗って食料を作り過ぎると値崩れが甚だしくなり、農家の所得補償も難しくなってしまうかもしれない。そこでアメリカやフランスは、余った食料を輸出するようにした。世界に輸出すれば、世界中の人が買うから値崩れすると言っても限界がある。ある程度の価格で収まる。しかも。

アメリカやフランスは、世界で一番安く小麦などを輸出することができるから、必ず買い手がつく。こうすることで、ある程度値崩れを抑えることができる。農家の所得補償も、ある程度の金額で収まる。99人の非農家が工業で稼ぎ、1人の農家の生活を支えるのだから、余裕がある。

こうして西欧やアメリカなど先進国は、豊かな生活を送ることに成功した。エネルギーがあるから農家を減らしても大面積の田畑を耕せ、化学肥料があるから面積当たりの食料生産を大幅に向上させ、所得補償があるから農家は作り過ぎを気にせずに食料生産でき、国民は安く食料が買えて、豊かな生活を実現した。

日本も先進国の一つだが、フランスやアメリカをマネしきることができなかった。原因が二つある。山国であること。そのために農家が多すぎること。
同じ島国であるイギリスと比較してみよう。陸地面積では日本の方が1.5倍ある。ところが農地面積は、イギリスの1/4しかない。日本は山国だからだ。

イギリスは平らな土地(平野)が多いが、日本は山国で、平らな土地が非常に少ない。しかも平らな土地には都市が発達しやすい。人が住む場所と農地とが平らな場所を取り合いする。栃木では田畑を潰し、大型ショッピングセンターができたりする。人家も増える。農地と人家との平地の奪い合い。

しかも、その平地でさえも、西欧やアメリカと比べれば坂道(傾斜地)。だから1枚の田畑を広大にすることができず、チマチマと狭い田畑を傾斜に合わせて作る必要がある。これでは大面積を一気に大型機械で耕すことができない。このため、人手がかかる。農家はあまり減らない、減らせない。

日本は2000年代に入っても、農家が300万人ほどいた。国民の3%近く。アメリカやフランスが国民の1%程度しか農家がいないのに対して、農家が多すぎた。このため、非農家が農家の収入を支える所得補償を実施するのは困難だった。ただ、最近、その様子も変化しつつある。

農家の数は152万人にまで減った。国民の1.12%しか農家はいない。これならば、フランスやアメリカのように所得補償してもやっていけるかもしれない。ただし、難点が一つある。農地が狭いことだ。一人当たりの農地面積は、フランスが日本の10倍、アメリカは81倍にもなる。日本も農家は減ったが、それでも一人頭の農地が狭いから、「所得補償しますから好きなだけ大量に食料作ってもらって構わないですよ!」としても、フランスやアメリカほどは作れない。狭い農地しかない、という日本の限界があり、フランスやアメリカほど安く大量に食料を作れるとは限らない。この点に注意が必要。

さて、世界史的に大きな問題がこれから起きてくる。国を豊かにする原動力だった二つを、確保できるかどうか、微妙だからだ。その二つとは、化学肥料とエネルギー。
化学肥料のおかげで食料を大量生産でき、食料を安くすることができ、豊かな生活を送ることができた。化学肥料を安く生産できたからだ。

では、なぜ化学肥料を安く生産できたのだろう?それはエネルギー(石油、天然ガス、石炭)が安かったからだ。化学肥料を製造する反応には、大量のエネルギーが必要。その際、天然ガスや石炭などの化石燃料を燃やしてエネルギーを得ていた。これらのエネルギー安かったから、化学肥料も安く作れた。

しかし、化石燃料が安かった時代が、終わろうとしているのかもしれない。特に石油は深刻。石油は、自動車や船、飛行機など、輸送機械と呼ばれるもののエネルギーのほとんどを賄っている。そして、石油に代わるエネルギーがまだ見つかったとは言えない状況。電気自動車は、乗用車を動かすのが精一杯。

石油はかつて、噴水のように噴き上げていたから、1のエネルギーで掘って、その200倍ものエネルギーの石油を手に入れることができた。ところがシェールオイルなどになると、10倍を切る石油しか採れないことが増えた。投資効率が悪くなり、投資家も投資をためらうエネルギーになりつつある。

石油は、自動車や船、飛行機を動かすことのできる非常に優秀なエネルギーであり、これほど優秀なエネルギーを代替できると断言できるエネルギーはまだ見つかっていない。バイオ燃料は微々たる量だし、電気は電池が重すぎてパワー不足。なかなか石油に代わるエネルギーが見つからない。

このため、石油に代わるエネルギーとして天然ガスや石炭をある程度使わざるを得ないだろう。となると、天然ガスや石炭もつられて価格が高くなる恐れがある。すると、そのエネルギーを使って製造されている化学肥料も高くなる恐れがある。何より、石油が使えないと、トラクターは動かない。

化学肥料が安かったから、食料を大量生産できた。石油が安く買えたから、トラクターで大面積を耕せた。しかし石油の採掘効率がどんどん悪化し続けている。採掘に要するエネルギーの3倍しか石油が採れなくなったら、エネルギー的に赤字になるという。石油をガソリンに加工するにもエネルギーが必要だからだ。

その「3倍」の数字に、どんどん近づきつつある。そうなったとき、石油はエネルギーとして意味のないものになる。自然エネルギーがまだ主役を張れないのなら、天然ガスや石炭を利用せざるを得ないかもしれない。そうすると、地球温暖化の問題が進行する。大きなジレンマを抱えることになる。

世界の首脳はどうやらこのジレンマに気づき、「石油が採れるうちに太陽電池や風力発電などの自然エネルギーを製造する」ことに決意を固めたらしい。正直、石油でないと、大型機械を動かすエネルギーは確保しづらい。石油を利用できる今のうちに、自然エネルギーを増やしておくしかない。

しかし、自然エネルギーでエネルギーを確保できるようになったとしても、まだ油断ができない。化学肥料を、石油時代のように安く大量に製造できるか、まだ分からない。また、自然エネルギーで船や飛行機、大型トラックを動かすことはまだ困難。大型トラクターも電池で動かすのはかなり難しい。

石油が安いからこそ成立していた技術生態系、経済生態系が崩れ去ろうとしている。その中で、先進国が豊かさを維持することができた二つのもの、化学肥料とエネルギーを、今後も確保できるのか、まだ見通せない。

日本は欧米の世界戦略の中で生きることを選択してきた。テレビや自動車、半導体など工業製品を輸出し、その稼ぎでアメリカの安く食料を買い、豊かな生活を維持してきた。しかし日本は今や、海外に魅力を感じてもらえる製品を作り出す力に乏しくなっている。

アメリカやフランスのようにはいかないが、日本も農家が減ったのだから、所得補償をして、食料を余り気味に製造してもらいたいところ。しかし、所得補償をするにはお金が必要。そのお金を稼ぎだす非農家、つまり工業に元気がない。工業など非農家が元気でなければ、所得補償も難しい。

円安のおかげで、海外からくる旅行客が増え、観光業が日本の重要な産業になりつつある。これでお金を稼ぎ、農家に所得補償をするのもよいかもしれない。そして海外から安い食糧を輸入し、足りない分を補うこともできるかもしれない。しかし観光業の一本足打法では不安がある。

なんとか、世界的に魅力を感じてもらえる商品・サービスを提供し続ける必要がある。非農家が稼ぎ、不足する食糧を輸入し、農家の所得を支える。農家は安く食料を生産し、消費者の生活を底支えする。農家と非農家の協力が今後重要になってくるだろう。

それでも油断はならない。石油がエネルギーとして活用できなくなった時、果たして化学肥料をふんだんに使用することが未来もできるか、疑わしい。もしそうなった場合、アメリカやフランスなど食糧輸出国は、今後も大量に食料を輸出してくれるだろうか?その点に不安がある。

石油で出来上がっていた社会生態系が、もうじき崩れ去ろうとしている。そして、新しい生態系では、これまで社会を豊かにしてくれた化学肥料とエネルギーを十分に供給してくれるという保証はない。そんな中で、私たちは次の社会をデザインし、適応していく必要がある。

恐らく、石油時代のようには、エネルギーを湯水のように使用することはできなくなるだろう。限られたエネルギーの中で、私たちは生活を楽しむ力を養う必要がある。また、限られたエネルギーの中で、化学肥料を製造し続けることも必要だろう。カナダの研究者、バーツラフ・スミルの試算によると。

もし化学肥料を一切使用しないとしたら、地球上で養える人口は30~40億人だろう、としている。現在の世界人口は80億人だから、約半分。今後も化学肥料を確保することが必要になるだろう。しかし、化学肥料を製造するには、大量のエネルギーが必要。

化学肥料の一つ、アンモニアを製造するだけで、世界のエネルギーの1~2%を消費していると言われる。もし石油が使えなくなり、自然エネルギーだけでエネルギーを賄うことになったとしたら、5%くらいを化学肥料製造に回さねばならないかも。化学肥料は高騰する恐れがある。

化学肥料の価格を抑えるためには、非農家の産業が稼ぎ、補助金をつける必要が出てくるだろう。ということは、非農家の産業がこれからますます頑張らなければ、農業を支えることができない、という、妙なジレンマを抱えることになる。

エネルギー高騰時代に、非農業の産業が稼ぐには、エネルギーの消耗が少ない割に人々を楽しませる商品・サービスの開発が重要になる。未来を生きる人々は、こうしたエンターテイメント性の高い、しかしエネルギー消耗は少ない商品・サービスを開発する必要がある。

こうして非農業の産業で稼ぎ、農家の所得を補償し、化学肥料を安く抑える補助金を出す。こうしたことが、石油という、あまりに安価で、あまりに優秀なエネルギーを使えなくなった未来で、実現できるかどうか。そこが未来を決めることになるように思う。豊かな国は、食料が安くないといけないのだから。

※いくつか指摘があったので追伸。
原発活用の指摘があったが、原発は
・基本、電気しか作れない。電池は重くて能力不足、船や飛行機、大型動力を動かすことが難しい。
・原発で作る水素は高価。
・ウランの資源量は限られている。
・高速増殖炉がネックでプルトニウム利用も資源に限り。
等の諸問題。

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