宿命と運命
運にも2種類があり、その名も宿命と運命。
文字通り命に宿っているものが「宿命」で運んでくる命が「運命」。どうしても変えられないし自分の力じゃどうしようもないのが「宿命」。
一方、自分の力と行動の選択によって流れを変える事ができるのが「運命」。
どちらも同じ様に感じるけど明らかに違うもの。しかし、みんな、どうしても「宿命」と「運命」を混同しがちだと思うのです。
宿った命の宿命はどうしようもなく、生まれた瞬間に決まっているし、宿命がベースとなって人生がある程度決まってしまう事は確かな事だ。
俗に言う人間は生まれながらにして平等であると言うのは誤りだと思う。
生まれつき運動音痴の人間がどんなに努力したところでプロ野球選手にはなれない。体格に恵まれなければ力士にもなれない。
お金持ちの家に産まれたら、お金持ちだろうし(必ずしもそうとは限らないが)、身分制度がある国で生まれ身分の低い人は大統領にはなれない。
女に生まれてしまったが男で生まれたかったとか、その逆もあるだろうし、ハンサムに生まれたかった美人で生まれたかったとか。
それこそ、この時代じゃなくもっと後に生まれたら、また違った人生を歩んでいただろうし、時代を動かしてきた歴史上の偉人たちも、その時代に生まれていなければ、平凡な人生を歩んでいたかもしれない。
やはり人の運っていうのは生まれた瞬間に、ある程度決まっているんだと思う。
以上のことからも、たくさん努力して思うような結果が得られないと言うのは仕方のないことだと思う。もし、あなたが誰よりも努力しても叶えられない事があれば、それは、あなたの人生のシナリオには用意されていなかった事と、いうふうに考えるしかない。
自分の努力次第で、どんな事でも叶えられるという事は残念ながらない。努力は努力であって結果はまた別の話。努力はコントロールできるが、結果はコントロールできない。
しかし努力が無駄になる事はない。その努力が経験となり、今後、選択すべき事が増えていき、その時点では思いもよらなかったシナリオが運ばれてくる。
人にはそれぞれ最初に用意されたレールが存在するのかもしれない。しかし、それは一本のみのレールでは無く、よーく目をこらして探してみると沢山の分岐点が存在し、どこのレールを走るかは自由に選択する事ができる。
その存在に気づき選択を続ける事で最初は一本だと思い込んでいたレールは無数に枝分かれし無限の可能性に繋がる。
そして、もう一つ大事な事は猛スピードで走り続けるだけでは駄目だと思う。見逃してしまいがちな分岐点を見逃さない様にゆっくり走ってみたり、時には恐れずに立ち止まる事も必要。
1番やってはいけないのは、何の選択もしない事。何もしなければ何の運も運ばれず、最初に何となく用意されたレールを走り、最初から決まった宿命に従った人生を送る事になってしまう。
私は、こうだからとか、俺は、こんなだから、もう歳だから、などなど色んな思い込みを捨ててよーく目をこらして見てください。
今まで見えてこなかった、見つけられてこなかっただけで、実は、色んな分岐点が存在していて宿命は変えられないが運命は行動次第で運んでくれて未来の為に良い流れを生み出してくれるものであると思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?