ヨルシカと読んだ『アルジャーノンに花束を』
こんにちは。桜小路いをりです。
先日、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』を読み終えました。
長年愛され続けている、不朽の名作としても名高い本作。
今まで、なかなか読む一歩を踏み出せなかったのですが、このたび、ようやく読了することができました。
そのきっかけのひとつが、ヨルシカの「アルジャーノン」という楽曲です。
実は、あらすじや結末はもともと知っていたのですが、きちんと読むのは、これが初めてでした。
『アルジャーノンに花束を』は、幼児ほどの知能しかもっていないチャーリーという男性のお話です。
チャーリーは、とある研究機関に協力して、知能を上げるための脳の手術を受けることを決意。
この物語は、チャーリーが綴る「経過報告書」の形式で展開していき、彼が書く文章から、彼の知能の高さの変化を感じられるようになっています。
手術前は、ひらがなばかりの文章で、句読点の使い方もままならなかったチャーリー。しかし、手術後、見る見る間に頭が良くなり、どんどん難しい言葉を使って「経過報告書」を書くようになります。(もとは英語の物語なので、「訳者の方はすごいな……」と思いながら読んでいました。)
そして、チャーリーが手術を受ける前に、実験的に手術を受けていたのが、ネズミの「アルジャーノン」です。
アルジャーノンは、手術を受ける前のチャーリーと迷路で競争をするたびに勝ってしまうほど、賢いネズミとして描かれています。
この物語は、明るい話では決してなく、むしろ重厚で、苦しい描写もたくさんあります。
手術で知能を高める、というSF的な設定もありますが、この物語では特に、「知的障害」を非常に鋭く描いています。
私は、序盤のひらがなばかりで綴られた文章を読み進めるごとに、心が締め付けられるような痛みを感じていました。
正直、「文章」としては、めちゃくちゃ読みにくいです。でも、ゆっくりと言葉の隅々まで紐解いていくと、チャーリーがもつ純粋さと一生懸命さが、ひしひしと伝わってきました。
そして、手術によって知能が上がったチャーリーの文章と対比してみると、「知能を得ることで失った何か」が、朧げに浮かび上がってきます。
チャーリーは、「知ること」によって、周囲の人が自分をバカにしていたことに気づきました。
そして、「学ぶこと」を知ったチャーリーは、たくさんの言語を習得し、知識を吸収し、「自分を変えてくれた神様のような存在」とすら思っていた大学の博士の知識量すら、超えてしまいます。
そして、どんどん周囲の人を下に見るようになってしまいます。
どんどん変わっていくチャーリー。
その変化が、チャーリーの綴る言葉によって実に生々しく表現されていて、嫌悪感に眉をひそめることも、苦しさにぎゅっと目をつぶることもありました。
私は、そんなふうに挫折しそうになるたびに、ヨルシカの「アルジャーノン」に助けられたように思います。
suisさんの優しい歌声に、n-bunaさんの繊細な曲に、温かな歌詞に、「あなたなら大丈夫、ちゃんと見て」と、声をかけてもらったような気がします。
視線を上げた先には『アルジャーノンに花束を』があって、そこには、相変わらず目を背けたくなるようなつらい現実があって。
でも、そのもっと向こうに、確かに見えた気がするんです。
「ゆっくりと変わっていく」先にある何かが、陽だまりのような温かさを帯びて、淡く光るような感じが。
「アルジャーノン」の歌詞では、「変わっていく」ことを「少しずつ膨らむパン」や「あの木の真ん中に育っていく木陰」などと表しています。
「パン」は、チャーリーがパン屋さんで働いているからこその比喩かもしれませんが、「木陰」も「パン」も、誰かの生活や、他愛ない時間に寄り添うものだと思います。
物語の中で、チャーリーが変わっていく先に、失望や絶望があったことは事実です。
そして、アルジャーノンが変わっていく先にも、取り返しのつかない暗闇がありました。
でも、「変わっていく」ことは、必ずしも負の方向に向かうことではありません。
「パン」が膨らんだ先には、きっと素敵な食卓と、温かな食事の時間があるし、「木陰」が育った先には、ほっとひと息吐ける優しい空間があります。
「アルジャーノン」という楽曲には、切なさも苦しさも確かに内包されているけれど、それ以上に、温かくて優しい何かも、私は感じました。
『アルジャーノンに花束を』を端的に表してしまえば、それは「悲しいお話」になるかもしれません。
でも、私は、この物語を涙で消費するだけで終わりたくない、と思います。
そして、この物語にもらった感情を、想いを、「あの木の真ん中に育っていく木陰」のように、大切に育てていきたい。
そう思ったことを、忘れないように、ここに書き留めておきます。
今、ふと、ヨルシカの「アルジャーノン」の中で、「知性」は「木」に喩えられているんじゃないかなと感じました。
知性が育つことで、必ずどこかに「陰」が生まれる。そんなことを表しているようにも思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
ちなみに私は、「せっかくだから……!」と図書館で「愛蔵版」を借りて読みました。
よろしければ、こちらもぜひ。
赤い表紙が素敵。読むモチベーションを上げてくれたので、とてもおすすめです。(たぶん、訳は流通している文庫版とほぼ変わらないと思います。)
まだ読んだことのない方も、読んだことがある方も、ぜひヨルシカの「アルジャーノン」と共に、『アルジャーノンに花束を』を味わって、紐解いてみてください。