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魂の成長はそれぞれに。私の選択、親の選択
スピリチュアル系の本を読んでいると、私たちは自分で親を選んで生まれてきたという考え方がよく書かれていて、どのように受け止めらたいいかわからずにいました。
私はクリスチャンですが、この件についてはたとえキリスト教的に「神さまのご計画だから」と言われても、やはりどう受け止めたらいいか戸惑います。自分の中で、どうやって消化したらいいものかと、ずっと考えていました。
それが、つい最近、ブライアン・L・ワイス著『未来世療法 運命は変えられる』の一節に出合って救われました。
その箇所を引用させていただきますね。
私たちの魂は自分の両親を選びます。癒しへの道を進むために、学びのプロセスを続けようとつき動かされているからです。同じ理由で、今生、何をするかも、私たちは選択します。私たちは虐待する親を選ぶことはありません。誰も虐待されたくはないからです。それでも、虐待するようになる親がいます。これは彼らの自由意志です。そして後の転生か、またはたぶんこの人生で、彼らは思いやりを学び、その行動をやめるのです。
ベースには、
・生まれる前に魂は、両親や環境、学びたいテーマといったこの人生の初期設定を自分で選んで誕生してくる。
・でも、生まれたあとはそれを忘れ、自由意志によってさまざまなことを選択しながらこの人生を体験していく。必ずしも計画どおりにはならないし、学びたいと思っていたテーマをうまくクリアできるとは限らないけれど、それでもいい。次の人生(来世)でまた取り組めばいいから。
・それぞれがそうやって自分の人生を生きていき、お互いに関わり合う中で磨かれ、影響し合い、魂を成長させていく。地上の人生はそのためのもの。
という思想があります。
その上で、「私たちは虐待する親を選ぶことはありません。誰も虐待されたくはないからです。それでも、虐待するようになる親がいます。これは彼らの自由意志です」という一節が出てきます。
これには救われました。
私の場合、幼少期からの親との関係は、私にとって望ましいものではありませんでした。その環境を自分で選んで生まれてきたとは到底思えなくて戸惑っていたけれど、そもそもそんなふうに思わなくてもいいんだと明言してもらえたようで、長年の胸のつかえが流れ去った気分です。
親は親でそれぞれに今生の人生を自由意志で生きていて、自身の学びや成長のためにいろいろな選択をしているということ。私の親は、子育ての局面においては自分の学びをうまくクリアすることができず、負の感情を選んでしまったのかもしれません。
いずれにしても、私に対してどんな態度を取るかはその都度、彼らが自由意志で選択していたこと。仮に良い選択ができなかったのだとしてもそれは親の人生(魂)の問題であって、私の問題ではないのです。
その当時、外部からの助けが得られなかったのはとても残念ではあるのですが、私の場合はともかく生きのびることはできたので、こう考えることにしました。
「予定外につらい幼少期になっちゃって、痛い傷跡や重い荷物を抱えてしまった気がするけれど、ここからどんな選択をして生きていくかは私の自由」
親の選択と、私の選択は違っていい。
それもまた学びであり、魂の成長の軌跡なのでしょうから。
とはいえ、そう思ったところで傷が癒やされるわけではないので、自分自身を癒やす作業はゆっくり、大事にやっていこうと思います。
◇見出しのイラストは、みんなのフォトギャラリーから
chona_illustさんの作品を使わせていただきました。
ありがとうございます。
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