谷川俊太郎の詩を読む...|「感性とは何か?」【朗読】
こんにちは 今日は谷川俊太郎さんの詩を読んで、「感性とは何だろうか?」というテーマですこし考えてみたいと思います。
「感性」って? あなたならどう答えますか?
感性とは。日常のなかでたゆまず磨きつづけるものであり、また呼吸のように、そうとは気づかずに、好きなものを「好き」と言いつづけるうちに、育っていくようなもの……でしょうか?
空から突然ふってくるもの、でないことは分かります😅
谷川さんのいろんな詩を録音しましたので、
ぜひ、楽な気持ちで聴いてください!
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※文字起こしソフトを使っていますので、文章におかしなところがあれば、ご指摘ください。
2024年11月13日
詩人の谷川俊太郎さんが亡くなられました。
谷川さんが文学界に残した功績は多々ありますが、今日は主に『家族の肖像』という、ひとつの作品集を朗読でご紹介しながら、谷川さんがいかに 私達と詩を結び付けてくれたか……こんなにも詩が身近なものになったのは、谷川さんのおかげだと思いますので…… 詩人が投げかけてくれた「感性の世界で生きる」という行為について振り返ってみます。
◇夕焼け
『家族の肖像』は2004年に発行されたCDです。朗読と音楽が入っています。
その『家族の肖像』に収められた詩の作品を、いろいろと読んでいます。
◇うそ
◇川
『うそ』という詩 は もう、めちゃくちゃいいですよね。😭✨
子どもの目線で、
「母さんは嘘をつくなって言うけど母さんも嘘をついたことがあって嘘は苦しいと知っているからでしょう?」と言っています。もうたまらないですね。
10歳の子でも分かるような言葉だけで書かれている。本当に大事なことは簡単な言葉だけで表現できるのだ、と、証明しているような気がします。
きっとこの子は、本当の自分の人生を生きたい という気持ちが強いんでしょうね。本当を生きるためなら、嘘だってつくよ、ということなら分かるなぁ。
「言っていることは嘘でも 嘘をつく気持ちは本当だった」
これは、子どもと関わっている方には グサっ とくるようなセリフじゃないでしょうか。
それから『川』という詩。
スケールの大きな詩で、これも大好きです。
川が笑う…川が歌う… 太陽にくすぐられるような気分、そんな気分って分かりますか? 私はね、分かるような気がするんです。
私の頭に浮かんでくるのは、福島の、母の実家を流れている川でした。
やはり身近な自然、遊んだなつかしい場所が、今もこっそりと耳打ちしてくれるのでしょうか。
『川』は、絵本にもなっています。「かあさんどうして」というタイトルです。
◇朝の祭り
◇祖母
◇おとうさん
家族の肖像 という作品を2004年に出した意味(04年の谷川さんといえば72歳ですね)
これは再録集でもあるので、描きおろしの詩もあれば、以前の詩集から再びもってきている詩もあります。
谷川さんが なぜ「家族」というテーマを選んだか?
私の想像ですが……
家族といっても結局のところ 血のつながりのことを言ってるんじゃないなって、強く感じました。
子ども時代……おとうさんおかあさんになる時代……そして祖父母の時代。
それぞれの時代があるってことですよね。
人生のそれぞれのフェーズがあって そのひとつひとつに 大昔から人間がくりかえしてきたであろう(100年前のお母さんもきっとこんな気持ちだったのだろう、とか)人間の営みを深く感じさせる何かがあって……。
それぞれの時代の永遠が、ひとつの家の中にぎゅっと納まってしまっているという、〝おかしみ〟!
人間の面白さが、家族というもののなかにぎゅっと凝縮されてるのを、書きたかったんだろうな、と、私は思いました。
特に 子どもの時間と、老いてからの時間、そこに人としての本質があるのは とてもいいですよね。「生き方は赤ちゃんと老人から学べ」と言っているような感じ。上手く言えないけれど、そう思いました。
◇とおく
私は、子どものころ、どこまでもまっすぐ歩いて行ってみようと思って、やってみたことがあります。あの時のかぎりなく「自由だ」と感じていたあの感覚は何だったんだろうと、今になっても思います。
でもそれからが大事件で、 帰ってきたらお祖母ちゃんが 山々にこだまするような声で「ようちゃ~ん」と私を呼んでいるんですよ。ずいぶん心配かけてたみたいです。
今思うと。帰ってこれる場所があるから、ずっとずっと遠くまで歩こうと思えたのかもしれないです。
昼休み「本を読む会」での嬉しかった思い出……
自分の思い出 語りをしますが……!
私が中学生の時に、お昼休みの時間に、図書室でPTA図書ボランティアの方が 来て、『本を読む会』 みたいなものを開いてくれていました。
中学生向けに「昼休みにどうぞ 図書室においでなさい」と 。
それで、 その時 お茶も出してくれていたので、そのあったかいお茶目当ての男の子とかも来てたし( 別に なんかすごい 文学少年・文学少女 ばっかりが集まってたわけではなくて )普通にだらけに来てる子とかも いたんですね。
その昼休みの本を読む会 で、「なんか 朗読しない?」っていう働きかけを、中学生に向けて やってくれていました。
「好きな本の1ページでもいいし 詩を一つ読むとか なんでもいいから せっかく来てくれたから何か朗読してみない?」
そう言われると、素直な中学生たちだったから、いつも何人かが立候補して朗読体験をしていて。そのなかで私も 「じゃあ やります」と手を上げて 朗読をしました 。
その時、私は、谷川俊太郎さんの詩を みんなの前で読みました。
そうすると「今の詩、 めっちゃいいじゃん」「じぶんで選んだの?」みたいな感じの反応が、同級生からかえってきて……!
それがもう、自分としてはすごく嬉しくて、衝撃的で。
ちょっとしたことだったけども、 なんともいえず 忘れがたい経験になったんです。
好きなものを「好き」といっても誰にも笑われなかったということ。
当たり前のこととして「分かるめっちゃいいよね」「俺もそう思うわ」みたいに言われたからこそ、受け入れてもらえた感じがしました。
すごいね~ って遠くに置かれてしまう感じじゃなくて ね。
亡くなられてからこの1ヶ月で、様々な人が、これを機にと、「自分と 谷川俊太郎」の思い出をさまざまに語ってくれていて、 それを見ることもすごく私の慰めになりました。
なかでも多かったのは、 「谷川俊太郎が、〝詩が好きでも笑われない〟とか 〝詩が 好き でもおかしくない〟っていうのを当たり前にしてくれた」という意見でした。私も同感です。
「感性を育てる」とはどういうことなのか……感性って何でしょうね。
私が思うに〝感性を才能と混同しないこと〟が、すごく大事だと思うんです 。
感性 って言うとなんだか、生まれ持った才能かのように思ってる人が結構 少なからずいると思います。 あと、センスもね。「 私にはセンスがないから」って言う人がいるけど……。
持って生まれたものじゃないですよ、感性もセンスも。 別にどんな人だって今の時点から磨いていけるもの。というか、たゆまず 磨き続けなければいけないものが 感性であり センスだよね って思うんです。
そして、谷川さんだって「詩は空から降ってくるものじゃないよ」と言っていました。
「僕はね 詩は、 降ってくるものじゃなくて下から湧いてくるものだと思う。日本語の豊かな土壌から詩が湧いてくる」
そんなことを、TVで仰っていました。
つまりは 、0から1を生み出す仕事 なんかじゃなくって、普段からなるべく その豊かな土壌に身を浸しておくようにするから、何 か 豊かさのおすそ分けのように、恵みとして詩が湧いてくる…ということなのでしょうね。
私の師匠の大熊進子は「感性とは 器を満たしていくことだ」と、言っていました 。
「その時の自分の器に入りきるだけの 喜 怒 哀楽を体験することによって、感性も磨かれていく」
泣かせない子育てをしようとして、全て取り去ってしまうっていうのは、なんだか違いますよね。 (わざと 泣かせろっていうわけでもありませんが。)
その時の子供のレベルっていうのをよく見極めてあげて、「これくらいのハードルだったら、この子の力を伸ばしてくれるだろう」っていうくらいの ものに上手に挑戦させてあげることが大事で。 全てのハードルを取り除いてあげちゃったら、その子は何にも成長しないっていうことですよね。
もちろん、子どもの器に入りきらない悲しみ……あまりにも大きすぎる 悲しみを与えてしまうのもダメ、それは虐待です。
だから 大人の役割っていうのは、どれくらいのものだったら、この子の器に今入りきるかなって、見極めて、レベルにあった遊びとか 仲間関係とか、そういうものを与えてあげることじゃないか っていうのを、大熊先生はよく仰っていました。
遠巻きにされる感覚と、冷笑
さっき、私は、「遠巻きに見られてるような感覚を昔よく経験した」っていう話をしたんですけど。
遠巻きに見られるような、というのは例えば、
「歌が上手いね、やっぱり 絶対音感とか持ってるんでしょ?」
って。褒められてるようなんだけど、全然嬉しくないような、微妙な言葉をもらうことが多々ありました。
要は「やっぱり 特別な何かがあるんだよね」って言われてしまうと「 私とあなたは違うものだよね」って言われてる気がして、嬉しくなかったんです。( ちなみに私は絶対音感は持ってませんよ 。)
ていうか、結構、 勘違いしてる人が日本人にはまだまだ多いかなと思うんですけど……。
別に、絶対音感を持ってる人だけが、音楽が上手くなれるわけじゃないよね?
音楽って別に、絶対音感を持ってる子を見つけるためにやってるわけじゃないですよね??
特別な才能を持ってるかどうか、を、確かめるために子どもを習い事に入れるわけじゃないですよね??
どんな子も、音楽を習う中で、 何かしらの能力を伸ばしていける。そこに価値がある。
私も、 誰でも一生懸命、自分を磨いていけば それなりのものが身につくっていう方針の教室に行っていたので、そう思えるようになりました。
「絶対音感とかを持ってるんでしょう?」こういう言葉の裏にあるのは「私は持ってないから仕方ない」っていう本音ではないでしょうか?
その時にしかもみんな うっすらと笑みを浮かべてるんですよね。
そういう笑顔ってあんまり嬉しくないなって。何かをごまかすような笑顔だなって思ったんです 。
それって何だったんだろうな って今考えると(ちょっと理屈の裏付けもつけると)ね 。
やっぱり〝笑い〟 って、本当であれば、他者とより良い関係を築くために 、協調性を育むために 笑みを向けるんだけれども、
しかし自分のコミュニティを「同じものだけで構成したい」「異質なものを排除したい」っていう欲が人間にはあるために、〝排除型の笑い〟っていうものも出てくる。
そうしてまた、そういう 排除の笑いがまん延している集団は、どんどん閉鎖的な集まりになってしまう。……っていうのを書いてある論文があって、なるほどなーと思いました。
『同質性を担保しようとする笑いが、その集団を閉鎖的にしていく』
これが、最近得た学びです。
ごまかし笑い。「すご~い」と笑っている裏では、自分には関係ないと切り捨てている。そうやって閉じていこうとする。
災害時等の、被害者を責めるような冷たさ
最近 その、 災害とか 事件とかがあった時に すごく被害者のことを 冷笑するような ムーブメントって,あるじゃないですか。
例えば「 被害者にも準備が足りなかったんじゃないか」とか。災害に対してだと「海の近くに住んでるのが良くない」って言ったりとかね……どうしてそんなこと言うのかわからないんですけども。まあ、おそらく 合理性のつもりでその人たちは 言うんですよ。
事件の被害者にも「そんな夜遅く出歩いてるのが悪い」とか言ってね。それって でも何でそういう発言をしてしまうのか っていうと、自分事にしたくないからというか、 自分が何もしないことを否定されたくないって思いがあるんですよね。
ボランティアに行かないとか、何も手助けできない自分を、どこかで 正当化しようとして 、そういう 冷たい笑い みたいなのを生み出してしまうんだろうな って。
感性の貧しさを正当化しないで
なんかすごく 今、世界が、感性の貧しさを正当化するために、他人を冷笑している。どこか常に「怯え」があるなって思います。
そう 自分が貧しいことを認めたくないというか、その、努力しない自分を正当化したいから、努力してる人を笑う……というかね。
それをしかも理詰めで「もっと頭良いやり方があるじゃん」みたいな、 さも合理的 だっていう 、さまざまな理由で固めて言ってくるんですよね。
だから……感性とは何か ?感性を育てていく っていうことは何か? っていうと。あくまで私の答えですけど、
『常に 異質なものを受け入れていくようにする』
これがひとつの答えではないかと思います。
自分の世界を 同じものだけで構築しようとせず (気の合う仲間とか同じレベルの人たちだけで構築するんじゃなくてね)
例えば ちょっと年上の 尊敬できる先輩と繋がっておくとか、
ちょっと自分とは違う 環境で生まれ育ってきた人と関わってみるとか 。
常に 異質なものを受け入れていく心の準備 ……みたいなものが、 感性を磨いていく っていうことにつながっていくんじゃないかなと思います。 何でしょうね うまく言えないんですけどね。
磨く、そのためには?
先ほど から 感性を〝磨く〟 っていう言葉を使っていますが。 そう、 磨くものなんですよね。
特に大人になってからの感性は、知的に磨いていかないといけないことだなって思います。
子ども時代の感性 っていうのは、感性の豊かな大人と暮らすことで影響をもらって育っていくものです。
まぁでも、その基本は、大人になってからも変わりませんね。
たまには コンサートに行ってみると か、たまには 美術館に行ってみるとか (それぞれの選択はあると思いますよ)
習い事をしてみるとか、ちょっと何かの練習をしてみるとか……。
でもそこで大事なのは、そのコンサートとか 美術館とかに、行っただけで終わらせるのではなくて、それを日常にどう持って帰るか、 日常化する努力ってことですよね。
日常の中で たゆまず 磨き続けるとはどういうことなのか…… そういうことを考えてもらう きっかけにも、このnoteが役立てばいいな なんてこと を身の程知らずながら思って、今日はこんなものを録音してみました。
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