転勤してきてよかったこと4選~名古屋・北海道編
こんばんは、しんべべです。
私はいつも
ABEMATVの「アベマプライム」を
夜に見ています。
今週、月曜日の後半のテーマが
興味深い内容でした。
このお題はぜひ書きたいと思いました。
(今週は平石アナいなくて、残念・・・)
まだ2月ですが、
春に近づくにつれて
世間では
学校の入学、進級、卒業、転校、
会社への入社、他部署への配置換え、など
多くの人が“環境の変化”を
意識しはじめる時期しはじめる時期
ではないでしょうか。
学校での進級時に
クラス替えをしたときのような
気持ちを思い出します。
私は、社会人になってから
2社経験しており、1社目は特に転勤なし。
もう1社では、
年度はじめの4月など
関係なく、配置転換があり、
計10回ほど引っ越しをしてきました。
(いわゆる転勤族ですね・・・)
最近、転勤自体
あまり良いイメージを
持たれていませんが、
きっと異動するメリットもあるはずだ!と
(過去の自分を肯定するように)
ニュースを見ていました。
番組で紹介されていたのは
コチラ↓↓↓
いまいちピンときていないので
自分にとって良かったことは
何だったかな??と
振り返ってみました。
まず20歳まで
他県に住んだことがなかった
自分にとって、
引っ越しはすること自体が
新鮮そのもの。
はじめは旅気分で
ご当地を楽しんでいました。
行った先で得られたもの・コト
名古屋→入社して数年経ってからだが、
自分がずっとやりたかった仕事の
社内公募があり手を挙げて、
人事異動が決まりました。
今まで住んでいた環境とまったく異なり、
行く前はとてもワクワクしていました。
実際に、仕事を始めていくと
思っていたイメージとかけ離れていて
生活のリズムが
毎日、朝8~9時に仕事開始して
夜中2時くらいに帰宅。
月4回くらいしか休めなくて
毎日、肉体労働をしながら、
経理業務、レジ業務、従業員の管理
電話応対、仕入れ買い付け、物流管理・・
など雑務を同時並行で
進めていきながら、
店のデザイン・装飾などの
クリエイティブな業務まで
求められるような日々。
難易度が高すぎる・・・
と思いながらも、
自分で手を挙げてきた進路だから
やり抜かないといけない!と
何とか精神論全開で
のぞんでいたのを覚えています。
家に、寝に帰るような生活で
当時、新婚でしたが、
ホヤホヤ感は一切なかった。
毎日ヘトヘトになって
生命の危機を感じ、
「子孫を残さなきゃ」という
肉体的にも、精神的にも
究極?極限の状態まで追い込まれていたかもしれない。
結果、名古屋で
1人目の子どもを授かり、
ここから
自分の人生の活路が
見えてきた気がする。
北海道→はじめて海を渡った。
行った先では、人間関係があまり良くなく、
常にネガティブな空気が流れていた。
職場では、常にピリピリしたムードがあり、
誰かが、なにかをミスったりすると、
社歴の長いおじさんが、急にどなり散らかす。
周りもその方に
「いかに怒られないか」を
気にしながら働いていたように見えた。
自分もそのうち
ターゲットとされてしまい、
ちょっとしたミスを
切り取られては
屋上みたいな場所に
連れていかれて、
延々と説教。
(当時は、胸ぐらつかまれたり、暴言、ひっぱたかれるのは当たり前)
「こんなところ来るんじゃなかった・・」と思いながら
なぜ自分ばかり集中攻撃をしてくるのだろう?と
周りに聞いたり、考えてみた。
当時、私が付き合っていた彼女いたのですが
聞いたところ、そのおじさんとは元カレで
まだ気持ちを引きづっているとの事。
「なんだ、ただの嫉妬かよ・・・」
内心思っていたが、
自分にも非があるので、
その日を境に、
付き合っている事実を隠すことにした。
別れたというテイで
職場ではふるまい
関係を続けることにした。
良くないとは思いながら
関係を保とうとしたが、
だんだん自分に対する当たりも
強くなくなってきたので、
結果的には、
仕事もやりやすくなって
良かったなと思う。
その後、彼女とは、
数年後に結婚して、
現在の奥さんである。
海を渡ってよかったなというお話。
転勤も悪いことばかりではないなと思う。
続きは、群馬編と、東北・岩手編。
時間の関係上、
次回また書きます。
読んでいただき、
ありがとうございます。
引き続き、よろしくお願いいたします。