期待せず諦めた先にある日々や未来とは
何もかも期待せずに、夢や希望さえも諦めた先になど何も無いと思っていた。
ただ「死」という漠然としたものだけではないかと考えていたところもある。
走り続けて、もがき続けて、苦しみ続けて
それでも戦えば何かあると信じていた日々は、特に輝しくも変化を与えるものでもない。
文字通りの「しんどさ」しかなかった。
周りだけが幸せになっていく。周りだけが大人になっていく。周りだけが欲しいものを手に入れていく。
そんな毎日抗いたい、自分も手に入れたいとしていたのは、本当に無駄だったと思う。
たまたま僕は手にできなかったということを受け入れて、冷静に世界を見つめていたら違った世界があったかもしれない。
戦ったからこそ”期待しない、諦める”という選択肢の方が正しいことに気がつく。
それはよかったかもしれないけど、同時にたくさんのものを失ったことを再認識させられる。
幸せを手にできない人は、手にできないなりの幸せを見つけることができるし
それが例え悲しいものであったとしても、淡々と生きていくことの素晴らしいを見つけることができる。
もちろん、人間としての幸せではないかもしれない。目線を逸らせば、なぜ自分だけ苦しく、なぜ自分だけ幸せになれないのかということに直面しなければならなくなる。
けれど、手に居られない人は存在する。
自分の責任ではないのに背負わなくてはならない人もいる。
周りと同じようになりたいのになれない人もいる。年齢を重ねれば重なるほど、追い込まれていくこともある。
そんな日々や毎日だったとしても
案外、世界や社会は続いていく。自分自身も続いていく。
できる範囲を受け入れていくことが「自信」にも繋がっていくと思う。
一生満たされることも幸せになれることもないかもしれない。でも、それが自信や強さに変わっていくのである。
あまりにもふざけているし、必死に戦ってきた人に対する冒涜だと思うけれど
社会も世界も幸せな人だけのものである。恵まれた人が好きなものを手にして、そうではない人が妥協の妥協をして受け入れるのが社会で世界なのである。
人生が終わりなら、終わりなり真っ当しなくてはならない。それは、自分の人生を見届ける必要がある。せめて、自分の人生は自分で見届けて、色々なことを覚えておかなくてならない。
次は失敗しないように、次も同じような人たちが幸せを独占しないように。
地位もお金も愛も人も
無理をしない範囲で望んだようなものを手に入れることができる世界に行けるように。
命が潰えるまで燃さなくてはならない。
期待せず諦めても毎日を生きることはできる。
時に、身の丈に合ったと馬鹿にされ、蔑んだ目で見られることもあるだろう。
でも期待せずに諦めれば、それも聞き流すことができるようになる。
寂しさに押しつぶされて壊れそうになっても、中身のない笑顔で乗り切ることができる。
そうすると、少しだけ世界を憐れんで見ることができるようになっていく。思ったほど世界は、幸せでないということを。
本当に恵まれた人は少ないということを。ただ取り繕うことが上手な手品師しかいないことに気がついていくだろう。
僕自身、無駄なことをたくさんしてきた。
これからどうしたらいいかわからない。
一人も怖い、幸せになれないのも怖い、当たり前から外れたのも怖い。
救われないのはとても怖い。自分のせいじゃないのに、何故なのだろうと涙も止まらない。
けれど、期待せずに諦めながら生きて進まなくてはならない。
自分が自分であるために、最後は自分の人生を勝ち取っていくために。
泣いても泣いても泣いてもいい。
苦しいよね。怖いよね。
でもきっと変わることができる。
期待せずに諦めれば
期待せずに諦めればの本当の意味は
自分を大切にしながら生きるということの一歩になるから。
夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。