<岡山>日本三大庭園後楽園の夏は、幻想庭園
桃太郎伝説発祥地
空の玄関口である空港、陸の玄関口である駅、共に桃太郎が出迎えてくれるのは、そう、岡山県。岡山桃太郎空港ターミナルの正面入り口、JR岡山駅後楽園口には犬・猿・雉をお供に連れた桃太郎像が鎮座しています。それだけではありません。消火栓にも桃太郎、マンホールにも桃太郎…、三年前になる前回の旅で見たタイガーエアー岡山‐台北線デイリー運行PRラッピング路面電車(2018.12.03~2020.03.31)はとても印象的でした。
そう、桃太郎は日本一の観光大使なのです。
後楽園へ
さて、駅前の桃太郎像を背に先ず向かう場所と言えば、岡山駅から路線バスや路面電車利用で15分ほど、徒歩でも30分かからない市の中心部に位置する日本三大名園のひとつ後楽園です。
行きはざっと道を覚えるために、バスや路面電車を利用すると良いでしょう。どれに乗って良いかわからない時は駅前広場の路線バス乗り場に案内所があるので、気軽に聞くことができます。後楽園に止まるのは乗り場1番、運が良ければ、夢二黒の助BUSのようなラッピングバスに乗ることができるかも?黒の助は、夢二郷土美術館お庭番として2016年に任命された黒猫をキャラクターにしたものです。会えるかもしれない実在の猫なのです。
岡山後楽園
茨城県水戸の偕楽園、石川県金沢の兼六園とともに日本三名園の一つである後楽園は、岡山藩二代藩主池田綱政(1638~1714年)が、藩主が政務の合間にやすらげる場所として造らせた回遊式庭園です。
1687年に着工し以後、代々の藩主が自身の趣向に合わせて庭園を加減してゆきます。
綱政は名君として著名な池田光政の長男として生まれ、光政の隠居に伴って家督を継ぎますが、光政存命中の藩政は隠居した父によって行われました。1682年、光政の死によって自ら藩政に取りかかると、池田氏菩提寺、吉備津彦神社、後楽園などの造営事業を行いました。綱政の時代、藩主の居間である延養亭から眺望を楽しむための庭園が形成されました。
三代藩主継政(1702~1776年)は領民に対しても善政を敷いた名君で、享保年間に近隣の諸藩で百姓一揆が頻発していたのに対して、岡山藩は一揆が起こらず、平穏を保ったと言います。文人としても優れており、絵画や書、能などに長けていました。その才能を庭園にも発揮して園の中心に唯心山を築き、ひょうたん池を掘らせて、水路を巡らせました。
五代藩主治政(1750~1819年)は父の死去により15歳で家督を継ぎました。老中となった松平定信が寛政の改革で倹約令を出した際にこれに従わず、放漫財政を展開したという逸話が残っています。倹約のため庭園内の田畑を耕作する人々をやめさせた時期があり、その後園内東に田畑が戻ったのは治政の時代のことです。茶畑は後楽園の築造当時から計画されたもので、ここで摘まれた葉が岡山藩主の御茶として利用されました。現在、毎年5月には茶つみ祭が行われているとか。
後楽園茶畑横に建つお茶屋や額縁的風景が楽しめる丸窓の茶室漣波の間では、岡山名物きびだんことセットでお茶することができます。
後楽園と丹頂鶴
日本三名園のなかで特徴的なのが、園内に丹頂鶴が飼われているということ。
「千代やえん空飛ぶ鶴のうちむれて庭におりいる宿の行末」(池田綱政)
藩主が参勤交代で江戸にいる間に鶴が卵を産むと報告のために特使がたてられたというほど愛された丹頂鶴は戦前までは園内で自由に暮らしていたそうで、古い写真に園内を散策するたくさんの鶴を見ることができます。残念なことに、藩主が代々愛した丹頂鶴は一次途絶えてしまいました。留学時代後楽園に親しんだ郭沫若が戦争で城や鶴が失われた寂しい風景に心を痛めて、中国から贈った丹頂鶴が現在の丹頂鶴のルーツです。
夜間特別開園 夏の幻想庭園
3月20日から9月30日の開園時間は7:30~18:00ですが、8月1日から31日までの一ヶ月間は夜間特別開園(18:00~21:30)「夏の幻想庭園」ライトアップがあります。
上の記事は日本茶散歩中の記事です。他地域の物語も読んでいただけたら、幸いです🍀