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過去・未来の空間

 書き出してみるとルドルフ・シュタイナーが提唱していたアーリマンとルシフェルのようだ。かといって彼が云うように彼の考えは西洋に根差したもので、東洋にそのままあてはまるとは言い難い。



時の空間

2/21 21:00
 過去に囚われる者は未来を描けず、今が過去の産物として過去に引きずられる。未来や願望のみ希求する者は地に足がついていない。なんにせよただ彼らは目の前に浮かんだ情景のみに想いを馳せているだけで、今というこの時間はどちらも内在していることが視えていないだけだ。

 過去とは去りし日々の積み重ね、いま現在という時間を積み重ねた結果であり、ジェンガのようなものだ。過去に囚われる者はジェンガの上からジェンガを見下ろしている状態で、負の念にかられる者は自らが自らの意志によって存続し、他者や世界によって支えられていることを忘れており、足元を構成しているジェンガが他者や社会により抜かれることを恐れる。抜かれることを意識すればするほど念は強化され、自らの念によって衰退の一途を辿る。

 未来とは、未だ来ぬもので未知であり、創造されるものだ。読本であれ旅であれ会話であれ、自己と外界ないし他者によって共創されゆくもので、不確かなものだ。外界や他者はそれぞれ独立した意志を持ち、それらと干渉することで自己と融和する。意志や意識、意図といった「意」ある限り、見慣れたモノでさえそのなかに新たな未知が創造される。古本や古民家、伝統や祖先といった、今の私を産み育てたものやその社会と縁を結ぶことにより地に足ついた未来形成が可能となる。ただ過去や今なく理想や未来だけを希求することは誤りで、自らがプレイヤーとしての意志の力を忘れており、ジェンガの足元を見ることも築き上げていくことも忘れて危険な足元のまま、星を追いかけている。

 今目の前にあるこのパソコンや文字といった物はすべて過去に誰かが創造した物であり、生物ではなく死物だ。言い換えれば過去からの贈り物であり、贈り物であることを認知しないほどに人生が空虚なものとなる。死物は過去においては生物であり、今においては死物であり、死物のなかに意を以て視ることにより死物のなかに生物といった未知の創造をする。

雑記

過去にせよ未来にせよ、視覚や嗅覚といった各感覚器と同じく遠いものほど淡く霧散し、近いものほど濃く密集している。

創造は神性、時空は霊性、縁は魂性、欲求は野性に属する。個人差はあれ、それらを人は包有している。和の国の精神においてそれらに優劣の差はなく、真実は共存共栄一点だ。

キリスト教における「父なる神」は言葉どおりの意味で、親子関係における実の父に対して当てはまる。自らが生まれる前から存在し、崇敬の念を懐く対象だが親も人の子であり、自らが成長するとともに老いてゆく。その死に向かい老いゆく親に対して無碍なふるまいをすることにより、自らの父性をも傷つける。


参考になるもの
小西茂也訳アラン著. 昭和十七年.情念について. 白水社

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