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アイデンティティ・クライシス


アイデンティティ・クライシスとは

自己喪失。若者に多くみられる自己同一性の喪失。「自分は何なのか」「自分にはこの社会で生きていく能力があるのか」という疑問にぶつかり、心理的な危機状況に陥ること。
---コトバンクより


私はずっと迷子だった。
これからの人生に希望が見出せず、自己否定を繰り返して、慢性的な抑うつ状態だった。
死んでしまいたい時もあった。

それでもADHDの診断を受けたのを切り口に、希望が見えてきた。
自分らしく、生きていいんだな、と。

本やネットには特性を持っている人へ、優しく手を差し伸べてくれる人や情報がいっぱいあったのだ。
そして仲間がたくさんいた。


一応私は看護師という国家資格を持っているので、医学の勉強も少しかじっている。
人が成長していくにあたって、課題に直面していく過程について思い出した。
そこでよく耳にした「アイデンティティ」「自己同一性」
小難しい説明ばかりだったから、あまり意味を深く認識したり、考えたことはなかった。

しかし、最近この言葉に触れて、改めて考えた時に、
ああ、私にはこのアイデンティティが無かった。私が確立したかったものこそが、これだ。
と感じた。


このアイデンティティという言葉の意味は、日本語に訳すと自己同一性。
また、『自分は何者か』『自分の目指す道は何か』『自分の人生の目的は何か』『自分の存在意義は何か』というのを肯定的に捉えるだけにとどまらない。

この言葉の中には、「すべての人が、自分らしく、目標をもって生きていっていいんだよ」ということを発しているように思ったのだ。

そして、このアイデンティティの確立こそが人の発達過程の「青年期」における課題なのだ。

わたしは自身にADHDの特性があるのは、ある意味強みだと考えられるようになった。看護師の資格を持っているから、同じように看護師として働きながら苦しみを感じている人の味方になってあげられるかもしれない。それに、こんな境遇の人はもしかしたら割とレアなのでは…?
そこに自分にしかない、自分にできそうなオリジナリティ「独自性」を見いだしたのだ。

結婚して、子供ができたのも大きい。
目標や役割ができると、人はこんなにも頑張ることができる。成長できる。


人は成人した後は「老けて」「老いて」いくと捉えられがちだが、人は死ぬまで成長していくのだ。

自分の経験値を統合して、役割をそのライフステージごとに獲得していく。

エリクソンの漸成説モデル

引用:リクルートワークス研究所 > 第7章【未来提言】ポスト・アイデンティティ時代の生き方・働き方 より


もしかしたら、私の心は青年期の20歳前後で道に迷ったまま、止まってしまっていたのかもしれない。


若い頃はアイデンティティが確立していないのは当たり前のことであるように思う。
まだ自分には何も無い、と感じるのも事実であり、当たり前のこと。
そう感じている時期はだいたい経験値を積んでいる過程。経験は財産だまさしく宝。その人を形成していくもの。

学生というのは学ぶ身であると同時に、扶養されている身である。その生活は保障されているが、いずれは自分自身の力で自立した生活をしつつ何かの役割を持ち、それを遂行していくべきであるのに段々と気付いていくはずなのだ。


私はいつも生きていくのが息苦しかった。生きていることに前向きになれなかった。視界が曇っていたのだと思う
自立した生活をしたところで。どうせ辛い日々だ。投げやりになっていた。仕事もしたくない。全部投げ出したい。
強いて言うならば、死んでしまったら母親をはじめ、家族が悲しんでしまうことだけが心残りか。そんな感じだった。

しかし、こういった苦しかった過去こそが財産なのだ。
全部自分の経験値になって、自分を作っている。そこに、ほかの人にはない経験をできた「独自性」がある。
私は更に看護師という資格を取ることができたため、この成功体験は私のアイデンティティを更に確固たるものとしてくれただろう。

今、一歩ずつ進みながらライフステージを駆け上がっている真っ最中だ。これから、子供が成長していくにつれ、自分も母親として成長していくのだろう。

また壁にぶち当たったとしても、この苦しかった過去などの経験を活かしながら、乗り越えていきたい。

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