<滋賀・京都・長崎>鎌倉幕府が帰依した茶祖ゆかりのお茶会
比叡山延暦寺を訪れたのは、雪のまだ残る寒い早春の頃でした。
(栄西ゆかりの地はどの場所にあるのだろう・・・)。
根本中堂にお参りもせずにじっと地図をのぞきこんでいた私に、売店でお礼を売っていたお坊さまが見るに見かねて声をかけてくださいました。
「どちらに行かれたいのですか?」
目的地に印をつけた地図を見せると、そのお坊さまはきっぱりとおっしゃいました。
「そこへは駐車場から下りていけるのですが、あなたのそのいでたちでは無理です」
いでたちがだめでも、根性で行けるだろうと思った私ですが、駐車場からその場所を見下ろした時に、一瞬で判断したお坊さまの見識に感心しました。
「急斜面をがんばって下りていっても、そこには小さな碑がぽつんとあるだけですよ。上から臨むだけで十分でしょう」
お坊さまがそのように付け加えて言ってくれたのは、私をあきらめさせるための何よりの優しさからだったのでしょう。
栄西は、14歳の時に多くの入唐僧、入宋僧を輩出した比叡山延暦寺で出家受戒して、天台密教を学びました。栄西のほかにも、天台密教を大成させた円仁(794~864)と円珍(814~91)、そして帰国が叶わなかった成尋(1011~81)、浄土教を広めた法然(1133~1212)と親鸞(1173~1262)、宋代の禅宗を伝えた道元(1200~53)、日蓮宗を開いた日蓮(1222~82)、そして空也(903~72)などがこの比叡山で学んでいます。
比叡山で修行を積みながら栄西はすでに遠い宋を見つめていたのでしょうか、2度(28歳と47歳の時)にわたる入宋後、1202年に源頼家の援助で京都の臨済宗の拠点として建仁寺を建立しました。この栄西ゆかりの建仁寺、いにしえから行なわれてきた禅院茶礼が今も年に一度行なわれています。
その貴重な茶会は「四頭茶会」といい、毎年4月20日に栄西の誕生を祝う開山降誕会で行なわれます。独特な茶会で、お茶に興味がある人にとっては茶会の頂点に燦然と輝く、一度は経験してみたい憧れの対象です。四頭茶会は、朝8時半から夕方4時過ぎまで千人におよぶ人がもてなされます。それだけ多くの人がもてなしてもらえるなら飛び入りでも参加できるだろうと安易に思うと大間違いです。
なんと、その茶会に参加した人の大半が、翌年の茶会を申し込んで帰るので、残りの茶券はわずかとなり電話受付で一日のみ発売されます。運よく電話がつながり券が残っていれば一人5枚まで購入することができます。郵送で送られてきた茶券は5枚綴りとなっていて、四頭茶会以外に、表千家、裏千家、煎茶道、点心席と5つの茶席への参加ができます。すべてまわるには一日がかりです。まさに春のお祭りのような茶会です。
4人の僧侶が一席につき4名の正客(四頭)とそれぞれの正客に従う各8名の相伴客計36名に抹茶を振るまう茶会なので四頭茶会といいます。
茶室では正客を頭に四方に座った客の前に4名の供給役の僧が抹茶が入った天目茶碗と茶菓子を配り、茶筅と浄瓶を持って、客がささげた天目茶碗にお湯を注いでお茶を点てます。ほかのどんな茶会とも異なる寺院ならではのこの特別な茶会に運よく参席できたのですが、あまりの感動のせいでしょうか、そのお茶がどのような味だったか残念ながら思い出せません。
九州で栄西ゆかりの地としてめざしたのは、日本の禅宗発祥地とされる冨春庵跡、そして安国山聖福寺です。
冨春園は栄西が平戸に上陸して、その場所に宋から持ち帰ったお茶を植えたとされている茶園です。栄西が宋で師事したのは天台山万年寺の虚庵懐敞禅師で、禅林第一の径山万寿寺の余杭(杭州市の市轄区)にも一時期滞在したといわれています。どちらもお茶の名産地なのですが、栄西は一帯どちらのお茶の名産地なのですが、栄西は一体どちらのお茶を持ち帰ってきたのでしょうか。
冨春園にある茶園はバスが走る山道の横にぽつんと存在していました。お寺の境内にあるというわけではありません。千光寺付近のバス停からその茶園の場所をバスの運転手さんにでも尋ねて指をさしてもらえばすぐに分かる距離にあります。そして、茶園がある場所から細い道を下ると栄西が禅院清規を立てたという冨春庵跡があり、栄西が坐禅を組んだとされる坐禅を組んだとされる坐禅石も残されています。
さらに栄西は「石上茶」の名前で知られる佐賀県の背振山の霊仙寺石山坊や、福岡県博多に立てられた安国山聖福寺にもお茶を植えたとされています。
そして忘れてはならない栄西最後の偉業が、没する4年前に著した日本初の茶専門書『喫茶養生記』です。この書は1214年に3代将軍源実朝にお茶とともに献上されました。二日酔いと気鬱で苦しんでいた実朝は、お茶を飲んだところたちまち治癒したと伝えられています。
栄西以前もお茶は日本に存在していましたが、一部の特権階級の人たちだけのものでした。そのお茶を広く普及させたことが茶祖といわれる所以です。
「茶は養生の仙薬、延命の妙術なり」
栄西の言葉は今も生きています。
上の記事は日本茶散歩中の記事です。他地域の物語も読んでいただけたら、幸いです🍀