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【読書note】キャリアを彩る人材紹介の進化:過去から未来へ、労働市場の変遷に対応する革新戦略 vol.1

こんにちは、芝本です。
先日、北野さんの著書『転職の思考法』を読んで、内容をまとめた記事を上げました。人材紹介・キャリア支援の事業を立ち上げたからこそ、人材ビジネスの歴史も知っておいた方がいいなと思っていると、いい感じの書籍を見つけました。

新卒採用や中途採用、業務委託やフリーランス、派遣労働者、アルバイトなど働き方は多岐に渡りますが、その源泉に立ち返って理解を深めていこうと思っております。歴史を知ることで、人材ビジネスの未来が見えてくるかもなので、さっそくアウトプットしていきます。

正社員として働くことが当たり前になった背景

イギリスにおいて、世界で初めて産業革命が起こりました。では、日本における産業革命とはいつの時代を指すのでしょうか。

日本における産業革命は、明治時代(1868年から1912年)に起こりました。この時期に日本は西洋の技術と思想を積極的に導入し、急速な近代化と工業化を実現しました。そして、第二次世界大戦終戦から5年後の1950年に朝鮮戦争が勃発したことにより、特に鉄鋼業、造船業、化学工業などが大きな恩恵を受けました。これらの産業の急速な成長は、戦後の日本経済回復の原動力となりました。

この朝鮮戦争特需が大きな雇用を生み出したというわけです。終身雇用制度や年功序列といった日本型の雇用システムもここで定着します。そして、工業化社会では、労働者は専門的な知識やスキルが求められ、企業が人材を長期雇用することが生産性向上に直結していました。

つまり、長期間安定して雇用できる「正社員雇用」が当時の企業の成長にはとても重要視されており、この時代背景によって「正社員雇用」が世の中の常識になり、約70年の時を経て、いまに至るわけですね。ボクが社会人としてのキャリアをスタートさせた2009年は、大学を卒業したら正社員として会社に就職するという流れが大多数で、その空気は2024年の現在でも当たり前のように残っています。

しかし一方で、1980年代以降、日本経済はバブルの崩壊とともに停滞期に入り、企業はコスト削減と柔軟な人員調整を求めるようになりました。これにより、非正規雇用(派遣労働者、契約社員、アルバイトなど)が増加しました。非正規雇用は、企業にとって人件費の削減や労働力の柔軟な調整が可能であり、経済の不安定さに対応する手段として採用されました。

さらに、労働市場の変化、女性や高齢者の労働参加の増加、若年層の価値観の多様化なども、非正規雇用の増加に影響を与えました。また、技術の進歩とグローバル化が進む中で、企業はより専門的なスキルを持つ労働者を求めるようになり、その結果、近年はプロジェクトベースの契約やフリーランスといった柔軟な雇用形態が広がっていきました。

これらの変化は、日本の雇用システムに大きな影響を与え、正社員中心の雇用から多様な労働形態へとシフトしていきました。

時代の変化に伴う職業選択の広がり

何人も、公共の福祉に反しない限り、住居、移転及び、職業選択の自由を有する

出典:日本国憲法第22条第1項

1946年に公布された日本国憲法で、”職業選択の自由”は明文化されています。職業選択の自由が権利として明文化されたのは終戦後ですが、実はそれまでも多様な職業選択や職業移動は行われていました。そして、この職業選択や職業移動の歴史から、求人広告や人材紹介、人材派遣などのビジネスモデルが確立されてきました。

江戸時代

士農工商という身分制度は誰もが聞いたことがあると思いますが、この時代は基本的に職業選択の自由はなく、世襲が大半でした。武家に生まれたら武士、農家に生まれたら農業という具合ですね。ただし、農工商に関しては、ある程度の職業移動と、労働力の採用もあったみたいです。

しかし、当然ですが、当時の江戸に求人メディアなどあるはずもなく、人と仕事のマッチングは、縁故(リファラル)採用が一般的でした。商人や職人などの人を雇い入れる経営側が、親類縁者や取引先などから紹介してもらうという方法ですね。つまり、経営者との繋がりが無い人にとっては、職に就くことすら難しかったというわけです。

そういう人向けに、都市部では「口入屋(くちいれや)」、農村部では「人市(ひといち)」と呼ばれるマッチングを行う業者や市場がありました。つまり、江戸時代では縁故(リファラル)採用がメインで、そういった繋がりがない人向けに、「口入屋」や「人市」と呼ばれる人材紹介のマーケットがあったということですね。

明治〜大正〜昭和 戦争と職業選択

求人広告の原型が生まれたのはこの時代です。1872年(明治5年)7月14日の東京日日新聞(現・毎日新聞)に人材採用の広告が掲載されました。初の求人の職種は「乳母」でした。

この初めての求人広告を皮切りに、見習い看護婦や女料理人、カフェやバーの女給の求人広告が数多く掲載されていきますが、なんと1936年をピークにこのような職種の掲載数はほぼゼロになりました。

背景は、第二次世界大戦の開戦です。

1939年、ドイツのヒトラーがポーランドへの侵攻をきっかけに第二次世界大戦が勃発。日独伊三国同盟もあったため、日本も戦争に突き進みます。そうなれば、兵隊や造船業の増産、戦地への補給船の船員の募集など、戦争関連の求人一色になりますね。

ミッドウェー海戦以降敗戦続きの日本において、1944年8月に「学徒勤労令」が発令されました。中学生以上の学生は、男女問わずに兵器や食料の生産の労働力として徴兵され、一時的に職業選択の自由は消失しました。1945年8月14日のポツダム宣言の受託まで続きました。

戦後〜高度経済成長期 求人広告の覚醒

終戦後、多くの都市が爆撃で破壊され、工業施設も大きな損害を受けて、日本経済は壊滅的です。当然、経済活動はほぼ停止状態にあり、深刻な食糧不足と物資の欠乏に陥ります。インフレが進行し、円の価値が急速に下落していきます。

連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)主導で、戦時体制の解体、財閥解体、農地改革などが行われ、日本経済の民主化と分散化が進められました。そして、ここから日本経済は一気に駆け上がります。

背景は、朝鮮戦争の開戦です。

終戦後のアメリカとソ連の思想の覇権争いに巻き込まれるカタチで、朝鮮戦争が勃発します。朝鮮半島に近い日本は、米軍の補給基地となり、戦争の恩恵を存分に受け取ります。都市部では一気に人材獲得の流れが起き、地方から都市部への集団就職が起こりました。

ここに来て求人広告のカタチも大きく変わります。求人数が激増したからこそ、単に職種と給与の情報だけでなく、仕事内容、勤務条件、福利厚生、寮や住宅の提供など、より詳細な情報を提供するようになりました。

経済の成長とともに、さまざまな業種や職種に特化した求人広告も登場するようになりました。この時期の求人広告の需要の増加は、広告業界自体の成長にも寄与しました。広告会社は新たな収益源を確立し、経済活動全体に貢献しました。

高度経済成長中期〜現在 求人広告ビジネスの確立

そして、ここにきてようやく求人広告のビジネスモデルが確立されました。1960年に江副浩正さんによって設立された「大学新聞広告社」(現・リクルートホールディングス)が、主に大学生向けの就職情報を提供することからのスタートです。

「大学新聞広告社」は、当時あまり注目されていなかった大学生という明確なターゲットに焦点を当てました。当時の大学生が就職活動を進めるには、大学の就職課に訪問し、そこに掲載されている求人を確認するしか方法がありませんでした。そこで、企業からの求人情報を求人広告というカタチで受注して、それを1冊にまとめて大学生に配布したことが求人広告ビジネスのスタートです。これにより、大学生向けの専門的な就職情報提供サービスを展開しました。

そして、1975年には正社員の中途採用情報を掲載した『週刊就職情報』が大学新聞広告社より創刊されます。これが、初の転職市場の求人メディアで、現在の人材紹介業の原点ですね。

「転職」という名の労働力の移動が起こり始めた背景とその当初のイメージは?

1950年半ばから70年初頭までの高度経済成長期には終身雇用が一般的でしたが、1980年代以降のバブル崩壊とそれに続く経済停滞期により、多くの企業がコスト削減と経営の効率化を模索しました。その結果、企業は従来の終身雇用よりも柔軟な雇用形態を採用するようになり、それに伴って従業員の転職や雇用形態の多様化に繋がります。

また、経済の変動期には、特に中途採用市場が活性化します。不況期には企業のリストラや組織再編が行われ、これが中途採用市場の活発化を促します。一方で、好景気時には企業が成長を支えるために新たな人材を求める傾向があります。

しかし、「終身雇用が当たり前」の当時の日本において、転職はしばしば不安定さや不誠実さの象徴と見なされがちでした。企業への忠誠心や献身性が高く評価される文化の中で、転職者に対しては猜疑心の目を向けられていたそうですね。

転職市場が成熟していなかった背景は、当時の日本経済の空気感だと思います。終身雇用の世の中において、キャリアアップは主に企業内での昇進によって為されるものと考えられていました。そのため、多くの労働者は同じ企業内での長期的なキャリア構築に注力し、転職などを考えている余裕はなかったのかもしれません。見たことないですが、『島耕作』や『半沢直樹』の世界観なんでしょうか。

江戸時代からの歴史を振り返ることで、日本の労働環境や雇用形態の変化を見てきました。そして、朝鮮戦争特需以降に確立された日本特有の雇用形態が生み出したメリットも理解しました。

しかし、2024年現在は、転職が当たり前の世の中になりました。終身雇用ではなく、転職を通して自分のキャリアアップを実現させるという人が大多数になりました。とてもいい傾向だなと思いますが、次の記事では、現在の人材紹介事業とその未来について考えていきます。

今日はここまで。
4,000文字を超える記事になりましたが、最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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