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承認欲求の無意味さ

承認欲求なんて意味ない。

だって中身も何にも知らん奴が好き勝手に評価してるだけの事。自分が尊敬する人だったり好きな人に認めてもらえたら、それは嬉しいだろうけど、自分のことをよく知らない人に自分の努力や行動以外の関係ないところを誉められても嬉しいのかな?と思ってしまう。

中身を鍛えて中身を入れれば入れるほど、身に染みる。外見ばかり見て人を評価する人がいかに多いかも中身を鍛える事で知る事ができる。

本当に実力があり芯があり、人を見た目だけで判断しない真の人のみに評価されればそれで良い。

全然、自分の努力とか行動以外のことを自慢する人もいるけど、それって自慢になるの?と思う。

自分以外の人が作ってきた人脈や財産といった環境に甘え、自分は偉いと勘違いしている人たち。

『人はどんな立場を得ているかではなく、どんな立ち振る舞いをするかで人間の質がわかる』

人の外側にしか人間の価値は表れないと思っている人は、そもそも自分自身が愚かで未熟な者ということに気づいていない。

人を判断するのに学歴や容姿、地位など外側のみの肩書きは何の役にも立たない。

自分の努力の先に社長になりました、とか議員に選ばれましたとかであれば、自慢できるけど、ただそこに生まれただけとか、自分の努力以外のことを認められても嬉しいのか疑問だ。

お金、持ち物、容姿から何から何まで初期装備でもらったものは、なんの自慢にもならないと思う。それらを自慢するのは、僕の尊敬する乙武さんに向かって「俺は手も足も生えてるんだぜ!凄いだろ!」って言ってるのと同じ。

容姿で言えば、この歳になれば、ある程度、努力していないと醜くなるし、性格とかも外見に表れてくるから、誉められたら嬉しいかもしれないけど、最初から備わった初期装備を自慢されても何だかな〜でしょう?

人って、表面に映るものが全てじゃない。肩書きが立派でも中身が大した事なかったり、優しそうに見える外見でも優しくなかったり、逆に怖そうな印象の人が優しかったり。見た目ってそんなに重要じゃないのに人は外見の印象だけで人を判断しがち。

僕は漫画「北斗の拳」が大好きだ。いつも残念な人に会うと北斗の拳に出てくる沢山の雑魚キャラを想う。

実力がないのにケンシロウに挑み、あっさり殺されてしまう雑魚キャラたち。よくよく考えると実力がないからケンシロウの凄さがわからずに挑んでしまう。

一方、自分を鍛えて実力が備わっているキャラはあっさりとはいかない。下手したらケンシロウ以上の強さを誇るキャラもいる。

要するに雑魚キャラは、特に努力も何もしていないくせに自分が実力者と勘違いしていて、努力が必要ないと思い鍛えもしないから、成長もしないで雑魚のまま終えることになってしまう。

残念な人で終わりたくないので、努力をして今は雑魚キャラと大して変わりないかもしれないけど、努力を続けていきたいと強く思う。

どんなものでも、経験を積まない限り見えてこないものっていうのはある。

長年、和太鼓の世界を極めようと努力してきた。まだまだ実力不足を感じているが、これも実力がついてきたら、ついてきたで見える世界が広がり、頂点が遠のいていってしまう。

和太鼓の世界だけでなく、全ての物事っていうのは、きっと、こういうものなんだろうと思う。

一生をかけて色々と学んでいきたい。楽しみながら、ゆるやかに。


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