【こころとからだがととのう】湖畔でのキャンプと朝のウォーキング
日記のようになりますが、2024年11月2日(土)の豪雨はなかなかすごかったです。こんな日にもかかわらず、アウトドアキャンプを実行していました。夕方5時頃~6時頃にかけて、滝のような雨と突風や雷と、無理してしなくていいんじゃないの?と言われるような状況でした。それでも、本日11月3日(日)は快晴で風も穏やか、とても心地よい午前中を迎えています。
知らない場所の朝ウォーキングは気持ちいい
習慣は変わらずで、朝日が昇り始める前からウォーキングを開始。私は、山梨県の湖にあるキャンプ場でアウトドアキャンプをしていて、湖に沿って歩ける場所があるので、富士山に向かって30分ほど歩きました。
そよ風、湖が風に流される音、鳥たちの鳴き声、木々の音、それらの音を感じながら、正面には薄っすらと見えてくる富士山。自然を堪能しながらとても気持ちいい朝を迎え、早朝から【こころとからだがととのう】時間を過ごすことができました。
知らない道なので、いつも以上にワクワクとドキドキがありました。この先はどうなっているのか?もしかしたら動物が出てくる?どんな景色が見えてくるのか?といった冒険心をもって歩くことができました。
自宅の周りをいつも歩くことも、それはそれで少しずつ季節の変化を見ることができるのですが、冒険のような気持ちではありません。知らない場所を歩くからこそのワクワク感を感じることができました。
なぜ、私がキャンプをするのか
そもそも、なぜ私がキャンプをしたくてしているのか、少し振り返ってみました。ホテルや旅館に泊まれば、料理が勝手に出てきて・温泉などの入浴施設があり、雨風も凌げ、布団などもあって睡眠も快適にできる。これはこれで良いのですが、私としてはワクワク感・冒険心を擽る体験が欲しいのだなと改めて感じました。誰かがやっているから自分もやるのような他人軸や一時のブームに流されず、自分軸でなぜ?なんのために?どうして?といった問いにも答えられる行動をとっています。
キャンプに行くまで、予定を全て綿密に計画し、天候も見つつ、その状況によって所持するアイテム(キャンプグッズや衣類等)を決めていく。自然との対話が必要なので、常に安定した状況ではない、でもそれが楽しい。
冒険や探検、ほかには例えば登山なども一緒だと思います。自然と対話しながら、状況に応じてアイテムを準備し、実際の場所での時々の状況に対応する。あえて負担がかかるようなことをやることで、達成感や充実感を得る。これは、仕事や人生における生き方にも少なからず繋がる意味のあることだと思います。
不便だからこそ、いつもの便利さを有難く感じる
キャンプは、基本的に自分が全て準備して片付けるので、非常に不便です。だけれども、このような体験をして知っているからこそ、便利な時の状態を有難く感じることができるのです。人の慣れとはそういうものですね。昔は、火を付けるのでさえ一苦労だったのに、今ではスイッチ一つで付けられてしまう。洗濯も手で一生懸命擦って洗い干していたのが、ドラム式洗濯機で洗濯と乾燥をボタン一つで終えてしまいます。
それをやる必要性まではありませんが、その便利な状態がいかに恵まれているのかを実感するには、キャンプをすることが1つの手段だと思います。
みなさんは、なにか当たり前の便利さをあえて不便に感じる取り組みはしているでしょうか?私は、キャンプというツールを通じて感じています。
現在は、過去と比べて(わずか10年程度前でも)圧倒的に便利な世の中になっています。その便利すぎることを当たり前と感じず、恵まれている・充実した時間を過ごせていることを感じられるために、多少不便な時間を体験してみてはいかがでしょうか。
きっと、何かに気づけて今まで以上に今の状況に感謝できるのではと思います。私の感想に近いメモになりましたが、あえて不便なキャンプを行い、朝の心地よい時間を設けて身体を動かし、【こころとからだがととのう】時間を作ってみてもいいかもしれません。
最後まで読んでいただいた方に感謝申し上げます!ありがとうございます!