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<高知・徳島・奈良>お大師様沙の足跡
「お大師様(空海)は、四国の山に茶の木が自生しているのをご覧になった」
どこかで見聞きしたそんな言葉だけを頼りに、空海がかって見たという山にお茶の木がある風景を探すべく、四国に向かったのは暑い夏のことでした。
人々が道ゆくお遍路さんたちにお茶をふるまった茶堂が残る愛媛の山道を歩き、高知では神河(いにしえの時代、神に捧げる酒をここの水で醸造したとされる)と呼ばれた仁淀川の清流が流れる山の中まで山茶を探しに行きました。最後に目指した場所が、阿波晩茶の生産地にほど近い、西の高野と呼ばれる舎心山常住院太龍寺です。
昔は狼が出没するような難所だったようですが、今はケーブルカーであっという間に到着してしまいます。空海が若き日に修行の地として上った大瀧嶽を臨めば、道なき道を全国各地くまなく歩いた空海の偉大さにふれることができます。
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空海も歩いたであろう聖跡舎心ヶ嶽への道の途中、掃き清められた道が強い風に乱された時、「今、お大師様が通り過ぎた」と、奉仕をしていた人が笑っていいました。どうやらここには空海ゆかりのお茶があるというだけではなさそうです。人の心の中に今も生きている空海を感じることができます。
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この辺り一帯で生産されている阿波晩茶は山に自生している茶の葉を夏に摘み、木桶に浸けて乳酸発酵させるもので、現在も地元の人たちに日常飲まれているお茶です。空海が唐より持ち帰ったお茶の種を植えたものであるとか、摘んだ山の茶葉で空海がこの地の人々に製茶法を教えたといわれているお茶です。それが真実であるかどうかは定かではありませんが、謎は謎のままでよいという気持ちになります。碁石茶も阿波晩茶も石鎚黒茶も、後発酵という独特の手間を加える四国のお茶です。
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この地では、地元の方々から思いがけないお接待というべき親切をたくさん受けました。雨が降れば傘をいただき、停留所をさがして道に迷っていれば車に乗せていただき、もちろんお茶もたくさん飲ませていただきました。そして思いいたったのです。ただお茶というだけでなく、お茶にとって大切なおもてなしの心、そして信仰が空海の故郷にもたらされたのだと。
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お大師様への信仰は厚く、お茶の行事文化は長い歴史のあいだ途絶えることなく守られてきました。元日に、家族の無病息災を祈るためにお釈迦様の誕生日(花祭り)である旧暦4月8日に摘んだお茶の葉を若水で飲むなどの風習が育まれたそうです。
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そして、四国にお茶のある風景を刻んだのは空海だけではなかったようです。行基(668~749)は堂社を建立すると同時に茶樹を植え、土佐を訪れた夢窓疎石(1275~1351)は五台山麓の草案に住んで喫茶風習を伝えています。
その後、空海が弟子にお茶を伝えた証を奈良にも見ることができました。千年桜が迎えてくれる摩尼山仏隆寺です。850年に空海の高弟賢恵が創建したと伝えられ、また「大和茶発祥地」としても知られています。この奈良の古刹は、唐の都である長安から空海が持ち帰った茶臼が残されています。それは、千数百年の時を経ても今なお美しい姿でした。
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私は空海を見たという山に茶の木のある風景を見たのでしょうか。厳密にいえば見ていません。それはもう伝説のベールの向こう側にあるものです。ただそれよりも、そのお茶を介して人々が与えてくれたもてなしの心、それが千数百年たった現在でも綿々と続いている奇跡のような事実に感動した旅でした。
上の記事は日本茶散歩中の記事です。他地域の物語も読んでいただけたら、幸いです🍀