祈るより大切なことは感謝すること。 想像してほしい。 あなたに、いつも何かとお願いしてくる人。その人のお願いを聞いてもありがとうの一言もない。 逆に特に何もお願い事もないけど、いつも感謝の気持ちを持っている人。 あなたが願いを聞いてあげるとしたらどちらの人を選びますか? もちろん誰しもが後者を選ぶと思う。 そして、いつも自分の事ばかりを願う人と自分以外の事を願う人がいたらどちらの願いを聞いてあげますか? やはり、この場合も後者を選ぶと思う。 神様のご利益とはこ
あらゆる生物の寿命はDNAに刻まれてる。それによると人間の寿命は38年。自然に任せていると僕なんて、もうとっくに死んでいる。 そして、日本人の平均寿命は84歳。男女別で考えると男性が81歳、女性が87歳。 みんな見落としているかもしれないが平均寿命は、あくまでも平均であって、みんながみんな、その年齢までは生きますよって事じゃないって事。 調べると60歳で亡くなる人の確率は1000分の40だそうな。わかりやすく言うと25人の中1人、1000人いたらこの中の40名は死ぬって
マザーテレサの言葉に 「思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。」 「言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。」 「行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。」 「習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。」 「性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。」 という名言がある。 もう何回も目にした事があり、大体の人は一度は目にしたことはあるだろう。 なんの事かと素通りしてきた言葉だったが、やっと最近になって理解できた。 人間に
人と会話するたびに少しづつ感じてた違和感の正体を最近になって色々と理解できてきた。 子供の頃は、大人しいキャラで目立つ事が大嫌いな勉強も運動も何にもできない陰キャだった。 中学生になる頃は、陰キャに更に磨きがかかり、アニメばかり見てたアニメオタクだった。 でも、高校生の頃は、肩で風をきって歩く格好だけは一丁前なイキッたヤンキーで通した。いわゆる、高校生デビューってやつで一気にキャラ変。 社会人に成りたての頃は、外見番長のチャラ男。そして、ザ昭和価値観と業界常識の価値観
みんな、とっくに気がついているかも知れないが、どうやら、この世は自分1人の世界っぽい。 どういうことかと言うと、自分の物語の主人公は、もちろん自分であり、それぞれ、みんな自分の物語の中で主人公として生きている。 当たり前の事で、いまさら何を、と思うだろうけど、意識できている人って多くない気がしている。 例えて言うと、自分が主人公の小説がある。あなただけの小説で世界で、たった一つのみ存在し、他の人は読むことができない。読むことができないと言うより、読んだところで理解できな
特に誰にも大した影響力もなければ何者でもない自分が言うのも何なんだが、今さら他者からの誹謗や中傷がきても何ともない気がする。 若い頃は当然、誹謗中傷なんて聞いてしまった日には酷く傷ついて、夜もまともに寝る事も出来なかっただろう。 でも今は平気だと思う。 それは何故かって思ったら、僕の好きな、ひろゆきの言葉で「それってあなたの感想ですよね?」ってあの名言を聞いた時にコトンと落ちた。 いや〜過去には散々言われ続けてきました。「昼行灯」だの「鈍臭い」だの。 将来の夢を言え
承認欲求なんて意味ない。 だって中身も何にも知らん奴が好き勝手に評価してるだけの事。自分が尊敬する人だったり好きな人に認めてもらえたら、それは嬉しいだろうけど、自分のことをよく知らない人に自分の努力や行動以外の関係ないところを誉められても嬉しいのかな?と思ってしまう。 中身を鍛えて中身を入れれば入れるほど、身に染みる。外見ばかり見て人を評価する人がいかに多いかも中身を鍛える事で知る事ができる。 本当に実力があり芯があり、人を見た目だけで判断しない真の人のみに評価されれば
あくまでも個人の主観でありますが、前々からこの「自己肯定感を高める」とか「自信を持て」という風潮に違和感を覚えておりました。 なかなかパンチの効いた母親に色々と「それ、子供に言っちゃ駄目なヤツ〜」を散々言われて育ちましたので、自己肯定感なんぞあるはずも無く過ごしてきた結果、まあ無くてよかったかな、と思っております。 「あんたは生まれた時、爺ちゃん婆ちゃんからお腹に返してくれ」って言われたんだよとか、「生まれつき鈍い」とか、それ、本当に子供に言っちゃダメなやつ笑。 そもそ
自慢したい訳じゃないけど、「あなたは幸せですか?」と聞かれたら100%「はい 幸せです」と答えます。 べつに特に自慢できるものは何も持ってないです。お金も持ってないし、生まれもった特別な才能がある訳でもないし、地位や名誉も何も持ってないです。 さらにいえば、何かを成し遂げたみたいな実績もないです。 側から見たらもうすぐ50歳のただのサラリーマンのオッサンです。 小さい頃は母親に毎日毎日「鈍臭い鈍臭い」と叱られ「あなたは生まれつき他人より能力が低いのだから他人の3倍努力
人には、それぞれ与えられた時間がある。 多くの時間を与えられている人もいるし少ない時間しか与えられていない人もいる。 これを寿命というが、この与られた時間は変更が効かない。 そして今更いうまでも無いが有限。みんな頭の中では理解していると思うけど、きちんと自覚している人って少ないと思う。 そして有限というのは終わりがあるということ。どんなに偉い人でも、どんなにお金を持っていようとも産まれた命はいつか終わる。 与えられた時間が、どのくらいあるかはわからないが、時間の消費
僕が勝手に名付けたものですが、みんな、特に日本人は、この信仰を信じて疑わないですよね。 人はみな、結婚し子供を産み育てて、それこそが1番の幸せであり、この世に生を受けた意味だと言う。 人の命には限りがあり、世の中を循環させていく為に、命を繋げていく事は重要な事である事はごもっとも。それは充分に理解しております。 しかし、世の中の人全員が、その役割を与えられている訳ではない事も確かな事。 前回の記事にも書きましたが、この世の中、最大限に努力しても叶わない事なんてありふれて
運にも2種類があり、その名も宿命と運命。 文字通り命に宿っているものが「宿命」で運んでくる命が「運命」。どうしても変えられないし自分の力じゃどうしようもないのが「宿命」。 一方、自分の力と行動の選択によって流れを変える事ができるのが「運命」。 どちらも同じ様に感じるけど明らかに違うもの。しかし、みんな、どうしても「宿命」と「運命」を混同しがちだと思うのです。 宿った命の宿命はどうしようもなく、生まれた瞬間に決まっているし、宿命がベースとなって人生がある程度決まってしま
神社に勤めてから30年近くの時間を過ごしてきたけれど、実は最近まで他の宗教に関することを誤解して過ごしてきた。 神社の歴史は長く古いが、現在の神社神道は歴史は浅く明治政府が作った国家神道を基に造られたものを継承し現在の形になり、戦後から今の形態となった。 元々は違ったはずだが、現在の神社神道では他の宗教には排他的であり、他の思想を学ぶことを避けて教育を行っている。 その為、色々と他宗教に対する誤解を持って過ごす神職が多く、僕もその一人であった。 元々は神職の出ではなく
はじめまして。ひょんな事がきっかけで神社に勤める事になり30年のサラリーマン神主です。趣味で始めた和太鼓にハマり和の世界を広めようと色々と活動してます。 自分の意思とは関係せず神主になったもの、なかなか神主としてのアイデンティティーを確立できずにいましたが、やっと最近になって朧げながらも見えてきた気がしてます。 もともとはスピリチュアル的なものは否定派の人間だったのですが、「マトリックスに繋がれた状態から解散された」と言うべきか、「鋼の錬金術師の真理の扉を開いた」と言うべ