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お茶ラッピングタクシーと、聖一国師の枝垂れ桜に想う春

 静岡は、近畿と関東を結ぶ重要な街道が通る地。平安時代の『伊勢物語』『更科日記』、鎌倉時代の『十六夜日記』『海道記』、江戸時代の『東海道中膝栗毛』『東海道五十三次』など、時代を代表する旅作品の舞台になっています。そして、静岡茶のルーツとされるお茶にもまた、遠く宋から海を渡ってやってきました。2019年の春、静岡市で始動したお茶ラッピングタクシーに乗って、静岡の中でも安部川の上流、かつて安倍郡(現在の静岡市葵区)と呼ばれた地に、その歴史を彩るシンボル的桜と茶産地を訪ねました。そのなかで印象深かった場面をご報告をさせていただきたいと思います。

 お茶ラッピングタクシーというのは、「お茶のまち静岡市」ラッピングユニバーサルデザインタクシーのことで、平成30年(2018年)1月26日、清水港日の出埠頭に豪華客船『飛鳥Ⅱ』が寄港するのに合わせて生まれました。富士山をバックに茶畑や波のうねりを想起させる、茶処静岡らしいデザインとなっています。現在は10台に増え、平成31年(2019年)4月7日(日)に開催された第15回奥藁科大川お茶まつりでは、静岡市が設定した5つのルートを各1台のお茶ラッピングタクシーが走りました(私が乗ったタクシーはルート1でした)。

奥藁科大川お茶まつりチラシ表
奥藁科大川お茶まつりチラシ裏

≪お茶ラッピングタクシー走行ルート≫
☘ルート1
栃沢しだれ桜(開会式)→グリーンティー大川→大間縁側お茶カフェ→栃沢茶宴→100年そばの会
☘ルート2
栃沢しだれ桜(開会式)→グリーンティー大川→お茶しま専科→黄金みどり→大川小中学校→カフェルッカ
☘ルート3
栃沢しだれ桜(開会式)→グリーンティー大川→マルモ農園→栃沢茶宴→地域おこし協力隊→100年そばの会
☘ルート4
栃沢しだれ桜(開会式)→グリーンティー大川→大川小中学校→マルモ農園→栃沢茶宴→カフェルッカ
☘ルート5
栃沢しだれ桜(開会式)→グリーンティー大川→黄金みどり→お茶しま専科→地域おこし協力隊→100年そばの会

≪大川お茶まつり散策10地点≫
🍵地域おこし協力隊
🍵カフェ ルッカ
🍵100年そばの会
🍵栃沢茶園
🍵大川小中学校
🍵黄金みどり
🍵農家民宿 マルモ農園
🍵お茶しま専科
🍵グリーンティー大川茶農協
🍵大間縁側お茶カフェ
 
 私が乗ったお茶ラッピングタクシーのルート1にまつわる2つのお話をご紹介します。

◎栃沢しだれ桜(開会式)
 円爾弁円(えんにべんえん)は栄西が建仁寺を建立した年建仁2年(1202年)、駿河国安倍郡栃沢(現在の静岡市葵区)に生まれました。幼名は龍千丸、地元では「頓智小僧」「栃小僧」と呼ばれ神童の誉れ高く、齢5歳で久能山久能寺の堯弁に師事して倶舎論天台を学び、18歳で得度(園城寺にて落髪、東大寺で受戒)し、上野国長楽寺の栄朝、次いで鎌倉寿福寺の行勇に師事して臨済禅を学んで頭角を現し、嘉禎元年(1235年)には宋に渡り五山の一に数えられる名山径山萬寿禅寺の無準師範のもとで禅を究め仁治元年(1240年)に帰国しました。この時、中国の進んだ文化を伝えるべく千巻に及ぶ経典はもちろん、儒書、医薬書を始め、当時の先進的な科学技術から製粉(うどん、そば)、饅頭、織物、陶器(陶器人形)、茶に関するものも持ち帰りました。帰国直後の仁治2年(1241年)、上陸地の博多にて承天寺を開山、滞在中に疫病が流行った際、施餓鬼棚を弟子に担がせ、自らその上に乗って聖水(甘露水)を撒きながら疫病退散を祈祷したことが博多祇園山笠の起こりだと言われています(現在も博多祇園山笠の際には国師が開山した承天寺前を通る舁(か)き山笠の男衆にまかれる勢い水は、静岡の生家を流れる水が使われています)。のちに上洛して東福寺を開山、宮中にて禅を講じ、臨済宗の流布に力を尽くしました。その宗風は純一な禅でなく禅密兼修で、臨済宗を諸宗の根本とするものの、禅のみを説くことなく真言・天台とまじって禅宗を広めたため東大寺大勧進職に就くなど、臨済宗以外の宗派でも活躍し、信望を得ました。

 晩年は故郷の駿河国に戻り、母親の実家近くの蕨野に医王山回春院を開き禅宗の流布に努め、また生誕地(駿河国阿倍郡大川村栃沢=静岡市葵区栃沢)に隣接する駿河国安倍郡三和村足窪(静岡市葵区足久保奥組)の地に宋から持ち帰った茶の実を植えさせ、茶の栽培も広めました。『東福寺誌』に「国師の駿河穴窪の茶植え…」とあるのが裏付けとなる記録で、当時、僧の中には医療にたずさわるものもあり、僧らが行う喫茶が養生法の一つにあげられ、茶は医薬として珍重されました。安倍川や藁科川上流一帯は茶の適地として良質な茶を産するので、味の本場であるということから本山茶の名が生まれました。聖一国師は静岡茶を日本一にする基を作ったのです。

 没後の応長元年(1311年)、花園天皇から「聖一」の国師号が贈られました。僧侶として最高の栄誉である「国師」の号を日本で史上初めて贈られた高僧となります。国師墓所の寺号、医王山回春院の名は、茶の持つ不老長寿の効能をうたったものと伝えられています。

◎大間縁側お茶カフェ
 チャンスがあれば行ってみたかった奥静と呼ばれる場所。同じ静岡市葵区内なのに、中心地から2時間も車で走った標高800m静岡市最北地。住民数名の大間集落では平成20年(2008年)より、第1・3週の日曜日に縁側お茶カフェを開催しています。奥静を盛り上げるための小さな山間集落が試みです。昔懐かしい縁側や囲炉裏で人が集う場所、趣向をこらしたもてなしと野趣に富んだ料理、そしてやっぱりお茶。奥静はお茶がいい。こんな山奥まで聖一国師がもたらしたものが生きていました。

縁側
囲炉裏

 その子はね、ほんの小さな頃から神童の誉れ高く、雨の日も風も日も小さな足で山を越えて手習いに通い続け、辺鄙な田舎から大出世して、ついには歴史に残る高僧となったんだよと、まるでついこの間のことのように、知っている子を自慢するように、地元の人が言います。

 慧眼の少年のこの道から旅立ち、自分が歩いた道の終着点に故郷を選んだ。頓智小僧と呼ばれた子供の頃の彼を知っている人たちは、彼の片視力が失われてしまったのを知って嘆いたことでしょう。彼は留学僧として入宋した労苦によってつぶれた目をありのままに写した木像を生家に残しました。そして、茶も。
聖一国師の生家を訪れたのは二度目。最初に訪れたのは、聖一国師の小さな小さなお墓に寄りそう紅い彼岸花が印象的だった季節。故郷に医王山回春院を開き茶栽培を広めた人には、やはり桜が、春が似合う。
「本山の山のさやけき水を清み このよきこの芽に生まれたるらん 日の本の誇のよき茶いでたりと ほほえみまさむ聖一国師も」

大川大間「粋」ロックティー
鹿肉ロースト、筍&山菜、鹿肉赤ワイン煮、猪肉カレー
大川地区農家手作り菓子
大川地区産漬物やこんにゃく
ちびまる子ちゃん奥静ポストカードと大川大間茶

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