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履歴書

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自分史です。後に年老いた私もしくは遺族が読みます。ヘッダーは清世さん作です。 下から上に時系列になるよう記事を追加してるつもりですが書いた順番はごちゃごちゃなのでうまくまとまって…
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記事一覧

女子大生と数学教師


あやちゃんとゆみこちゃん中受では第一志望に落ちたが、大学附属の学校しか受けていなかったので、どこに入っていてももう受験はしないで済む、という予定だった。
でも結局私は中受から始まり、高校も受験をし、大学も(一応)受験することになったので何の意味もなかったのだが。

まるもと同じ塾に入ると決め、私は中受の時に通っていた個別指導の塾の別校舎(通学路内)入った。

この時にはもう人見知りとかもなく、分

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学外のこと



テニスのそれから以前小学生編でテニスを習い始めたと書いた。
中学生に上がってからも、部活をしながらテニスは続けていた。

二年生の終わりだったか三年生になった時だったかは忘れたが、スクールに新たな同級生(男女の双子)が入ってきて、私は両方の子と仲良くなった。
二人は同じ市に住んでいるようだったけど、わざわざ車で30分ほどかけこのスクールに通っていた。
誰かの紹介だか、日曜日に入れるクラスのスク

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担任と男子

私のクラスは女子もうるさかったけれど、担任は熱血だったし、男子もうるさかったのである。

C組の男子
私が中学生活3年間を共に過ごした男子たちは本当に威勢が良く、これをきっと「動物園状態」って言うんだろうな、と。

女子のことを言えないほど他のどのクラスよりもうるさいし、落ち着きもなかった。

男子は休み時間や授業中にふざけることも多く、結果各教科の先生たちからもよく怒られたクラスだったと思う。

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笑い

バレンタイン二年生の時のバレンタインは、まるもとまるもの家で一緒にチョコ作りをした。
何を作ったかは何一つ覚えていない。
ただ、スティッチのバレンタイン用の箱とマグネットシールをまるもとおそろいで買って、その箱にチョコを入れて渡したことは覚えている。

メールアドレスすら交換してもらえない状態でよくチョコを渡せたなと今では思う。
私がYにチョコを渡したのは帰りの電車を待つホームだった(と思う)が、

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羨ましくて

まるもが好きな人を追いかけてる姿を私はいいなあと思っていた。

放課後部活を休む日は、授業が終わりすぐにまるもの教室に行きKの帰宅に合わせ、同じバスに乗れるようしれっと時間を調整していた。

Kは、堀深く整った顔をした青年だった。運動部であったらもっとモテモテになっていたと思うが、独特な世界観を持ち女子からはあまり絡まれていない印象であった。
いつも同じようなメンバーで帰宅をしていたので、バスの中

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転換

どんよりと終わっていった一年生だが、二年生になり私は自分の身を置く環境を大きく変えた。

約一年部活に熱を注いでいたが、徐々に部活から離れ私の見る世界は卒業後の「未来」になった。

先輩と後輩と部長二年生になり変わったことはいくつかある。
まず、クラスのメンバーが数名入れ替わり(成績順なため)相棒が同じクラスになった。

部活では後輩ができ、先輩の引退を見届け自分たちの代が部を引っ張っていくことに

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バレンタイン、憧れの先輩にチョコをあげた次の日「もう一個ちょうだい」って言われた話

私が通っていた中学校は男女共学で、所属していたバドミントン部も男子女子それぞれがある部活だった。

小学生の時は、あまり年齢を気にすることもなく縦割りで仲良しだったが、中学生になると年齢が一つ違うだけで年上を「先輩」と呼ぶようになり、社会的地位が強調され始める。

私の部活には、一つ上の学年に一際かっこいい先輩(私がかっこいいと思っていただけかも)がいた。

フォームも綺麗で、練習も熱心。
運動神

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時のかけら



唯一前回、一年生の時はほとんど男子と話すことがなかったと言ったが、一人だけメールを続けていた男子がいた。
当時はまだガラケーで、私はシンプルなシルバーの折りたたみ携帯を使用していた。

その男子とは何かのタイミングでアドレスを交換し、本当に時々大したことではない会話を送り合っていただけであった。

この時、女子に一人マドンナみたいな女の子がいて、その子は男女の溝がありながらもなんとか仲良くしよ

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ビリケン


身体測定バドミントンのセンスがあったというだけでなく、もう一つ私に運動の自信をくれた出来事があった。
それは体育の時間に行った身体測定。

学年の人数が少ないため、体育は3クラス合同で行われた。
私のクラスにはいなかったのだけど、他のクラスには女子ソフトボール部の子たちが多くいて、運動神経のいい子=ソフト部(全国大会常連)という認識が皆の中ではあった。

それと、私たちのクラスは成績が良いという

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ユーリ



オリエンテーション
一年生の時は、入学早々オリエンテーションという謎な合宿があり、まだ仲良くなり切れていないクラスの子たちといきなり他県にて宿泊勉強会が始まった。

毎朝早く起きてみんなでラジオ体操、日中は...何していたのだろう。その学校の歴史やらなんやらそんな感じのことを学び、夕方少し庭で運動みたいな感じだったと思う。

オリエンテーションが私にどんな影響を与えたかは申し訳ないが記憶にない

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中学校生活のはじまり

そんなこんなで(過去記事参照)私は第一志望ではない中学校に入学した。
入学式は両親と行き、癖毛が爆発しないよう初めて髪の毛にスタイリング剤をつけたのだが、量が分からずベタベタになってしまったことは覚えている。

大学まで受験をせず行けるかという基準でしか選んでいなかったので、入学してもなおこの学校については知らないことが多かった。
というより第一志望に行けると謎な自信があったためそれ以外の学校につ

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いづみせんせい

通っていた小学校と通りを挟んだ向いに、私が通うはずだった同市の中学校があった。

私は受験を始めるには遅すぎる頃になり、唐突にそこには行きたくない、私立に行きたい、と親に進言。
行きたいところに行けと受験は許可され、集団は向いていないだろうから個別指導の塾にしようかとなり、大学生のアルバイターが勉強を教えてくれる塾に入ることになった。

私は、人見知りで済ましていいのか分からないほどぶっきらぼうで

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センブリ

6年生の時、クラスの女子内でいざこざが多発していた。
結果何度も放課後家庭科室で担任の先生とクラスの女子で話し合いが行われた。

少し複雑で、集団で一人を仲間はずれにしているという分かりやすい形ではなかった。
とある女子二人の問題がこじれにこじれ、クラスの女子全員を巻き込んでいるに近かった。

その二人の女子は、クラスの中で家が近いもの同士だった。
通学の地区が同じ方面ということもあり、昔から家族

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仲良しだった子

小学生の時、ほぼ6年間毎日一緒に登下校をしていた子がいた。

保育園の時の仲良し三人組は、それぞれ別の小学校に進み解散した。
小学校は、その保育園から進む子が1番多い学校に入れようと親がわざわざ隣の市にアパートを一部屋借りて住民票を移した。

一年生の時から、親同士の仲が良かった同じ保育園で同じ組だった子と一緒に登下校をしていた。
集団登校ではなかったため親同士が心配して締結したのではないだろうか

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